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人獣見聞録 猿の転生Ⅸ Side-B:ルシファー・イン・ザ・ブラッディナイフ  作者: 蓑谷 春泥
第2章 ノッキン・オン・ザ・ヘヴンズ・ドア
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第15話 大本営

 時計の針が、作戦開始の予定時刻を指した。

 幣原(しではら)と紫双方の情報は、互いに二重三重に暗号化したメッセージを介して交換し合っている。ウルフギャング=エジソンがもたらした、エデン本部・『大本営(ヘヴンズ・エンド)』への進入路、その位置情報……。日米合同作戦による、伏魔殿総力を挙げての『大本営(ヘヴンズ・エンド)』侵攻が、始まろうとしている。

 モニターを睨む。枢機卿を動かすことはできなかったが、これで全てを終わらせることができる。ボスである呰部をここに縛り付けておくだけでも、敵の指揮系統に大打撃を与える強力な一手となる。

 モニターの先では四男が拷問を加えていたが、少し疲れたという風に椅子に座ったところだった。

「……今日の尋問はずいぶんと手緩(てぬる)い」

 不意に、呰部が口を開いた。ここ一週間の間で初めて口を利いた。

「慶留間(けるま)君……、4人いる、木葉下(あぼっけ)不比等(ふひと)副局長の複製子(クローン)。何体目かは分からないが……、いつもより心ここに非ずだ。腕時計は外しているが、それが嵌めてあった手首をちらちらと眺めている。もはや私を操ることなどどうでもよく、それ以上に重要な何かがこの時間に行われようとしている」

 鋭い洞察に慶留間が反応しかけるが、注連野(しめの)がスピーカーから制止する。『何も答えないで』

 呰部が監視カメラを見上げる。映像越しにこちらを覗き込もうとでもしているかのようだ。呰部は語り掛けた。

「私の経歴を調べたなら、注連野君。私が大使として南米に赴いた際、反政府組織に拉致された事件は知っているだろう」

 ごきりと関節を外したような異様な動きで、後ろ手に繋いだ呰部の両手が前に回る。それはあまりにも滑らかな動作で、呰部が椅子を引き足元にしゃがみ込むまで慶留間が制止に動き出せないほどだった。

「その代償が本当は何だったのか、見せてあげよう」

 がしゃりと足首から音がした。左足、繋がれていない方の足が開き内部からセラミック製の鋭いナイフが現れる。

義足‼ 取り押さえようと身構えた四男の首を素早く刃が駆ける。

『慶留間君!』

 喉を詰まらせて死ぬ四男の横で呰部はくるりとナイフを回しまたかがんだ。

「払った代償はただの負傷ではなく左足一本分。義足になったことは秘密にし隠し通した。……なぜ私は足を失ったのか? どうやって自力で敵組織のアジトから逃げおおせたのか?」

呰部は足錠の真上にぴたりと刃を立てた。「こうしたのさ」

 くぐもった枢機卿の唸り声がスピーカーを通して流れる。呰部は躊躇なく足に立てた刃を引いていた。こちらが施した拷問よりもはるかに残忍な仕打ちだ。麻酔もせず、自らの意志で足を切断している。それもおよそ切れ味の悪そうな簡易的なナイフでだ。

 細かく切れ切れの息が枢機卿の口から激しく漏れる。滲み出た脂汗が一筋鼻柱を通る。しかしその決然とした動きに一切の迷いはない。紫は監視室を飛び出した。

 あの男は常軌を逸している。逃げ延びるためとはいえあれほどの苦痛を引き受けられるものなのか? よしんば痛みに対して耐性があったとして、彼は既に左足を失っている。これで両足を失くすことになるのだぞ?

 赤いランプが点滅し、廊下に機械兵たちが雪崩れ込んだ。蛮行を終えた枢機卿は四男の腰から電子銃を引き抜くとロックを外し、廊下に立てかけてあった杖を手に片足と杖で器用にバランスをとりながら、ぐらつく体で素早く緋色の廊下を渡っていった。遮る機械兵たちの急所部分を的確に一発で撃ち抜きながら光を目指す。群れを成した機械兵たちが呰部に覆いかぶさり押し潰す。鉄の腕に押さえつけられながら枢機卿は絶叫した。


数分後、隔壁の錠を開け紫は廊下に滑り込んだ。熱線銃を構え、曲がり角の壁にぴたりと背中をつけ慎重に先を窺う。

息をつめ飛び出す。……廊下に広がった光景を見て、呆然として紫は銃を下げた。

大破した機械の残骸だけがそこには転がっており、壁のあちこちには何か太い鞭のようなもので削り上げた様な線条痕が連なっていた。

そこに生きる影はなく、廊下の先の扉は開け放たれていた。眩しい光が明かりの消えた廊下に煌々と差し込む。

枢機卿は姿を消していた。


〇


 富士山麓・五所湖湖畔。

 蟻の群れのように行軍をなす伏魔殿の部隊たちが、その湖畔の中央に突き出た円筒状のエスカレーターに乗り込む。

「すげえな、本当に出たぜ」

 巨大な自動階段に乗って地下へ運ばれながら、馬飼が呆れ気味に言った。ウルフギャングの示した青木ヶ原樹海の一地点には石碑を模した開閉装置が存在しており、五所湖に隠されたエスカレーターを水上に現す役割を果たしていた。円筒は日の光を浴びてきらきらと水滴を輝かせ、銀色の肌を湖の表面に移していた。受け口は広く三個中隊が容易に乗り込めるほどの大きさだった。内側かららせん状に自動階段が走っていて、地中深くへ兵隊たちを誘う。

 エデン統合作戦本部・『大本営(ヘヴンズエンド)』。それがこの足元深くに広がっているのだ。

「雪の野郎はいないんすか」

 佐清(すけきよ)が尋ねる。悪童隊員の彼もまた馬飼とは別の隊を任されていたが、馬飼のすぐ後ろに付けていた。辺りを見回すが、最重要戦力である雪の姿は見えなかった。

「遅れてるのかもしれねえな。オセアニアから空輸で来るんだ。だが開戦には間に合うだろう」

 馬飼が視線を下に戻して答える。「それに一(にのまえ)を別のポイントに下ろしているのかもしれねえ」

「別のポイント?」

「良くは知らねえが、こういう入り口がいくつかあるらしい。地下鉄の廃路線、個人空港の滑走路、潰れたバッティングセンターの地下とかな。大小合わせて12か所くらいは見つかってるって話だ。今回は監視の目を上手く誤魔化せた2か所から兵を送り込むって話だった。一(にのまえ)はそっちかも分からん」

 地下に付き、延々と続く炭鉱のような地下道を抜け、大群は数十分の時を経てようやく配置に付いた。分厚い隔壁に覆われた通路がある。この先に『大本営(ヘヴンズ・エンド)』が広がっているのだ。古代ローマの闘技場のように、地中深くの内部空間にできた円形都市、その周りにぐるりと通路が広がり、隔壁に塞がれている。

 隊長たちが互いに目配せを躱す。発破の掛け声が無線から流れる。各シャッターに配置した爆弾が一斉に火花を散らす。粉塵が消え、突撃せんと隊長たちは素早く身を起こした。

 目の前に広がる光景に、部隊員たちは思わず身を固めた。「……何⁉」部隊長がインカムに触れる。

 本陣に色を失った様子の部隊長たちの報告が伝わる。

『こちら特攻第一小隊‼ エデン本営正面……』

 随行させたドローンの映像が映し出される。そこには、電子ライフルを構えた無数の敵軍が、隊列を組んでこちらを捉えていた。

『敵影多数‼ 武装した隊列が待ち伏せを行っています‼』

『エデンの民たちよ』地下都市中に呰部枢機卿の声が響き渡る。『今ここに我らの敵は集められた。ここは処刑場だ。この大地の底を彼らの血で赤く染め、平和への最後の礎となすのだ』

 激しい銃撃の音が部隊を襲った。叫喚と硝煙が地下に満ちる。

「どういうことや‼ こっちの進軍が読まれてたんか? いやそれ以前……、枢機卿の声やと?」

 幣原が見を見る。見が肯き音声をアナライズに掛ける。

「合成の確率、86%です」

「注連野さんからの連絡はありません。枢機卿の声は合成としても……、この敵軍の待ち伏せはどういうことです、ラクシュマンさん」

『内通を疑っているのか、公安部長殿。裏切りの可能性がないことは、タバコモリに確認させたはずだ』

 ラクシュマンが地上の本部から答える。向こうの言い分ももっともだった。幣原は眉根に皺を寄せる。

「隊列を立て直さねばなりません。戦型自体は決して不利ではない。ただ隊員たちの動揺が連携を鈍らせています。何かこちらの士気を取り戻させる決定的な一打があれば良いんですが……」

 その時、不意に頭上から爆音とともに地の蓋が落盤し、鉄の影が両軍の間に雪崩れ込んだ。

「何だ……⁉」

 両軍は銃撃を止め突如振り落ちた鉄の機体に照準を映した。地上からの光が差し込む中、コックピットの窓が蹴外されて一人の少年が出てくる。

「悪い! 少し遅れた!」

 馬飼や他の隊員が口角を上げその名を呼ぶ。上空から高速度で輸送機を墜落させ、地盤をくりぬいた雪の姿がそこにはあった。雪は既に予知を見ていたのか、事態を察しているようだった。

「事前情報と違う形だけど……、やることは同じだ! 正面から叩き潰す!」

 前線の隊列に覇気が還り、各地を荒らしまわっていた頃の不敵な悪童の顔つきに戻る。雪の発する号令と共に雄叫びを上げて駆け出す。「エデンの命運も今日限りだ‼ 行くぞ‼」

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