第14話 一二
荒廃したギリシアの街で、御黒は救援活動を続ける。各地から派遣された陸軍が救援に当たっている。御黒は瓦礫の下に埋まった熱源反応を確認し、彼らにその所在を教えた。突き出た氷と共に瓦礫がどかされ、その隙間から生き埋めになっていた夫婦が助け出される。
「ったく、なんで俺がこんなことを……」
『意外と適正あるんじゃなぁい? これで4都市は生存ライン確保できたよ』
耳元で喪刈のからかう声が聞こえる。口をへの字に曲げ御黒は周囲を感知する。一帯の生存者は全員救助できたようだった。
……次のステージか。御黒は真顔に戻って思い出した。
「喪刈」
「?」
「これ終わったら、家でも建てるか」
……え。耳の表で喪刈の意表を突かれた声が返ってくる。
「もう別に戦いに備える必要もないだろ。どこか落ち着いた所に家を構えて、別の生き方を探すのも悪くない」
「それって……」喪刈がどもるようにして問いかけるのが聞こえた。「……喪刈ちゃんも一緒に、ってこと?」
「当り前だろ。お前は俺の相方だ」御黒が平然と言う。「不服か?」
「えぇ?」通話の向こうでにやけた顔な声で答えるのが分かる。「相方ね……。ふふん、今はそれで満足してあげる」
「ふん、生意気な……」片頬を上げて言いかけ、御黒は視界の先に、瓦礫の道を悠然と歩く女の後姿を見止めた。途端に声は尻すぼみに途絶え、目線は強張りその一点に厳しく惹きつけられる。
後ろ手に手を組み、女は角を曲がる。御黒は弾かれたようにその後を追った。角を曲がった瞬間、瓦礫の街だったはずの一画に、平時と変わらない優美なギリシアの通りが広がっていた。破壊など夢であったかのような古式ゆかしい街並みに、御黒は足を止める。すぐ脇に開かれたカフェのテラス席で、女が座っていた。片方の手でカップを傾け、もう片方の腕でテーブルを一撫でする。手品のようにチェス盤が現れた。
「やあ、御黒君」
虹色の眼光。すらりと横に伸びた瞳孔を御黒に向けた。凍りついたように立ち尽くす御黒にチェス盤を示す。「一局どうかな?」
時が凝縮し一瞬間凍り付く、が、熱を帯びて一息に動き出す。絶対の確証が五感を超越して告げる。
「……喪刈。ここにいる奴ら15分以内に避難させろ」
絞り出した声は抑えきれない喜色に震えている。喪刈の慌てた様な声が問い返すが、高揚する胸の高鳴りがそれを押し返す。「7年も待ったんだ……。これ以上抑えられるかよ」
女が自身の向かいの椅子を示す。御黒は無言で机のチェス盤と席を眺め、それから徐に椅子を引いた。「良いだろう、乗ってやる」
先ほどの女と同じように机を一撫でする。冷気を放つ氷のチェス盤が新たに作り出された。「ただし、二面指しだ」
「面白い」
女が満足げに微笑み、カップを掌の中に握った。手の隙間から新たな駒たちが零れ落ちて盤上に並んだ。
「『待て』を覚えたとは成長したね、青年。あの狂犬じみた少年が……」
すらりとした指で拾い上げた駒を一つ進め、女が言う。それから御黒の鋭い眼差しを見返し、愉快気に付け加える。「牙が抜けたわけではなさそうだ」
「単刀直入に聞く。お前は何者だ?」
御黒のポーンが相手の駒を奪う。もう一面の駒を進め女が駒を奪り返す。
「それは単刀直入ではないよ。君はこう尋ねるべきだ。『お前は昼神イヴか?』と」
駒に伸ばした御黒の手が止まる。盤の外に出した駒を女が弄ぶ。「そしてその答えは『イエス』だ。私は昼神イヴ。君の知る第一号だ」
「やはり昼神、お前か……。前とはずいぶん様子が違うな?」
「今は別の依り代を使っているからね」
御黒の動かしたナイトを即座にビショップで捕える。
「ああそうか……、のまえちゃんの一件があったから気を付けているんだね。たしかに以前の彼女からも、私の気配を感じ取れただろう。あの子には私の血が流れているからね。だが安心したまえ、汝は正真正銘、君の知る昼神イヴだ。肉体を移そうとも、そのことは君の認識に直接知らされてだろう?」
昼神が告げる。二局面を進め、御黒が言う。「……お前は死んだと、海土路の奴は言っていたが」
「保存された臓器も見たようだね。あれは汝の最初の肉体だ。君と初めて会った時も、あの肉体を使っていた」
テーブルの下から、昼神が何かを取り出す。騎兵を隅に追いやり御黒はその物体に視線をやった。「!」
「驚いたかい。君の回収した『赤い繭』だよ」
エアーズロックに保管していたはずの『繭』と女の肉体が、昼神の手にある。
「お前、まさか俺の基地に……」
「ん? ああ、心配しなくていい。別に君の基地に押し入り強盗したわけじゃないよ。君の喪刈ちゃんは無事だ。まああの子にも興味はあるが……、この繭は君が廃棄したものを拾ってきただけだ。既に燃して灰に変わっていたけど、もう一度再構成してみた」
昼神が指を弾く。繭と女の体が灰に戻り風に消えていく。
「あれは汝の依り代でね。この肉体同様、汝が形而下の世界に顕現するための器のようなものなんだ。ああいう器が、この世界のあちこちにある。あの依り代はどうやらエデンが回収していたものらしい。まったく勝手なことをするよ」
「エデンの施設跡地からその繭が見つかったのは、そのためか……」
御黒は妙に納得した口調で言う。だが器と言うのは何なのか。
「海土路君の言っていたことは、間違っていないんだよ。汝はかつて海土路兄弟とその部隊に敗れ、肉体の死を迎えた。だがそれは汝の能力の覚醒を促すトリガーに過ぎなかったんだ」
「覚醒……?」
「ああとも。生前の汝の力は仮初のものに過ぎなかった。だが真に解放された汝の力は、この宇宙と一体化するものだった!」右翼に開いた穴から、昼神の軍勢が御黒の陣営に雪崩れ込む。「君は汎神論を信じるかい?」
汎神論……。鋭い一撃を喉元に突き返し、御黒は呟く。この世界のありとあらゆる物体・物質の中に神が宿っているという考え方。世界そのものが神であると言ってもいい。
「形而上学的だな。そもそも神など存在しない。」
「そうだね。少なくとも神話や宗教で語られてきたような、世界の創造主は存在しない。独立した霊魂のようなものもね。プラトンは肉体は魂の牢獄に過ぎないと言ったが、精神が存在するためには肉体が前提となっている必要がある。実存とは単独の存在ではなく、肉体活動における一つの現象のようなものだ。ちょうど、君の出す炎が炎という物体ではなく、燃焼という現象に対して付けられた名前であるようにね」
キングにチェックを掛ける。砦を犠牲に攻勢を食い止める。
「持って回った言い方だが、要は肉体の無い精神は存在しないって話だろ。初めのお前の肉体が滅びた時、お前の精神はその別の肉体を器とすることで保たれ続けた。そういうことか?」
「ところがそうじゃないんだ。汝の肉体は崩壊すると同時に原子以下の素粒子、いやさらにそれ未満のエーテルの煌めきとなってこの宇宙に満遍なく分散した」
氷の盤面の淵に、ポーンが辿り着く。敵陣の終端に達した歩兵は新たな女王に成った。
「汝はその時文字通り、この宇宙と一体化したんだ! いわばこの宇宙そのものが汝の肉体だ。君も君の周囲を漂う空気も、人も、森も、光も、全ては汝の一部。私は汝であり、汝は私なのだ。そうして汝は唯一つの存在であり、あらゆる実在を超越する『一者』となった。それは人が神と呼ぶものに等しい」
「どうだろうな。お前が本当に全能なら、こんな回りくどい心理戦などせず、俺を操ることもできたはずだ」
「鋭いね」昼神が満足げに微笑む。
「先刻も言った通り、汝はこの宇宙全てを包括する存在。その中には君という個体も含まれる。私は汝であり汝は私だ。つまり、汝が望まないことを汝が強制することはできない」
「そうかよ。なら、俺の望みは、お前を倒すことだけだ!」
拾い上げた女王を御黒が握りつぶす。手の中から炎が迸り、高熱に女王の駒が融解した。氷河が机ごとチェス盤を弾き飛ばし、昼神が後方に飛び退く。御黒の全身から迸る熱気が、急速に体内の一点に集中していく。
「遊びは終わりだ。お前が世界のどんな物質を操ろうと関係ねえ。俺の熱は原子崩壊すら引き起こす超高温だ!」
極限まで高まった熱エネルギーが解放され、御黒の体が太陽となって光り輝く。周囲の一切をプラズマに変える無限のエネルギーが、地球の一角を焼失せんと吐き出された。
「喰らえ!!!」




