第13話 根競べ
「困ったことになったなぁ。ほんまに困ったで、ウルフィーちゃん」
木葉下がアクリル壁の前に座ってぼやく。
「呰部副総理が打った手のせいで、僕らも動かれへんと来てる。『枢機卿』を捕えられたんは大きいけど、もし彼を動かせへんかったらこっちの負けや。世界はエデンに支配される」
ウルフィーは答えない。ただ疲弊しきった眼を床に向けてじっと座り続けている。
「国連の常任国が揃いも揃って壊滅してしもたからなあ。首都機能が停止しただけならまだしも、酷い所は国ごと更地に変えられとる有様や。国民は生き残っとっても政府が機能してへんと、人間同士の争いになる。今エデンが宣戦布告したら、国連は無条件降伏しかねへんなあ」
ウルフィーが初めてぴくりと反応した。「エデンが国外侵攻を?」
「そーや。まあでも安心しい、君んとこのアメリカさんは無事や。2世紀前やったら真っ先に狙われとったろうけど、皮肉なもんやね、内紛と戦争で国力を落としたことで今回は救われたわけや。まー、でも時間の問題やろな。今の各国軍に、エデンに対抗しうるほどの力は無い」
喉の奥にかかるような声で、ウルフギャングが笑った。木葉下が冷たく睨み下ろす。
「なんや満足かいな。エデンが世界の王んなっても、君が眺める玉座は檻の隙間やで?」
「そうはいかないさ。『時間切れ』だ。ここまで事態が進んだら、アタシの仲間が来る。てめえの死臭ともおさらばってわけだ」
「それは君ぃの臭いや」木葉下は立ち上がって背を向けた。「お仲間が間に合うとええな。君はもう用済みや。処分するか煙草森ちゃんに洗脳させる。長い人生やったね」
言い捨てた木葉下の耳に、上階の騒音が聞こえてきた。なんだ? 目を上げると、開け放たれた扉から白い煙幕がもうもうと漂ってくる……。
〇
モニターが映しだす監禁室の映像を睨みながら、注連野紫は唸った。旧式の有線の映像は休みなく呰部の様子を捕え続けているが、依然として変化はなかった。
「凄いですね……。あれほど痛めつけたのに悲鳴一つ上げない。訓練を受けた兵士でもああは行きませんよ」
慶留間四男が半ば感心したように漏らす。呰部圷彦はプロの兵士でも2日とは持たない尋問を3日間も受けていて、全く動じなかった。ただ呆けたように宙を見つめ、無表情に暴力を受け流している。「痛覚を遮断できるんですかね」
「だとして、自白剤にすら抗えるのは以上だよ。精神的苦痛も与えてるはずなのに。彼に狂花帯能力が無いことは確認済みなんだな?」
「もちろんです。拘束してここに運び込まれてきた時、脊髄と狂花因子のチェックは済ませました。左足に昔の手術痕があったくらいで、強化改造、狂花帯反応いずれの痕跡も見当たりませんでした。ついでに言うと、武器の所持も」
左足……。彼の記録では、30代前半で特使として南米の紛争国に訪問した際、現地の過激派組織に拉致されて負傷したと聞く。事件の詳細については当国の情報規制で調べきれなかったが、彼はそこから自力で逃げ延びて現地警察に保護されたという。外交問題にすることを防ぐため、呰部はその組織に対する武力制裁を行わせず、平和的に紛争の解決に導いたという。世間には公表されていないものの、政治家や官僚たちの間では有名な、彼の人徳を示すエピソードである。それ以来、彼は足に後遺症を抱え引きずっている。
人徳……。本当だろうか? このエピソードは彼の狂気の片鱗をも見せるものではないだろうか。自身を拉致し監禁した武装組織を、個人的感情を一切無視して放免する……。政治家としては立派かもしれない。が、逆に言えば、目的のためにあらゆる感情を放棄できる異常な精神性を表しているとも言える。現に彼はこれだけの拷問に理性のみで堪えているのだ。苦痛の感覚を意図的に鈍らせ、自白剤による無意識状態を理性によってコントロールしている。狂気だ。そんなことを人間ができるとは思えない。
彼はもしかすると、本当に人類を救済に導こうとしているのかもしれない。だがそのために生じる夥しい数の犠牲者、圧政、そういった諸々に対する罪悪感を一切見ぬ振りできる危うさが垣間見える。
「慣れない尋問で疲れたでしょう。交代しますよ」
「すまないな、慶留間君。君まで付き合わせるつもりはなかったんだが……」
「一人では何かと不都合でしょうから。それにこれは、幣原さんに任された監視の意味もあります」
正直に答えて慶留間麻呂は席を立った。
呰部を監禁している施設は古い廃屋で、昔とある刑事事件で差し押さえられた監禁事件の現場でもある。使われている設備は古くセキュリティもアナログだが、それゆえに探索の網にかかりづらい。
煙草森鳰を使うべきか。紫は幾度も逡巡した。これが非公式な極秘捜査であることは承知している。公的に伏魔殿に所属している煙草森を動かして内閣副総理を洗脳したとなれば、伏魔殿が解散を命じられるレベルの大問題になる。そうなれば仮にエデンを解体できたとしても、その残党に対処できなくなる……。
できる限り速やかにあの古狸を篭絡しなければならない。紫は麻呂が入室した監禁室の様子を見ながら唇を噛んだ。
〇
「とはいえ、さすがに煙草森を投入すべきでは?」
葎が幣原に意見する。
「事情は理解しているつもりです。しかし火急の現状を考えれば、背に腹は代えられないでしょう。全てを秘密裏に行い、呰部大臣の一件は闇に葬る」
「あまり、あなたらしいアイデアではありませんね」
幣原が節くれだった指を組み合わせて言う。
「この際私個人の信条は、捨てざるをえません」
葎が言い返す。
「悪いけど、それは良い手だと思わないよ」
デスクに腰を下ろした昼神が口を挟む。煙草森や五頭、見に、残る慶留間兄弟の姿もあった。
「煙草森ちゃんには、エデンの複数の監視がついてる。本部の敷地から出た瞬間に感知して追跡できるよう、同系統の贋作が数人配備されているみたいだ」
「なぜあなたにそんなことが……」
「言っただろう? 汝は全知全能だと」
昼神がこめかみを小突く。都合の良い……。葎が不満そうに口を曲げる。見が煙草森の方を見ると、たしかにそういう気配はあったと煙草森が答えた。
「私も実はそのことが気がかりだったのです。煙草森さんにはこの2ヶ月間何度か出動してもらいましたが、その際のエデンの対応は異様に早かった。監視がついている可能性は否めない。紫さんのいる施設に配置された護衛は僅かな機械兵のみです。下手に煙草森さんを動かして、かえって監禁場所を特定されることは避けたい」
「なら、他に打つ手は……」
「あるでしょう。エデンを叩き、次の手を打たせる前に壊滅させることだ」
五頭が口を開く。そんなことができるならと葎は言いかけたが、幣原が手で止めた。
「君は聡明だ。国の正規軍と化したエデンへの攻撃は立派なクーデターになるということは、理解した上での発言だろう。その上で、君の考えを聞かせてくれ」
五頭は組んでいた腕をほどいて言う。
「今のエデンは頭を失い統制がとれていない状況です。御黒の攻撃で幹部連が壊滅し、枢機卿の独裁がこの2ヶ月続いていた。計画の進行について既に指示は出されていると枢機卿は答えたらしいが、本拠地への大規模な攻撃に対応するには、さすがに頭の指揮が必要になる。不意打ちならば猶更」
「たしかに体制が変わって2ヶ月なら、枢機卿がいない場合の指揮系統は考えられていないよね。あったとしてもいきなり実践に移すのは難しいはずだ。数万規模の大所帯なんだから」
「敵の根拠地さえ潰せば、エデンの残党は個別の凶悪犯に過ぎなくなる。それならまだ対処も可能か……。でも……」
「ええ、大前提として、エデンの本拠地を特定する必要があります。長年調査し続けていますが、我々に見つけられたのは支部止まり。煙草森さんと御黒闇彦の情報から、その座標と内部構造は大雑把に掴めていますが、肝心の『入口』が分からない。その調査すら今は制限されているのです」
幣原はままならぬという表情で呟いた。「せめて『E.D.E.N』に攻撃を仕掛ける、正当な口実さえあれば……」
「ありますよ」
唐突に扉が開いて、見知らぬ声が飛び込んできた。一同の視線が向く。
そこに立っていたのはやはり見も知らぬ灰色の髪をした、西洋系の血の混じった顔立ちの壮麗の女性だった。そしてその隣に立っていたのは、負傷した様子の木葉下副局長と……。
「ウルフギャング=エジソン‼」
五頭と葎が銃を引き抜いた。
「待ちたまえ、こちらには正式な権限がある」
灰髪の女がきっぱりと言って手帳を取り出した。幣原たちはその隊証が示すところの身分を見て唖然とした。手帳を示したまま女が宣言する。
「私は国際刑事警察機構事務総長、ヴィーナ=ラクシュマンだ。ここにいるウルフギャング=エジソンは我々ICPOがエデンに潜り込ませた潜入捜査官だ」
「なに……⁉」
隣でウルフィーもバッジを見せる。今よりも少し若いウルフギャング=エジソンの写真がそこに写っている。昼神が興味深そうにそれを眺める。ウルフィーは傍らの木葉下の首根っこを掴んだまま言った。
「アタシたちは国際テロ組織としてエデンおよび『E.D.E.N』内部メンバーを認定した。国際刑事法に則り、エデン本部への『強制捜査』の権限を持つ。で、アジトの場所と入り方はアタシが知ってる。……大義と条件は揃えたぜ。殴り込む気なら顔を貸しな」




