第12話 憂解
「……『枢機卿』が誘拐された?」
会見現場からの報を受け、祁答院伊舎那は鋭く聞き返した。
「何だって君もついていながら……。靜馬君。通常のSPも付いていたんだろう?」
「ごめん。でもかなりの早業で為す術も無かったんだ。催涙ガスに加えて音波兵器も使われてた。かなり熟練のエージェントだよ」
「感心してる場合かい? ……まずいな。今猊下に離れられるわけにはいかない。くそ、計画もあと少しというところで……!」伊舎那は歯噛みする。「×(オサム)君は?」
「それが今、絶賛音信不通。どうする? おいらが動く?」
今日だったか。内心で舌打ちして伊舎那は答える。「いや、最悪『呰部副総理』の役は君にやってもらうことになると思う。君はそのまま官邸に潜入し続けといて。適当な人間に扮して、取得できる限りの情報をこちらに教えて」
了解の合図を得て電話を切る。傍らで待機していたエリザベスに声を掛ける。
「リジーさん、本来のシナリオと今後の動きについては?」
エリザベス=ケークウッドがこめかみを指で突く。
「全て共有されています。B2までのプラン進行は問題ありません」
「よし。猊下の不在についてはひとまずアンタイ・エデンだけにとどめておく。計画は予定通り進めよう。……官邸付近の防犯映像と、救難信号の消失地点を調べて。猊下の行き先を絞り込む」
〇
顔に水を浴びせかけられ、目を覚ます。
窓のないぼんやりとした灯りだけの部屋の中に、女が立っている。目の焦点があって、ようやく人物が分かる。
「これは……、注連野生活維持局長?」
「お早いお目覚めですね。呰部圷彦防衛大臣。いや……、『灰色の枢機卿』」
「枢機卿……?」呰部は耳馴染の無い言葉のように繰り返して、それから手足の違和感に目を向ける。両手には拘束、右足も手錠によって机の脚と繋がれていた。
「これは、どういうことだね注連野君? 説明をしたまえ」
「説明を求めるのはこちら側です。日本国副総裁の座にまで上り詰めながら、エデンという組織の玉座に座り続けたあなたの所業を」
「『E.D.E.N』? さっきから何を言っているのだ。会見の計画なら、たしかに私は責任者だが、議決を通したのは内閣だ。君は何か勘違いしている!」
迫真の表情で訴える呰部に、紫は溜息を吐いた。「さすが演技は堂に入っていますね。しかしこちらも証拠を揃えています。巨額の財産が投じられているであろうエデンの設備と人力……。金の流れを追いました」
紫はいくつかの帳簿資料の写真を見せる。
「防衛省内であなたの権限によって運用できた資金、その中の使途不明金を洗わせてもらったのです。架空の防衛作戦と企業に対する外注費で巧妙に偽装されていましたが、その行き先はエデン製薬に行き着いていたことが発覚しました」
ポケットから抜き出した銃を揺らす。「正規の手続きでは開示できない情報でしたが……、皆これを見せると最後には快く口を割ってくれました。煙草森並みの記憶操作持ちがいなかったのが痛かったですね」
呰部はなおも不可解そうな顔を続ける。「なるほどたしかに汚職はあったかもしれない。そこまで調べられていては仕方ないからな。しかしそういった不正献金は、やり手の政治家なら多かれ少なかれやっているものだ。エデン製薬とつながりがあったことは認めるが、それは当時の会長……、あの釈迦仏尼に脅されてやったことだ。私は資金提供者にすぎない。君の言う枢機卿とやらは別にいる」
「言い逃れの可能性を考え、あなたの過去も調べました。あなたが脅迫や狂花帯能力による洗脳で操られていたという言い訳をできないよう、あなたの生家に侵入してまで徹底的に調べた。改竄されてはいましたが、あなたの大学時代の同期にはあの邇凝博士と左衛門三郎捌光がいますね? あなた方に接点があったことは当時の御学友から証言を得ています。加えてあなたの細君と後妻であった女性の二度にわたる不審死・失踪……。極めつけは戸籍から抹消されているあなたの子息……」
赤子の出生時の写真と、AIによって割り出された成長予想パターンの画像を複数枚並べる。「彼は『祁答院伊舎那』と名を変えて生存していますね?」
その中の一枚は、エデンの祁答院伊舎那に酷似していた。
「彼は枢機卿直属部隊のリーダーです。状況証拠でもこれだけ揃えば充分でしょう。これは正式な捜査ではないのですから」
紫が一連の証拠を突き付けてみせる。呰部はしばらくは困惑した表情を続けていたが、紫の眼光に揺るぎがないのを確かめると途端に雰囲気を変え、悠々と座に落ち着いた。
「良いだろう、私が『枢機卿』だ」
紫がごくりと唾を飲んだ。確信はあった上でも、やはり言葉で認められると重みが違う。自分が相対しているのはエデンの王なのだ。
「よく辿り着いたな……。やはり直に本部を訪れたのが良くなかったか?」
本部襲撃の少し前、視察の名目で呰部は本部に乗り込んでいた。大胆な策で当時絶対不可能と思われた伏魔殿の在所特定を成し遂げたが、それには相応のリスクが伴った。
「ええ。あの時期本部に足を踏み入れた外部の人間は、あなたと公安御用達の修理業者のみでした。無論我々の知らない未知の狂花帯の影響や内通者という線も多角的に考えられましたが、現実的に疑いうるラインとしてあなたは浮上してしまった」
紫は続ける。
「その後の政府の動きも不審だった。いくら本部防衛に失敗したからと言って、エデンへの唯一の対抗策である我々への支援を打ち切るのはあまりにも不自然な対応です」
呰部にはエデンの高官襲撃事件に巻き込まれた経緯があったため、疑惑の目を逸らされていたが、それも狂言だったのだろうと紫は確かめた。
「最近の大胆な行動は、正体がバレる覚悟で行ったことではありませんか? 他国への行軍や今日の会見はその極端な現れです。おそらくですが、エデンの計画は既に完遂間近に入っている。だからこそあなたは『逃げ切れる』と踏んだ。たとえ正体がバレても、捕まる前に事を成し遂げられると」
紫は銃を向ける。呰部が無言で黒々とした銃口を見つめる。
「賭けは失敗でしたね。こちらがあなたを捕える方が、わずかに早かった。今ならまだ間に合うでしょう、あなたの言う『スノーホワイト・プロトコル』とやらの全貌を話し、今すぐ中止命令を出しなさい」
「……断ると、言ったら?」
銃声が鳴り響く。呰部の肩に黒々とした穴が開いて、コンクリートの壁に焼けた染みが付いた。声にならない唸り声を漏らし、呰部が肩を見る。脂汗が額に滲む。
「っ……‼ 驚いた、君が躊躇なく撃つとは……」
「警告は無駄でしょう。私は本気です。あなたがエデンを止めるまで何度でも撃ちます」
歯を食いしばりながら、その隙間から呰部は笑い声を捻りだした。この状況で何がおかしいと紫は銃口で訊く。
「くくく……、いや、賭けにはまだ負けていないと分かってね。君らは私が首を縦に振らない限り、計画を止める術を持たないというわけだ」
表情には出さないが、紫の瞳が微かに揺れる。呰部は乱れた呼吸を整えながら勝気な目で呻いた。
「残念だがこれから先の指示は既に出してある。私がいなくとも……、計画はしばらくの間、滞りなく進むだろう。つまり私に中止命令を出させるまでは、君らは私を殺せない。私に音を上げさせるか、エデンに滅ぼされるか……。我慢比べと行こうじゃないか」




