07 10年前のこと
店の中には、棚や作業台が並んでいた。
木材や工具も置かれているが、何の店なのかはまだ分からない。
やがて奥から、一人の男が姿を現した。
濃い茶色のシャツに黒の作業用ズボン。
細身の身体つきで、手には細かな傷がいくつも残っている。
男は俺を見ると、まずガレスさんへ視線を向けた。
「……どういうことだ?」
「こいつが、レオンを探している」
「レオンを?」
男の目が、再び俺に向いた。
「お前がか?」
「はい。俺はルーデン村で弔い屋をしているカイといいます。亡くなった方の身体を整え、遺族が最後のお別れをできるよう手伝っています」
「……弔い屋?」
男は聞き慣れない言葉に、わずかに眉をひそめた。
「それで、レオンに何の用だ?」
短い問いだった。
俺は少し考えてから答えた。
「エドガーさんが亡くなる前に、レオンさんへ手紙を残していたんです。俺は、それを届けるために王都へ来ました」
男は黙ったまま、俺の顔を見ていた。
「……手紙を届けるためだけに、聖都まで来たのか?」
「はい」
「レオンとは知り合いなのか?」
「いえ。会ったこともありません」
男はわずかに眉を寄せた。
「会ったこともない人間を探しているのか」
「そうです」
「……変わった仕事だな」
男は少し考えるように視線を落とした。
それから、ようやく口を開いた。
「……ローディンだ」
「ローディンさんですね」
「ああ」
ローディンさんは名乗ったものの、それ以上、自分のことを話そうとはしなかった。
俺は改めて尋ねた。
「レオンさんのことを、知っているんですか?」
ローディンさんはすぐには答えず、ガレスさんへ目を向けた。
ガレスさんが小さく頷くと、ローディンさんは俺に向き直った。
「……どこまで聞いている?」
「ガレスさんから、アランさんのことを聞きました。エドガーさんの息子で、十年前に亡くなったと」
「そうか」
ローディンさんは静かに息を吐いた。
「俺は、エドガーとは昔からの知り合いでな。あいつは家具職人だった。派手なものを作る人じゃなかったが、細かいところまで丁寧で、長く使える家具を作っていた」
「家具職人……」
肖像に触れたときに見えた光景が、かすかに脳裏をよぎった。
木を扱う手。
作業台の前に立つ人影。
あの光景と、今の話が重なる。
「エドガーさんは、ずっと家具を作っていたんですか?」
「そうだな。少なくとも、俺が知っている頃はそうだった」
ローディンさんは、店の奥にある作業台へ目を向けた。
「……アランも、そんな父親の背中を見て育ったんだろうな」
「アランさんは、どんな人だったんですか?」
「そこまで詳しくは知らない。俺が知っているのは、主にエドガーのことだからな」
ローディンさんは、そこで一度言葉を切った。
「ただ、エドガーは息子のことを大切にしていたように思う」
その言葉に、ガレスさんが口を開いた。
「アランは、商人として堅実に商売をしていた男だ。俺は直接関わりがあったから、仕事ぶりは知っている。だが、あいつの身に起きたことを、すべて知っているわけじゃない」
ガレスさんは少しだけ視線を落とした。
「……アランには、息子が一人いた」
「息子……?」
「ああ。レオンという名前だ」
レオン――
ようやく、レオンを探すための手がかりが見つかった。
その瞬間、胸の奥がかすかに熱くなった。
「……っ」
目の前の景色がぼやけ、店の中の音が遠ざかっていく。
そして――声が聞こえた。
――「レオンを頼む」
若い男の声だった。
続いて、別の声が返ってくる。
――「分かっている」
低く、落ち着いた声。
そこで光景が途切れた。
「……っ」
気がつくと、俺は元の店の中に立っていた。
「どうした?」
ガレスさんが、不審そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「……声が聞こえました」
「声?」
「はい。誰の声かは分かりません」
ローディンさんが、少しだけ目を細めた。
「前にもあったのか?」
ガレスさんが尋ねた。
「はい。エドガーさんの遺体に触れたときには声が聞こえて、肖像に触れたときには、昔の光景が見えました」
ガレスさんは腕を組み、考え込んだ。
「……物に残された記憶を感じ取っているのか?」
「記憶、ですか?」
「あくまで推測だが、スキルの一種なのかもしれないな」
俺は自分の手を見つめた。
「……スキル」
「まだ断定はできない。どういう条件で起きるのかも分からないんだろう?」
「はい。俺にも、何がきっかけなのか分かりません」
ガレスさんは小さく頷いた。
「なら、今は無理に答えを出さなくていい。見えたものと、実際に分かったことを分けて考えるんだ」
「……分かりました」
魔法なのか、スキルなのか。
それとも別のものなのか、今の俺には分からない。
ただ、何かが起きていることだけは確かだった。
「……ところで、ローディンさん」
俺は、先ほどから気になっていたことを尋ねた。
「エドガーさんとレオンさんは、どんな関係だったんですか?」
ローディンさんは、少し考えてから答えた。
「アランが亡くなったあと、エドガーはレオンを引き取ろうとしていた。自分の孫だからな」
「引き取ろうとしていた……?」
「ああ。ただ、その後どうなったのかまでは、俺も詳しく知らない」
「二人は、一緒に暮らしていたんですか?」
「そこまでは分からない。少なくとも、エドガーがレオンのことを気にかけていたのは確かだ」
ローディンさんは、静かに続けた。
「昔、エドガーと話したときも、あいつはレオンのことを心配している様子だった。だが、二人の間に何があったのかまでは聞かなかった」
「……そうですか」
俺は、エドガーさんの肖像に触れたときのことを思い出した。
――「俺、聖都へ行きたい」
――「駄目だ」
あの短いやり取りだけでは、何も分からない。
なぜレオンさんは王都へ行きたかったのか。
なぜエドガーさんは、それを止めたのか。
そして、二人の間に何があったのか。
今の俺には、まだ何も分からなかった。
「十年前、アランさんに何があったんですか?」
俺が尋ねると、ガレスさんが静かに口を開いた。
「俺も、詳しい事情までは知らない。あの頃、何か問題を抱えていたらしいという話は聞いたことがあるが、俺自身が確かめたわけじゃない」
「誰かに追われていたんですか?」
「その話も聞いたことはある。だが、誰に追われていたのかも、なぜそうなったのかも分からない」
ガレスさんは、言葉を濁すことなく答えた。
「俺が知っているのは、アランが商人として働いていたことと、息子がいたこと。それから、あいつが亡くなったということだ。そこから先は、俺にも分からない」
ローディンさんも頷いた。
「俺も同じだ。エドガーのことなら、ある程度は知っている。だが、アランの身に何があったのかまでは知らない」
二人の話は、食い違っているわけではなかった。
ただ、それぞれが知っていることには限りがある。
ガレスさんはアランを知っていた。
ローディンさんはエドガーを知っていた。
同じ親子に関わる話でも、見えていたものは違うのだ。
「……分かりました」
俺は頷いた。
二人の話を聞いても、十年前の真相はまだ見えてこない。
それでも、エドガーさんがレオンさんを引き取ろうとしていたこと。
そして、二人の間に何かがあったらしいことは分かった。
「レオンさんは、その後どこへ行ったんですか?」
ローディンさんは首を横に振った。
「エドガーのもとを離れたとは聞いている。だが、行き先までは知らない」
「聖都に来た可能性は?」
「あるかもしれない。だが、確かなことじゃない」
俺は窓の外を見た。
聖都には人が多い。
この中から一人を探す。
しかも、十年前に姿を消した人間だ。
簡単なことじゃない。
「……見つからないかもしれませんね」
「そうだな」
ガレスさんは否定しなかった。
「それでも探すのか?」
俺はすぐには答えられなかった。
鞄の中には、手紙がある。
「レオンへ」と書かれた封筒。
エドガーさんは、最後にそれを残した。
俺は鞄の中に手を入れ、封筒の感触を確かめた。
思い出すのは、エドガーさんに触れたときに聞こえた声。
――レオン
――あの子に……
あの言葉の意味は、今も分からない。
それでも、エドガーさんが最後にレオンさんの名前を呼んでいたことだけは、忘れられなかった。
亡くなった人の言葉は、もう本人から聞くことができない。
だからこそ、生きている人に託された言葉だけは、途中で止めたくなかった。
「……この手紙は、俺が預かったんです」
自分でも驚くほど、声がはっきりしていた。
「中に何が書いてあるのか、俺は知りません。でも、宛先は分かっています」
――レオンへ。
「エドガーさんは、最後にレオンさんの名前を呼んでいました。だから……届けたいんです」
ローディンさんが静かに俺を見つめた。
「レオンが、今どう思っているのかは分かりません。エドガーさんのことをどう思っているのかも。でも、それを決めるのはレオンさんです。会うかどうかも、手紙を読むかどうかも」
二人は黙って聞いていた。
「俺にできるのは、その選択ができるように、手紙を届けることだけです」
ローディンさんはしばらく俺を見ていた。
やがて、静かに息を吐いた。
「……それがお前の仕事か」
「はい。俺は弔い屋ですから」
ローディンさんは小さく頷いた。
「……そうか」
ガレスさんが、腕を組み直した。
「十年前のことは、俺も全部知っているわけじゃない。俺の話も、ローディンの話も、知っている範囲でしかない」
「はい」
「聞いたことをそのまま全部信じるんじゃなく、自分でも確かめた方がいい」
昨日、ガレスさんに言われたことを思い出した。
――聞いたことを、そのまま全部信じるな。
「分かりました」
俺は頷いた。
「それでも、教えてもらえてよかったです」
ローディンさんが俺を見る。
「何を?」
「エドガーさんがレオンさんを引き取ろうとしていたこと。それだけでも、知ることができてよかったです」
「そうか」
ローディンさんは、それ以上何も言わなかった。
店の中に静かな時間が流れた。
俺は鞄の中の封筒に触れた。
この手紙を届ける。
それだけは変わらない。
エドガーさんが何を伝えたかったのか、レオンさんがどう受け取るのか。
それは、俺が決めることじゃない。
「……探します」
俺は改めて言った。
「レオンさんに、手紙を届けます」
ガレスさんが短く頷いた。
「見つかる保証はないぞ」
「分かっています」
「それでもか?」
「それでもです」
俺は鞄に手を添えた。
「エドガーさんから預かったものなので」
ローディンさんは、しばらく俺を見ていた。
やがて、小さく息を吐いた。
「……だったら、探してみるといい」
「はい」
俺は二人に頭を下げた。
「ありがとうございました」
店を出ると、聖都の喧騒が戻ってきた。
行き交う人々や馬車の音、店から聞こえる声。
その中に、レオンさんがいるかもしれない。
いないかもしれない。
まだ、何も分からない。
それでも、俺は歩き出した。
鞄の中には、レオンさんへの手紙がある。
エドガーさんが何を伝えたかったのか、レオンさんがどう受け取るのか。
それは、俺が決めることじゃない。
ただ、預かった手紙を本人に届ける。
今の俺にできるのは、それだけだった。
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