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09 最後の手紙

聖都に来て、4日目の朝。


エドガーさんの遺体を保存している神聖保存は、7日しかもたない。


リーベルを出てから、すでに5日目になる。


つまり、俺にはもう、あまり時間が残されていなかった。


聖都へ来てから3日間。


俺は人の多い通りを歩き、店を訪ね、何人もの人にレオンという名前を尋ねてきた。


けれど、返ってくる答えはほとんど同じだった。


「悪いな。聞いたことはない」


「その名前だけじゃ、ちょっと分からないな」


「レオン? 若い男なら、いくらでもいるぞ」


そのたびに礼を言って、次の場所へ向かった。


簡単には見つからない。


分かっていたことだった。


それでも、諦めるわけにはいかなかった。


エドガーさんが残した、たった1つの手紙。


届けるために預かったものだ。


だから、本人に渡す。


それだけだった。


けれど、その「本人」を見つけることが、こんなにも難しいとは思っていなかった。


しかも、時間は待ってくれない。


あと2日ほど。


それまでにレオンさんを見つけ、手紙を届けて、リーベルへ戻らなければならない。


「……レオンさん」


小さく名前を口にする。


そのときだった。


「レオン、か?」


後ろから声がした。


振り返るとそこにいたのは、以前、店で話を聞いた男だった。


「はい」


「まだ探してたのか」


「何か知っているんですか?」


「ああ。もしかしたらだが、心当たりがある」


男は少し考えてから続けた。


「家具を作っている若い男がいる。名前は……確かレオンだったと思う」


「家具職人……」


「間違っていたら悪い。ただ、年齢もそのくらいだったはずだ」


「どこにいるか分かりますか?」


「ああ。以前見かけた場所なら教えられる」


男から話を聞き、俺は頭を下げた。


「ありがとうございます」


「見つかるといいな」


「はい」


 ♢♢♢♢♢


教えてもらった場所へ向かう。


道を歩きながら、何度も周囲を見回した。


これまでにも、何度似たような期待をしてきただろう。


そして、何度違う人間だっただろう。


それでも、今度だけは違うかもしれない。


そんなことを考えながら歩いていると、一人の若い男が目に入った。


濃い茶色の髪は少し乱れている。


茶色の目。


暗いグレーのシャツの袖を肘までまくり、厚手の革製エプロンを身につけている。


作業用のズボンに革靴。


手には小さな傷があり、爪の間には木の粉のような汚れが残っていた。


年齢は25歳くらい。


俺は、その顔を見た瞬間に足を止めた。


エドガーさんの家で見た肖像画。


そこに描かれていた、8歳くらいの少年の面影が、目の前の男に残っていた。


肖像には、エドガーさんと、その隣に立つ女性。


そして、まだ幼い少年が描かれていた。


あの女性がレオンさんの母親だったのだろう。


少年は、今のレオンさんとよく似ている。


俺はゆっくり近づく。


 

「……レオンさんですか?」


男が顔を上げた。


「そうだけど」


短い返事。


俺は一度、息を整えた。


「突然すみません。俺は、弔い屋をしているカイと申します」


「弔い屋……?」


「はい」


男の目に、わずかな警戒が浮かぶ。


俺は懐に手を入れ、封筒を取り出した。


白い封筒。


表に書かれた文字。


――レオンへ。


その文字を見た瞬間、レオンさんの表情が止まった。


「……それ」


「エドガーさんから、あなたに預かったものがあります」


しばらく、レオンさんは封筒を見つめていた。


「……爺ちゃんが?」


「はい」


俺は封筒を差し出した。


レオンさんはすぐには手を伸ばさなかった。


ただ、じっと見つめている。


10年という時間が、その視線の中にあるように感じた。


やがて、ゆっくりと手が伸びる。


封筒を受け取った。


「……10年ぶりだ」


小さな声だった。


「爺ちゃんの字……変わってないな」


レオンさんは封筒の表を指でなぞった。


それから、しばらく黙っていた。


「読んでも?」


「はい」


俺は少し離れた。


レオンさんが封を開け、中から1枚の紙を取り出す。


そして、読み始めた。


最初の数行を読んだところで、レオンさんの眉がわずかに動いた。


そのまま黙って読み進める。


途中で1度だけ手が止まった。


紙を持つ指に力が入る、けれど、何も言わない。


俺も何も言わなかった。


やがて、最後まで読み終える。


レオンさんは紙を持ったまま、しばらく動かなかった。


「……覚えてたんだな」


「……何をですか?」


「椅子」


レオンさんは手紙を見る。


「小さい頃、俺が壊した椅子。爺ちゃんが直してくれた」


少しだけ笑った。


「俺、あれが嬉しくてさ。壊れたものでも、直せるんだって思ったんだ」


レオンさんは自分の手を見る。


木を扱い、家具を作るための手。


「だから……家具を作る仕事を始めた」


「そうだったんですね」


「ああ」


その笑みが消える。


「でも、10年前はそんなこと考えられなかった」


俺は黙って聞いていた。


「父さんが死んで……」


レオンさんの指が止まる。


「母さんが亡くなったのは、俺が10歳のときだった」


思いがけない言葉だった。


「まだ子供だったから、母さんがいなくなったことも、ちゃんと受け止められなかった」


レオンさんは手紙へ目を落とす。


「それでも、父さんと爺ちゃんがいた」


「だから、俺にとって父さんと爺ちゃんは、ずっと大きな存在だった」


レオンさんは少し黙ってから続ける。


「父さんが死んだときは、もう15歳だった。でも、何が起きたのかは分からなかった」


「ただ、また大切な人を失ったってことだけは分かった」


その声は静かだった。


「俺、爺ちゃんに言ったんだ」


「……何を?」


「父さんを殺した奴を探したいって」


レオンさんは少し目を伏せた。


「父さんが死んだ理由を、ちゃんと知りたかったんだ」


俺は、以前ガレスさんたちから聞いた話を思い出した。


アランさんが追われていたこと。


そして、10年前に殺されたこと。


けれど、その先のことは誰にも分かっていない。


「爺ちゃんは、やめろって言った」


「危険だから、ですか?」


「たぶんな」


レオンさんは少し考える。


「でも、あのときの俺には、そんなこと分からなかった」


目を伏せる。


「父さんを失ったばかりだったから」


レオンさんは手紙を握った。


「俺は、爺ちゃんに何も教えてもらえなかった」


しばらく黙ってから、レオンさんが続ける。


「それで俺……『爺ちゃんは、父さんのことを諦めたのか』って言ったんだ」


俺は黙って聞いていた。


「そしたら爺ちゃんが……『もう終わったことだ』って」


静かな声だった。


「俺には、それが……父さんのことを終わらせたって聞こえた」


レオンさんは苦笑する。


「だから、俺も何も言わなくなった」


その後、2人はきちんと話せないまま離れることになった。


「今になって思えば……」


レオンさんがぽつりと言った。


「爺ちゃんも、どうしたらいいか分からなかったのかもしれない」


俺は何も言わなかった。


「でも、あのときの俺には分からなかった」


「……はい」


「父さんを失ったのに、爺ちゃんまで遠くなった気がした」


その言葉には、怒りよりも寂しさがあった。


10年経っても、消えなかったものなのだろう。


俺には、それを簡単に埋める言葉は思いつかなかった。


しばらくして、レオンさんが手紙に目を落とす。


「……爺ちゃん」


小さく名前を呼ぶ。


それから、手紙をもう1度開く。


最後の部分を見つめ、レオンさんの目元が少し赤くなった。


「……ずるいな」


「こんなの、最後に書くなよ」


笑っているような声だった。


でも、その声は震えていた。


「もっと早く言ってくれればよかったのに」


俺は何も言えなかった。


もっと早く話せばよかった。


もっと早く会えばよかった。


エドガーさんも、きっとそう思っていたのかもしれない。


でも、時間は戻らない。


だから最後に、手紙を残した。


それだけなのかもしれない。


「……カイさん」


「はい」


「爺ちゃん、最後に何か言ってた?」


俺は少し考えた。


あのとき聞いた声を思い出す。


――レオン。


――あの子に……。


「あなたの名前を呼んでいました」


レオンさんの目が揺れる。


「……そうか」


「それと……『あの子に』と」


レオンさんは何も言わなかった。


ただ、手紙を胸元へ押し当てるように持っている。


しばらくして、顔を上げた。


「爺ちゃんは……俺のこと、忘れてなかったんだな」


「はい」


それだけ答えた。


レオンさんは俯いた。


目元は見えない。


けれど、肩が小さく動いた。


「……俺」


しばらくして、レオンさんが顔を上げる。


「リーベルに戻ろうかな」


「……リーベルへ?」


「ああ」


手紙を大切そうに折りたたむ。


「爺ちゃんのところに」


その言葉を聞いて、俺は頷いた。


「そうですか」


「まだ、許せるかは分からない」


「はい」


「たぶん、会ったら腹が立つと思う」


「……そうかもしれません」


レオンさんは少し笑った。


「でも、もう1度だけ、爺ちゃんのところへ行ってみたい」


その言葉に、俺は何も返さなかった。


それでいいと思った。


許すかどうかも、何を思うかも、これからどうするかも。


決めるのはレオンさん自身だ。


俺はただ、エドガーさんから預かったものを届けただけだ。


それでも――。


エドガーさんが最後に呼んだ名前を、本人に届けることができた。


それだけで、俺は十分だった。


聖都へ来た目的は、終わった。


あとは、リーベルへ戻るだけだ。


神聖保存の期限も残りわずかだった。


明日には聖都を出なければならない。


俺はレオンさんに一礼する。


「それでは」


「カイさん」


呼び止められて振り返る。


レオンさんは手紙を胸元にしまっていた。


「ありがとう」


「……はい」


それだけ答えて、俺は歩き出した。


♢♢♢♢♢♢



聖都の人混みの中へ戻っていく。


行き交う人の声、馬車の音、遠くから聞こえる鐘の音。


その中を歩きながら、俺は懐に手を入れた。


もう、そこに封筒はない。


少しだけ軽くなった気がした。


死者の言葉は、死者自身では届けられない。


だから俺が届ける。


届けた先で、その言葉をどう受け取るかは、生きている人が決める。


それでいい。


俺はそう思いながら、聖都の空を見上げた。


 ……エドガーさん。ちゃんと、届きました

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


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