第3話 不滅の友情の証に
「…………」
呆然と私を見つめながら、レオニス様はまだ何も言わない。
どうやら、本当に困らせてしまったらしい。
無理もないとは思う。
つい先ほどまで殿下の護衛としてこの部屋へ来ただけだったのに、突然辺境へ行けと言われ、そのうえ私と婚約しろとまで言われたのだ。
いくらなんでも、すぐに答えられる話ではない。
「あの、もちろん今すぐお答えいただかなくても構いませんからね?」
「……あ、いえ」
「殿下と私だけで決めてよいお話ではありませんでしょう?」
「それは……」
「レオニス様にも、将来を共にしたいと思っていらっしゃる方がいるかもしれませんし」
「…………」
臣下であるレオニス様にとって、殿下の言葉は命令にも等しい。
だからこそ言い出しにくいこともあるだろうと思ったのだけれど、今度は完全に黙り込んでしまった。
あら、何かまずいことを言っただろうか。
「それに、もう一つ」
助け舟のつもりで、私はカイル殿下へ視線を戻した。
「セレーネ様が殿下の妃となられるのであれば、アルヴェルト公爵家はどうなさるおつもりですか?」
今度はセレーネ様が私を見る。
お二人の生家であるアルヴェルト公爵家は、代々優れた魔術師を輩出してきた名門だ。
現当主はお二人の父君。そして確か、ほかにご兄弟はいらっしゃらなかったはず。
「次期当主はセレーネ様と伺っております」
「ええ。その通りです」
答えたのは、セレーネ様本人だった。
「ですが、王太子妃となれば、いずれは王妃となられるお立場です。公爵家当主との兼任は現実的ではありませんわ」
「そうだな」
カイル殿下も困った顔をして頷く。
「だから、その問題も含めて今後調整する必要がある」
「そうなったら……レオニス様がアルヴェルト家を継がれるということになるのでは?」
何気なく尋ねたつもりだった。
けれど、ほんの一瞬。
二人とも表情を変えてはいないのに、空気だけが変わった。
「その可能性だけは、ありえません」
そう、答えたのはセレーネ様だった。
答えたのはセレーネ様だった。
静かな声。
けれど、先ほどまでとは違う、妙にきっぱりとした否定だった。
「兄がアルヴェルト家を継ぐことはありません」
「セレーネ」
カイル殿下が窘めるように名を呼ぶ。
セレーネ様はそれ以上何も言わなかった。
驚きを隠せないまま隣へ視線を向ける。
「……そういうことになっています」
レオニス様も、表情を変えないまま短く答えただけだった。
何か事情があるようだけれど。
それも、もしかしたらカイル殿下はご存じなのかもしれない。
けれど、今ここで踏み込むべきことではない気がした。
「……承知しました」
私はそれ以上尋ねず、もう一度カイル殿下を見る。
「では、アルヴェルト家については別途お考えがあるのですね」
「ああ。そこは俺とセレーネ、それから公爵とも話をする」
「分かりました」
これで、アルヴェルト家についてはひとまずいい。
残るのは――先ほど答えを聞けなかった、何より大切なこと。
私は再び隣へ顔を向けた。
「それで、レオニス様」
「はい」
「先ほどのお話ですが。やはり、今すぐお返事をいただくのは難しいでしょうか?」
灰水晶の瞳が、私を見る。
ほんの僅かに視線を伏せてから、レオニス様は静かに口を開いた。
「……この場でお返事をするのは、差し控えてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
私は迷うことなく頷いた。
「むしろ、突然このようなお話をされて、すぐに決めろという方が無理がありますもの」
「いや、それは悪かったと思ってる」
無茶を言っているのはこちらなのは重々承知の上だった。
私の言葉を引き継ぐ形でカイル殿下が気まずそうに口を挟む。
「ですが、ひとつ……お願いがあります」
レオニス様が続けた。
「一度、フォルティス領へ同行することをお許しいただけますか」
「アルスヴィークへ?」
アルスヴィークは我がフォルティス家の領地。
王都の北東に位置する辺境伯領だ。
「はい」
今度は迷いのない返事だった。
「婚約についてお答えする前に、確認したいことがございまして」
なるほど。
確かに、これから暮らすことになるかもしれない土地なのだ。
先に見ておきたいと思うのは当然だろう。
「辺境伯閣下のご容体に、少々気になる報告を耳にしています」
――と思ったら、思わぬ言葉に私は目を瞬いた。
「父の?」
「はい」
レオニス様の表情が僅かに引き締まる。
「単なるご病気であれば私よりも医学的造詣の深いものを伴うべきですが、一部、魔術的な影響を疑うべき症状があると聞き及んでいます」
「魔術的な……?」
「現時点では、何とも申し上げられません」
きっぱりと言い切ってから、レオニス様は私を見る。
「ですから、私に診させていただけませんか」
「レオニス様が?」
「専門は治癒魔術ではありませんが、魔力による異常であれば、ある程度は判別できます」
知らなかった。
母からの手紙には、少し体調を崩しているとしか書かれていなかったから。
詳しくは領地に帰った際に聞くほかないと思っていた。
俄かに胸の奥がざわつく。
そんな私に気付いたのか、レオニス様の声が僅かに柔らかくなった。
「まだ、そうと決まったわけではありませんが」
「……はい」
「打つ手がないかどうかは、慎重に検討すべきかと」
静かな声だった。
けれど、その声色には確かに私を気遣うような響きがあった。
「……私にできることがあるのであれば、何なりとお申し付けください」
思わず、彼の顔を見つめる。
相変わらず表情はほとんど変わらないままだった。
それでも、今の私にとって最も頼もしい言葉かもしれない。
「ありがとうございます、レオニス様」
「……いえ」
「とても心強いです」
「…………」
レオニス様は何も答えなかった。
ただ、ほんの僅かに視線を逸らす。
……もしかして、照れていらっしゃるのかもしれない。
勝手ながらそう思うことにしておいた。
「では」
私は改めてカイル殿下を見る。
「婚約については、一度保留ということでよろしいですか?」
「ああ。俺は構わない」
「レオニス様も?」
「はい」
「分かりました」
正式に話がまとまるまでは、この場にいる四人だけの話に留める。
婚約解消も、新たな婚約も、すべてが決まってから公表することになった。
まずはレオニス様と共にアルスヴィークへ戻り、父の容体と領地の状況を確認する。
「では、決まりですね」
これで一安心――と思ったところで。
「あ! 殿下」
「なんだ?」
「一つ、確認しておきたいことがあります」
殿下がわずかに身構える。
「私たちの友情は、これまでと変わりませんわよね?」
「…………」
数秒。
カイル殿下はぽかんと目を丸くしたあと、耐えきれず吹き出した。
「……ふっ」
「殿下?」
「いや、すまない。もちろんだ」
顔を上げた殿下は、今日初めて見る――いつものカイル殿下だった。
「婚約がなくなったくらいで、十年以上の付き合いまでなくなるものか」
「よかった!」
思わず胸を撫で下ろす。
「これからも王宮へ遊びに来ても?」
「もちろんだ。我らの友情は不滅だ」
「ふふっ。安心しました」
これで、本当に心残りはない。
私は満足して、隣へ顔を向けた。
「ではレオニス様。まずは一緒にアルスヴィークへ参りましょう」
そう言って笑いかける。
すると、レオニス様は何も言わずに私を見つめた。
なぜだろう。
先ほどまでの困惑とは、少し違うように感じる。
というより――。
こんなにも美しい方に、じっと見つめられるとさすがに困る。
恋だの何だのにはてんで疎い私でも、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「……レオニス様?」
「フォルティス嬢……あなたは」
低く零れた声に、思わず彼を見上げる。
灰水晶のような瞳。
その奥で、ほんの一瞬だけ。
青と紅――二色の炎が揺らいだ。
「……!」
「……承知しました」
けれど、瞬きをした時には、もういつもの灰色へ戻っていた。
まるで一瞬の幻でも見たかのような、目を奪われる光景だった。




