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第14話 見せたかった景色

 馬車が大きく揺れた。


「っと……」


 窓枠へ手をついて身体を支える。


 先ほどから、こうして揺れることが増えていた。

 舗装された街道に変わりはないけれど、道そのものが少しずつ傾斜を増しているのだ。


「申し訳ありません。ここから先は、しばらくこのような道が続きます」


「いえ。この程度でしたら」


 向かいに座るレオニス様はそう答えてから、窓の外へ目を向けた。


 険しい山々が、随分と近い。

 街道の両側には背の高い針葉樹が並び、その向こうには灰色の岩肌が覗いている。


「まもなくアルスヴィークですね」


「ええ。昨日の宿も領内ではあるのですが、この辺りからグランヴァルト山脈へ入ります」


「なるほど」


 それきり、しばらく馬車の音だけが続いた。


 車輪が石を踏む音。

 馬の蹄が地面を叩く音。

 時折、窓の外から聞こえてくる鳥の声。


 私は見慣れた景色を眺めながら、もうすぐ家へ帰れるのだと少し浮き立っていたのだけれど。


「……そういえば」


 不意に、レオニス様が口を開いた。


「ご両親には、今回のことをどこまで?」


「今回のこと?」


 どういう意味だろう。

 首を傾げると、レオニス様は僅かに言葉を選ぶような間を置いた。


「私が同行することは」


「もちろんです。すぐに早馬を出しましたから」


「では……殿下との婚約のことも?」


「いいえ。まだ何も」


「…………」


 レオニス様が僅かに目を伏せた。


「この場限りのお話として留め置くことになりましたでしょう? それに、お父様のお身体のこともありますし。帰ってから、様子を見てお話ししようと思っています」


「……そうですね」


 短い返事だった。

 何か気になることでもあるのだろうか。


「でも、レオニス様がいらっしゃることは伝えてありますから、ご安心ください。きっと歓迎の宴も用意しておりますわ」


「歓迎の宴」


「ええ。この時期でしたら鹿も美味しいですし、川魚も。それからアルスヴィークのチーズは少し塩気が強くて、お酒によく――」


「……楽しみにしています」


「はい!」


 よかった。


 長旅の末に知らない土地へ連れて来られるのだから、せめて美味しいものくらいは楽しんでいただきたい。


 そう思って窓の外へ視線を戻す。


「…………」


 何故か、向かいから長く息を吐く音が聞こえた。

 いつの間にか、遠くに見えていた山々は空を覆うほど近くまで迫っている。


「ここから先は、しばらく一本道です」


「……そうでしょうね」


 レオニス様も窓の外へ視線を向ける。


 左手には切り立った岩壁。

 反対側には深い谷が落ち込み、その遥か下を細い川が流れている。


 馬車二台がどうにかすれ違えるほどの街道が、その間を縫うように続いていた。


「帝国から王国中央部へ大軍を動かす場合、ここを通ることになる」


 独り言のように落とされた言葉に、思わず笑った。


「さすがですわね」


「地図では見たことがあります。ただ……」


 レオニス様が僅かに身を乗り出した。


「実際に見ると、想像以上ですね」


「でしょう?」


 なんだか自分が褒められたようで、少し嬉しい。


「グランヴァルト山脈そのものを越える道も、もちろんございます。猟師や山を知る者なら使いますし、小さな集落へ続く道もあります」


「ですが、軍隊は通れない」


「はい。人が一人通るのと、何千人もの兵士が馬や荷車を連れて進むのとでは、まったく違いますから」


 特に、冬になれば。


「この辺りは、あと二月もすれば雪が降り始めます」


「もうですか」


「ええ。初めから深く積もるわけではありませんけれど、アルスヴィークでは一年の大部分を雪と共に暮らすことになります」


 あちらの斜面などは、と指を差す。


「冬には近付いてはいけません」


「雪崩ですか?」


「ええ。毎年決まって崩れる場所があります。地元の者なら知っていますけれど、知らずに入れば……」


 言葉を濁す。

 レオニス様はその先を察したらしい。


「なるほど」


 もう一度、山々を見上げた。


「だから帝国側から大軍を進めるなら、この峡道を使うしかない。そして――」


 レオニス様が、街道の先へ視線を向けた。


「この道の途中に、アルスヴィークがあるのですね」


「その通りですわ」


 思わず、少し誇らしい気持ちで頷く。


「帝国から王国中央部へ向かうのであれば、必ずアルスヴィークを通らなければなりません」


「迂回路はない」


「少なくとも、大軍が通れる道は」


「なるほど」


 灰水晶の瞳が僅かに細められた。


「街を守るために城壁を築いたのではなく、この峡道そのものを塞ぐために造られた都市なのですね」


「はい」


 幼い頃、父から何度も聞いた話だ。

 この土地が豊かだから、フォルティス家がここにいるのではない。


 この場所を守る者が必要だったから、私たちがここにいる。


「アルスヴィークを抜ければ、山を下って王国中央部まで、大軍を阻める場所はほとんどありません。ですから父は、いつも言っています」


「なんと?」


「我々が退けば、国は滅ぶ、と」


 レオニス様が静かにこちらを見る。

 少々大袈裟にも聞こえるけれど、父は冗談で言っているわけではない。


 私たちが守っているのは、この城でも、この街でもない。

 その後ろに広がる、アステリアそのものなのだ。


「ですから、アルスヴィークは負けられません」


 そう言ってから、少し考える。


「……まあ、負けたことはないのですけれど」


「難攻不落のアルスヴィーク」


 淡々と返され、思わず笑ってしまった。


「そう言うと大仰ですけれど」


「国防の要ですから。軍事に携わらない者でも、この国に住んでいれば知らない者はいないでしょう」


「まあ!」


 父に言えば、きっと当然だという顔で済ますのだろう。


 けれど、私は知っている。

 あの人は、自分の役割に誰より誇りを持っている。


 だからきっと、遠く王都にまでそうしてアルスヴィークの名が知られていることを、口には出さなくとも喜ぶはずだ。


 馬車は緩やかな坂を上っていく。

 同時に、街道を行き交う人の姿も増えていく。


 荷馬車に、薪を積んだ荷車。大きな籠を背負った人々。

 王都ではあまり見かけなかった厚手の外套が、北へ帰ってきたことを実感させた。


「もうすぐですわ」


 窓を開けると、冷たい風が髪を揺らす。


 山道が大きく曲がった、その先。


「――見えました!」


 山々の狭間を塞ぐように、巨大な灰色の城壁が横たわっていた。


 険しい岩山へ食い込むように伸びる外壁。

 いくつもの監視塔。

 その上では、白銀の狼を掲げた旗が北風を受けて翻っている。


「あれが、アルスヴィークです」


 北方最大の都市。

 そして、私の故郷。


 城壁の向こうには無数の屋根が連なり、そのさらに奥、一段高い岩盤の上にアルスヴィーク城が見えた。


「……なるほど」


「?」


 レオニス様は、しばらく窓の外を眺めていた。


「以前、雪ばかりではない美しい場所だと仰っていましたね」


「覚えていてくださったのですか?」


「ええ」


 灰水晶の瞳が、山々の狭間に広がる街へ向けられる。


「観光地として人気な王都とも、南方の港町とも性質の違う美しさですね」


「ふふ、でしょう?」


彼らしい褒め言葉に嬉しくなって、思わず身を乗り出した。


「まだ雪の季節ではありませんけれど、冬はもっと綺麗なんですよ。街も山も真っ白になって、朝には木々まで雪化粧をして――」


「それほど綺麗なのでしたら、ぜひ見てみたいですね」


「…………」


 思わず、レオニス様を見る。


「冬のアルスヴィークを、ですか?」


「ええ」


 なんでもないことのように頷かれる。


「あと二月ほどでしたね」


「……はい」

 

 嬉しい。

 そう思ってから、ふと気が付いた。


 その頃も、レオニス様はアルスヴィークにいらっしゃるのだろうか。


 そもそも、この方がここへ来てくださったのは、お父様の不調を診るためだ。

 お父様のお身体が良くなれば、きっと王都へ戻られる。

 それなら、その方がいい。


 レオニス様が冬までここにいらっしゃるということは、お父様の不調がそれだけ長引いているということなのだから。


 ――でも。

 お父様がお元気になったあとも。

 この景色を見るために、もう少しだけここにいてくださったら。

 そんなことを、ほんの少しだけ思った。


「では、その時には私がご案内しますね」


 気が付けば、そう口にしていた。


「雪のアルスヴィークは、本当に綺麗ですから」


「……ええ」


 レオニス様が、僅かに目を細める。


「楽しみにしています」


 その返事がまた少し嬉しくて、私は窓の外へ目を戻した。


「城は、随分と高い場所にあるのですね」


「はい。城下が落ちた時には、あそこが最後の砦になりますから」


「市街とは別に籠城できる」


「ええ。井戸も食糧庫もありますし、冬を越せるだけの備蓄もしております」


「冬を?」


「もちろんですわ。雪が降ってから薪も食料もありません、では困りますもの」


「……確かに」


 なぜか、少しだけ笑われた。


 やがて馬車が速度を落とす。


 城門へ続く道は真っ直ぐではなく、石壁の間を大きく折れ曲がっていた。


「……これが、記録にあった屈折進入路ですか」


 レオニス様が石壁の上を見上げた。


「ええ。門を一直線には置いておりません」


 第一の門を抜け、道が折れる。

 その先に二つ目の門。


「三重門でしたね」


「まあ。そこまでご存じなのですか?」


「軍記で何度か」


 そう答える声が、ほんの少しだけいつもより弾んでいる。


「実物を見るのは初めてですが」


「ふふ。難攻不落でしょう?」


「……ええ。これは攻めたくありません」


 最後の門を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。


 石畳の道に、肩を寄せ合うように建つ石と木の家々。

 荷車を引く商人、店先へ籠を並べる女たち。

 遠くでは鉄を打つ音が響き、焼きたてのパンと薪の匂いが風に混じっている。


「帰ってきた……」


 思わず零した、その時だった。


「……エレノア様?」


「まあ!」


 知っている顔を見つけ、窓から身を乗り出す。


「ただいま戻りました!」


「エレノア様だ!」


「お帰りなさい!」


「お嬢様!」


 あちらこちらから手が上がる。

 店先にいた人までこちらへ向かって手を振っていた。


「随分、慕われているのですね」


「皆、昔から知っている方ばかりですもの」


「そうですね。でも、それだけではありません」


 どういうことだろうか?

 疑問に思うけれど考える間もなく、見慣れた街並みが次々と目へ飛び込んでくる。


「あちらの赤い屋根は宿屋です。夜は一階が酒場になりますの。その隣は花屋で、薬草や香草も扱っていて――あ、向かいの黒パンも美味しいんですよ」


「……情報量が多いですね」


「あら」


 困ったように言うレオニス様に、私も思わず笑う。


「その先が市場です。冬前になると保存食を買い込む人でいっぱいになります。それから――」


 カン、と高い音が響いた。


「あ!」


 反対側の窓へ身を寄せる。


「こちらが鍛冶師街です!」


 いくつもの工房から煙が上がり、店先には鍋や農具、刃物、その奥には剣や槍も並んでいる。


「アルスヴィークは鉄が採れますから、鍛冶が盛んなのです。腕のいい職人が多いので、武具が必要でしたらいつでもご紹介しますわ」


「今のところは大丈夫です」


「そうですか?」


「私は魔術師ですので」


「ふふ、存じております」


 もちろん、レオニス様がお使いになるものとは限らない。

 贈り物にすることもあるだろうし、魔術師だからといって誰もが武器を持たないわけでもない。


「何か入り用になった時には、ぜひ」


「……では、その時はお願いします」


「はい!」


 そう言っていると、道の脇から大きな声が飛んできた。


「エレノア様!」


「あら、オルグさん!」


 材木を肩へ担いだ大柄な男性が手を振っている。


「また逞しくなられました?」


「分かりますか! エレノア様のことも担げますよー!」


「まあ! それは頼もしいですわね」


 手を振り返し、馬車が通り過ぎる。


「…………」


「どうかなさいました?」


「いえ」


 なぜかレオニス様は自分の腕へ視線を落としていた。


「アルスヴィークはやはり屈強な方が多いのですね」


「ええ。やはり逞しい方は引く手数多です。薪割りも雪掻きも、アルスヴィークの仕事は力仕事ばかりですから」


「……なるほど」


 もう一度、自分の腕を見る。

 レオニス様は魔術師なのだから、筋肉など必要最低限でいいはずなのに。


 羨ましくなったのだろうか?


 馬車はそのまま緩やかな坂を上っていく。


 商業区を抜けるにつれ、賑やかな店並みは少なくなり、代わって兵舎や厩舎、訓練場、大きな倉庫が目立つようになった。


 そして、さらにその上。

 白銀の狼が刻まれた巨大な門が見えてくる。


「レオニス様」


「はい」


門の向こうに見えるのは、華やかな城というよりも、巨大な要塞と呼ぶ方が似合う懐かしい我が家だった。


「あれが、アルスヴィーク城です」


 分厚い石壁に、高く聳える物見塔。

 屋根は雪を溜め込まないよう急な傾斜をつけられ、窓も王都の宮殿ほど大きくはない。

 風雪に晒されることを前提に、余計な張り出しも装飾もほとんど削ぎ落とされている。


 華美な彫刻も、繊細な尖塔もない。

 何百年もの間、この厳しい土地に立ち続けるために形づくられた城。


 冬の寒さにも、敵の攻撃にも耐えるために選び抜かれた形には、一つとして無駄がない。


 だからこそ、美しい。

 飾ることより、そこに在り続けるために磨かれたものに惹かれてしまうのは、この土地で育った者の性なのだろうか。

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