3.謀りの夜
食堂の天板の長い机にエミーリエは一人座っていた。
給仕は口も開かずにエミーリエの前に料理を並べていく。普段からあまり量を口にしないエミーリエへの配膳を、給仕は一度で終えてると壁際へと移動した。
いつもどおりにパウラたちとは時間ずらして食事を摂っていたはずだが、その日はなぜか食堂にパウラがやって来た。
「エミーリエ、こちらのご招待をお受けなさい。返事はこちらで済ませているから、失礼のないようにね」
普段はエミーリエが夜会に行くことを厭うパウラが、なぜが上機嫌で招待状を手渡してくる。
夜会の招待状が届いていることすら知らなかったエミーリエは、まじまじと招待状を確認するが、主催者はただ家名は知っているという程度で面識はない。
「お受けした方がいいのでしょうか?」
「当然よ。こちらは私の実家が懇意にさせていただいている方なの。ベルンハルト様にも、すぐにご連絡しないといけないわね」
夜会へは夫や婚約者と同伴で参加するのが原則だ。婚約者のいない未婚の令嬢は、親族を伴って参加する。エミーリエが参加するのなら、当然婚約者であるベルンハルトも赴くことになる。
エミーリエは妙なことになったと考えながら、ベルンハルトに申し訳ない気持ちになるのだった。
「エミーリエを社交に出すのを嫌がっていたのに、どういう風の吹き回しだろう。でも、そのお陰でエミーリエと参加できるなら楽しみだ」
ベルンハルトがエミーリエを誘うと、何かしらの理由をつけて断り続けていたパウラだ。
エミーリエを社交から遠ざけて、何より人の目につくことを嫌がっていた。屋敷の中だけでなく、社交界からも孤立することを願っていたはずだ。
「勝手を言って申し訳ありません」
「ちょうどうちにも招待状が届いていた夜会だ。気にすることはないよ」
「私は、少し不安です」
今回に限り、パウラの真意が掴めない。
「俺が付いているから大丈夫だ。自慢の婚約者を、友人たちに紹介する機会ができたんだ。ちょうどいいよ」
嬉しそうにそう話すベルンハルトを見ていると、それならばと少しずつ前向きな気持ちになってくる。
それでも、エミーリエが夜会に参加するには、いくつかの問題があった。ドレスは持っているが、それを仕立てたのは随分と前だ。
パウラとアガーテは頻繁にドレスを仕立てているようだが、エミーリエにまでその声はかからない。
体型は変わっていないため着用に問題はないだろうが、流行の移り変わりの激しい社交界では野暮ったいと思われるかもしれない。そんなエミーリエが隣にいては、ベルンハルトも嘲笑されるかもしれない。
思わずそんな不安を打ち明けた。
「うちにエミーリエのために作ったドレスがあるじゃないか。あの中から、今回の夜会の趣旨に合いそうなものを持たせるよ」
男爵家でのエミーリエは、令嬢として遇されているとは言い難い。そのことを知っているベルンハルトは、妻となったときのエミーリエのために、不足なく色々なものを用意してくれていた。
アガーテたちの邪魔が入らないようにと、ベルンハルトの屋敷で採寸し、色やデザインはエミーリエに似合うよう仕立てられたものだ。夜会で浮くこともないだろう。
「何から何まで、ありがとうございます」
「渡すのが少し早まっただけだよ。俺のために美しく着飾ってきてくれ」
そう言うと、ベルンハルトはエミーリエの額に口づけをした。はにかんだ表情で見上げるエミーリエと目が合うと、ふたりで同時に笑っていた。
◇
ベルンハルトの屋敷から運ばれたのは、柔らかな色合いの薄水色のドレスだった。所々に、緑の色合いが見え隠れする。胸元には一緒に送られてきた首飾りが煌めいていた。
「この緑は、ベルンハルト様の瞳の色ね」
ベルンハルトの温かみのある薄茶色の髪と、理知的な緑の瞳。どちらもエミーリエが好きな色だ。
乗り気ではなかった夜会だが、ベルンハルトとの参加や夜会に相応しいドレスが贈られたことで、楽しみにする余裕が出てきた。
しかし、あまりそれを表に出すとパウラが臍を曲げるかもしれないため、心の内に待ち遠しい気持ちを隠していた。
それにしても様子がおかしいのはアガーテだ。
エミーリエがベルンハルトと夜会に参加するというのに、嫌みの一つも言わないのだ。それこそ激昂し、夜会への参加を断固として反対すると予想していた。
夜会にはパウラとアガーテも参加するらしく、準備に余念がない。
エミーリエの父親は相変わらず領地と王都を行き来しているため、仕事を理由に今回の参加を見送ったらしい。
パウラに同行するのは実家の親戚で、アガーテもその従兄弟を伴って参加する。
当日はベルンハルトが迎えに来ると言ったが、パウラがそれを断り男爵家の馬車でパウラたちと共に向かうことになっていた。
夜会への準備は朝から入念に行われる。
髪を洗い、メイドたちがそれを乾かし終わった頃、パウラが呼んでいると執事がエミーリエを呼びに来た。
準備の途中だったが遅れるとパウラが激昂するため、すぐさまパウラの部屋へと向かっていたエミーリエだったが、階段にさしかかったところで、先導していたメイドが思い切りエミーリエの足を引っかけた。。
「きゃあ!」
悲鳴をあげて階段を転がり落ちたエミーリエが見たのは、笑みを浮かべ踊り場に無様に転げている自分を見下ろしているパウラとアガーテだった。
周りの使用人たちもエミーリエに駆け寄ることなく、パウラたちの動向を窺っている。
「まあ、お姉さまが淑女らしからぬ格好をしているわ」
高らかに笑い声をあげ、エミーリエを指さしているのはアガーテだ。
「どうやら足を痛めたようね。その足では夜会に参加するのは無理ね」
「だったら、お姉さまのドレスは私が着ます。私の方が似合うに決まっているわ。お姉さまだけベルンハルト様からドレスを贈られるなんて不公平よ」
今まで何の動きも見せなかったアガーテがここぞとばかりにエミーリエに不満をぶつけている。
「これはベルンハルト様が私に用意してくださったものです。アガーテには貸せないわ」
エミーリエは必死に止めようとするが、パウラに指示された従僕がエミーリエを抱き上げ、元いた部屋へと連れて行く。
従僕が出て行った部屋にメイドたちが現れると、エミーリエの水色のドレスが脱がし始めた。
それを満足そうに見ながら、パウラは執事に声をかけた。
「ベルンハルト様に遅れる旨の使いを出してちょうだい。夜会には少し遅れて参加するわ」
◇
ベルンハルトが男爵家の使いが持ってきた手紙を読んだのは、屋敷を出る寸前だった。
エミーリエに何かあったのではと、胸騒ぎのような者をものを感じつつも、この後会えたときに状況を確認をしようと屋敷を後にする。
主催者にエミーリエが遅れてくることを告げ、先に会場に入ったベルンハルトはそこにパウラの姿を見つけた。
「エミーリエはどこに?」
「本日は、我が家の不手際で遅れてしまい申し訳ございません」
殊勝なことを言いながら、パウラが給仕に視線を送ると、すぐさまベルンハルトにグラスを差し出した。
手に取ったベルンハルトは仕方なく口に含むと、パウラの側にいないエミーリエの所在をもう一度問う。
「エミーリエは?」
「出かけに足を挫いてしまい、今は部屋をお借りして休んでおります」
「怪我の具合は? すぐにエミーリエのいる部屋まで案内を」
屋敷の使用人に案内されて、休憩の部屋まで向かうベルンハルトだったが、はっきりとわかるくらいに不調を感じ始めていた。
グラスの一杯くらいで酔うはずはない。しかし、ふらりと意識が遠のくような感覚に陥っている。
滝のように流れる汗が不快になり、紳士らしからぬ動作で首回りにあるネクタイを荒っぽく緩めると、額の汗を拭うように髪を掻き上げた。
「早く案内を! なぜそんなにもたもたしている!」
恭しくゆっくりと歩く使用人に、思わず声を荒げて先を促す。普段なら気にならないようなことが非常に気に障る。
なぜだか自制が効かない。そう思いながら、いくつもの扉のある廊下を歩いていたベルンハルトの前に、一つの扉が現れた。使用人が扉を開き中へと促すと、ベルンハルトが室内へ足を進めたところで扉は静かに閉じられた。
エミーリエが休んでいると告げられ入った部屋はカーテンが閉め切られて薄暗い、いかにもな休憩のための部屋だった。
時にして貴族の秘密の逢瀬の場となる微かな灯りが点るその部屋に、エミーリエに贈ったドレスを纏った少女がいた。
「エミーリエ……」
そう呼ばれた少女はゆっくりとベルンハルトに近づきその胸に顔を埋めた。すると、いつもエミーリエからする爽やかな花の香りがした。
ベルンハルトは少女に誘われるがままに薄暗い寝台へと歩を進め、気がつくと少女を組み敷いていた。




