2.義母の企て
涼やかな風を受けながら物思いに耽っていたエミーリエのところに、息を切らしたメイドが駆け寄ってきた。
「お嬢様! 子爵家のご令息がお待ちになっていらっしゃいます」
ふらふらと姿を消したエミーリエを捜していたのだろう。口には出さないが、その目がエミーリエへの不満を露わにしている。
婚約者であるベルンハルトが訪れることを、エミーリエは聞かされていなかった。
家族との関係が希薄なエミーリエだ。本来であればエミーリエ付きのメイドが主人に伝えるのだろうが、本日は不在だ。
こうなることを見越してわざと休暇を取ったのだろうかと考えながら、エミーリエは急いで邸宅に戻った。
応接間のソファにいたのはベルンハルトと、着飾った異母妹のアガーテだった。
茶菓子を用意し、優雅にティーカップを持つアガーテが、女主人のようにその場に鎮座していた。
ベルンハルトの対面に座り嬉しそうに微笑んでいたアガーテだったが、エミーリエの姿を見た途端、顔から笑みが消えた。
「お姉様。ベルンハルト様をこんなにお待たせして失礼だわ。一体、どこで何をしていらっしゃったの?」
「庭を散策して……」
「ベルンハルト様がお見えになることはわかっていたことでしょう?」
冷たい眼差しでエミーリエを睨みつけると、アガーテは非難の声をあげた。
「エミーリエ、髪に葉っぱが付いているよ」
くすくすと笑いながら、ソファから立ち上がったベルンハルトがエミーリエの髪をそっと撫でる。
ベルンハルトの背後にひどい形相でエミーリエを睨みつけるアガーテがいた。その視線から逃れるように、エミーリエはベルンハルトに頭を下げた。
「ベルンハルト様、お待たせして申し訳ありません」
「構わないよ」
顔を上げて申し訳なさそうに眉尻を下げるエミーリエを、ベルンハルトはソファに誘導するとその隣に腰を下ろした。
「アガーテ、相手をありがとう」
ベルンハルトがアガーテを呼んだわけではなく、アガーテが押しかけてきたのだとエミーリエには容易に想像できた。
なぜならアガーテはベルンハルトに恋をしていて、義母にエミーリエと婚約者の交代を必死に懇願していたからだ。
恐らくメイドがベルンハルトの来訪を隠したのも、アガーテの差し金だろう。
退席を促されたアガーテは渋々といった体で、応接間を後にした。
「わざわざ来て下さったのに、申し訳ありません」
「俺が来ることを聞いていなかった?」
アガーテが去ったところを見計らって、ベルンハルトが声をかける。
「……はい。申し訳ありません」
嘆息しながらそう問うたベルンハルトに、申し訳なさそうな顔をしたエミーリエが頷いた。
「夫人やアガーテ嬢も相変わらずだな」
「そうですね」
ベルンハルトとエミーリエは十年にも及ぶ間柄だ。当然、ベルンハルトはエミーリエの男爵家での扱いも聞き及んでいる。
一度パウラにエミーリエの態度を咎めるようなことを言ったことがあった。少しでもエミーリエへの風当たりが弱まればと考えてのことだったが、逆にエミーリエがパウラから強く責められることとなった。
婚約者の立場ではあるが、常にそばにいることはできない。
それからはパウラがエミーリエに厳しく当たるような切っ掛けを与えることがないよう気を配り、エミーリエが男爵家を出る日を待ち続けている。
「早くうちにおいで。母も君が嫁いでくるのを楽しみにしている」
現在は婚約期間のふたりだが、あと一つ季節が変われば結婚することになっている。
今より幼い頃は、エミーリエが子爵家の領地に赴くこともあったが、アガーテが年頃になってからは、エミーリエがベルンハルトに会うことを執拗に妨害していた。
そのため、ベルンハルトが男爵家に足を運ばなければ逢瀬すらままならない。
「ありがとうございます。私も楽しみです」
「外に出ようか」
邸宅の中にいるのは、エミーリエの一挙手一投足を義母へと報告する使用人ばかりだとベルンハルトは知っているのだ。
ベルンハルトがエミーリエの手を引くと、腕飾りが澄んだ音を立てた。それは、まだ婚約したばかりの頃に、ベルンハルトが贈った最初の贈り物だ。
光の加減によって虹色に輝く、鈴蘭のような形の鈴がついた腕飾りだった。
「ずっとつけてくれているね」
他にもいくつもの贈り物をしたが、その腕飾りはいつもエミーリエの腕にある。
「宝物なんです」
腕飾りを反対の手で撫でながら、エミーリエは頬を染めながらベルンハルトに微笑んだ。
そのまま、ベルンハルトの腕に手を添えて、ゆっくりと邸宅から外への扉をくぐると、ふたりの髪を風が撫ぜた。
本来であれば侍女が帽子や日傘を用意するのだろうが、エミーリエに侍女はいない。義母が不要とみなしたのだ。
必要なときだけ、体裁のためにエミーリエ付きとなるメイドがいるだけだ。
四阿に向かって歩いていたが、少しの思案の末、エミーリエがベルンハルトの腕を引いた。
「こちらに」
小声でベルンハルトを誘うと、さっき見つけたフェアリーリングへと誘った。
エミーリエに伴われるがまま庭園を歩いていたベルンハルトだったが、白いキノコが円状に並ぶのを見て目を丸くした。
「へえ、不思議なキノコ群だね。あれは何?」
「妖精が輪になって踊った跡なのだそうです」
「確かに、普通はあんなに見事な円になることはないね。珍しいものを見せてくれてありがとう」
ベルンハルトはエミーリエの突拍子もない発現を咎めたり、不快感を示すことはない。むしろ面白がっている様子だ。
それは心の拠り所となって、今のエミーリエを支えている。
そんな生活もやっとあと少しで終わるのだ。
ベルンハルトと結婚し、子爵家に行けば夫となる優しいベルンハルトと、なぜかエミーリエを気に入ってくれている子爵夫人がいる。
「本当に楽しみです」
「良かった」
あまり感情を露わにしないエミーリエが、口の端を上げてベルンハルトを見上げている。
ベルンハルトはエミーリエのこめかみに唇を落とすと、手を引いて四阿へと向かった。
◇
エミーリエがベルンハルトに伴われて邸宅の庭園を歩いている。
それを窓から見下ろしているアガーテは、指が白くなるくらいきつく手の平を握りしめていた。
「お母様! 私の方がベルンハルト様に相応しいのに、どうして私じゃだめなの? どうしてお姉様なの? 先に産まれただけで狡いわ」
「エミーリエの結婚は、旦那様がお決めになったことなのよ。私も何度もあなたにと言っているのに、どうしてもお許しいただけないの」
「お父様はひどいわ。私のことを何も考えてくれていない」
その言葉はある意味正解だった。
パウラの夫は、アガーテのことは何も考えていない。娘に興味すらないのだ。
だがそれは、エミーリエにも嫡子である長男にも同じことがいえる。
エミーリエとベルンハルトとの婚約を解消させないのは、娘が可愛いのではない。子爵家との繋がりが領地経営で有利に働くからだ。
エミーリエとベルンハルトの仲は良好で、子爵家から請われているわけでもないのに、婚約者の挿げ替えなど利点のないことを男爵がするはずはなかった。
「早くどうにかしないと、本当にベルンハルト様とお姉様が結婚してしまうわ」
アガーテは婚約者を決める年頃になっても、ベルンハルトがいいと言って、誰との縁談も頑として首を縦に振らなかった。
目の前ではらはらと涙を流す娘に、パウラはかつての自分を重ねていた。
婚約間近だった貴族令嬢のパウラよりも、ただ美しいだけの平民の娘が選ばれた。エミーリエの母親より自分の方が相応しいと、何度思ったことか。
愛する人と結ばれない惨めさ。あの時の自分と同じ気持ちを、大切な娘に味わわせることになるとは考えてもみなかった。
パウラが窓の外を見ると、庭園を歩きながら微笑むエミーリエがいた。
いつもは感情を見せることがないエミーリエが、ベルンハルトを前にその相好を崩している。
一見従順なように見えて、その実、屈することはなく気ままに振る舞う様子が癇に障る。
夫の中から消え去ることのできない、憎い女とよく似た美貌の娘。
「……あの女の娘から、大切な婚約者を奪ってやればいい」
「お母様!」
期待に満ちた目で母親を見つめているアガーテに向かって、パウラは含みのある笑みを見せた。
パウラの脳裏に過ったのは、社交界で真しやかに囁かれている秘薬のことだ。
その秘薬は接種した者を酩酊させ、理性と判断力を奪って前後不覚に陥らせるというものだった。
一部の貴族たちの秘密の集まりで使用されているらしい。
「アガーテ、あなたがベルンハルト様と結婚したい気持ちに嘘偽りはない?」
「もちろんよ。私はずっとベルンハルト様が好きだったの。それなのに、邪魔をしているのはお姉様よ」
パウラはすぐさま実家への手紙をしたためると、エミーリエにいくつか届いている招待状を手に取った。
エミーリエは令嬢らしからず、風変わりであることをいくら流布しても、なぜだか招待が途切れることはなかった。
煌めくように輝く銀色の髪と透き通った水色の瞳。同じ年頃の令嬢の中でも抜きん出て可憐な娘は、それだけで社交界で注目される存在だった。
忌々しい気持ちを抑えながら、パウラはその中の一つに目を留めると、満足そうに笑みを浮かべてアガーテに企てを打ち明けた。




