↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰より継ぐ  作者: 秒針
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/17

第十話 ラグナ

王都を発って三日目の昼前、街道の先にラグナの屋根が見えてきた。


 歩けば三日ほどと聞いていたから、半日早い。カイルたちは夜明け前に野営を畳み、空が白む頃にはもう歩き出している。誰かが指示を出す前に、それぞれが自分の仕事に手を付ける。旅に慣れた者の歩き方とはこういうものなのだと、ノアはこの三日で知った。


「ノア」


 後ろから、カイルに呼ばれた。


「足、痛いだろ」


「痛くない」


「さっきから歩き方が変わってる」


「気のせいだ」


 背後で、笑う気配がした。


 本当は、昨夜からふくらはぎが重い。右足の小指の付け根にも、一歩ごとに小さな引っかかりがあった。


 街道脇の木陰で、カイルはノアを倒木に座らせた。


「靴、脱げ」


「大げさだ」


「町に入ったら、どうせ一日中歩き回るんだろ。今のうちだ」


 渋々脱いだ靴の下で、小指の付け根が赤く腫れかけていた。まだ潰れてはいない。


 カイルは自分の荷袋から、細い布を一本取り出した。


「見とけよ。次からは自分でやるんだからな」


 布を二つに折って厚みを作り、赤くなったところへ当てる。その上から、指の付け根だけを一周半。


「きつく巻きすぎると、血が止まって指が冷える。巻き終わりは、こうやって内側に折り込む。外に出しとくと、靴の中で擦れて、別のところに豆ができる」


 迷いのない手つきだった。


「……詳しいな」


「昔、そういうのにうるさい兵士がいてさ」


 カイルは自分の足元へ一度だけ目を落とし、それから何でもないように立ち上がった。


「にしても、初めてなら十分よ」


 水筒を傾けていたレナが言った。


「俺は最初から行けると思ってたけどな」


「昨日、何回ノアの足を見てたと思ってるの?」


「そりゃ護衛なんだから見るだろ」


「子供じゃない」


 ノアが靴を履き直しながら言うと、カイルが眉を上げた。


「十七だろ?」


「二十二が言うな」


 ガルドの肩が、僅かに揺れた。笑ったのかもしれない。


 近づくにつれ、ラグナの姿がはっきりしてきた。街道の両側に畑が広がり、その向こうに家並みが何列も続いている。入口へ近づくほど荷車や旅人が増え、街道沿いには宿や食堂が並んでいた。


 町の入口に、太い木の柱が一本立っていた。上の方に、屋根の形と一本の麦穂を組み合わせた印が彫られている。


 ノアは足を止め、懐から銅片を取り出した。表面は擦れ、ところどころに緑青が浮いている。それでも、真ん中に刻まれた三本の麦穂は形を残していた。


 三本の麦穂が、屋根と一本の麦穂になった。四十一号がラグナの人間だったと決まったわけではない。それでも、番号と銅片しかなかった死者から、初めて辿り着けた場所が目の前にある。


「まず詰所だ」


 ガルドが町の中へ目を向けた。


「道中の三頭を報告する。こっちが掴んでることも聞いておきたい」




 警備の詰所は、石造りの簡素な建物だった。正面に王国軍の紋章が掛かり、壁際には使い込まれた長椅子が一つ置かれている。奥の机の前には、先客がいた。母親らしい女と、七つか八つの男の子だった。


 机の向こうで、年嵩の兵士が一枚の刷り物を指でつまんでいた。純白の外套の男が、丘の上で剣を掲げている。王都の露店で、店主が裏返して木箱の底へ重ねていたのと、同じ絵だった。絵の下には、名前が大きく刷られたままになっている。


 アレン・グレイヴ。


「子供のすることだ。今日は取り上げるだけにしておく」


 兵士は絵を二つに折り、机の下の木箱へ落とした。箱の中には、同じ色の紙が何枚も重なっていた。


「だが、次はない。大人が持ってりゃ、ここで名前を控えて、王都へ送るところだ」


 母親は何度も頭を下げ、男の子の手を引いて出ていった。男の子は扉の前で一度だけ振り返り、机の下を見た。


 ノアの手は、上着の胸を押さえていた。


「待たせたな。用件は」


 ガルドが組合の依頼書を机に置き、王都から半日の林の脇で牙狼を三頭仕留めたことを告げた。聞き終える頃には、兵士の眉間に深い皺が寄っていた。


「……そこまで王都寄りに出てたのか。町の近くで見たって報告は増えてるが、そんなに離れた場所の話は初めてだ」


「商隊が襲われた件は」


「七日ほど前だ。ラグナから王都へ向かってた商隊が一つやられた。死人は出てないが、荷馬を一頭持っていかれてる。牙狼だけじゃない。角兎、灰猪。街道の近くで見たって話が、ほかにもいくつか来てる」


「いつから」


 短く訊いたのは、エリスだった。


 兵士はすぐには答えなかった。何かを思い出すように、眉を寄せる。


「……それは、覚えてる。アレン・グレイヴが処刑された日だ」


 ノアは顔を上げた。


「あの日の夕方、街道の近くで灰猪を見たって報告が二件入った。珍しいこともあるもんだと思っただけだったんだが、それからだ」


「処刑の日で、間違いないのか」


 気づくと、ノアは口を開いていた。兵士が、初めてノアの方を見た。


「間違いない。処刑の触れ書きがここへ届いたのは、三日後だった。紙の日付を見て、灰猪の報告と同じ日だと気づいた。妙な符合だと思ったから、覚えてる」


 あの日のことなら、ノアも忘れていない。処刑台の裏で、あの男の身体を引き取った日だ。


「明日、商隊がやられた場所から当たってみる」


 ガルドが依頼書を受け取って下がると、ノアは懐の奥へ指を入れた。畳んだ紙の手触りを避けて、銅片だけをつまみ出し、机に置く。


「もう一つ、訊きたい。これを持ってた人を探してる」


「ああ、三本麦か。昔のラグナの印だな」


 兵士は銅片を摘み上げた。


「名前は」


「分からない。四十前後の男。痩せ気味で、右の脇腹に、木の葉みたいな形の赤褐色の痣がある。手には細かい傷が多くて、親指と人差し指の付け根が硬い。爪の際に、黒ずみが残ってた」


 兵士は腕を組み、しばらく考えてから首を振った。


「悪いな。俺は王都から回されて十年ちょっとだ。それより前の人間となると、さっぱりだ」


 それから、壁際の長椅子へ目をやった。


「古い話なら、夕方まで待つといい。ここで育った男で、昔の同業だ。日が傾く頃になると、茶を飲みに顔を出す。それまでに、東通りを回ってみろ。鍛冶、木工、革。古い店が集まってる」


 ガルドとレナは宿を押さえ、明日の道を確かめに行くことになった。ノアには、カイルとエリスが付いた。




 東通りでは、思った以上に時間がかかった。


 鍛冶屋の店主は、事情を聞くと黙って自分の掌を広げて見せた。火傷の痕と、細かな傷がいくつも走っている。木工所の親方の手も、似たようなものだった。刃物を扱えば指に傷が増え、道具を握り続ければ皮膚の硬くなる場所ができる。四十一号の手と重なるところはある。けれど、どれも決め手にはならなかった。


「手なんて、仕事ではっきり違いが出るもんだと思ってた」


 二軒目を出たところで、カイルが頭を掻いた。


「出ることもある。でも、決めつけて間違えるくらいなら、分からないままの方がいい。間違った名前で送るよりは」


 カイルが、少し黙った。


「……それは、そうだな」


 いつの間にか、エリスが隣にいなかった。振り返ると、通りの角の屋台の前で足を止めている。鉄板の上で、麦の粉を練って薄く延ばした焼き菓子が、香ばしい匂いを立てていた。戻ってきたエリスは、紙に包んだ三つのうち二つを、黙ってノアとカイルに差し出した。


「歩くと、お腹が減る」


 ノアも一口かじった。焦げた麦の匂いが、鼻へ抜けていく。素朴で、少し甘い。四十一号も、子供の頃にこれを食べたのかもしれない。


 東通りの奥に、軒先に鞍を吊るした店があった。扉を開けた途端、生革の重い匂いと、煮詰めた獣脂の匂いが鼻を突く。奥の作業台では、六十を越えたくらいの店主が、厚い革に目打ちを当てて木槌で叩いていた。とん、とん、と、同じ間隔で穴が並んでいく。


 店主は、三人に目もくれなかった。穴を開け終えると、蝋を引いた糸の両端に針を付け、縫い始める。針を抜くたびに、糸を親指と人差し指の間へ巻き取り、手首を返して強く引き締めた。


 ノアは、その指の付け根を見ていた。糸が食い込むのは、四十一号の手が硬くなっていたのと、同じ場所だった。


「その糸、いつもそうやって引くのか」


 店主が、初めて顔を上げた。


「革を縫うなら、誰でもこうだ。締めが甘けりゃ、縫い目がすぐに緩む」


 ノアが事情を話すと、店主は針を置き、自分の手を差し出した。親指の付け根から人差し指の脇にかけて、皮膚が厚く盛り上がっている。爪の際には、染料の色が沈んでいた。同じではない。それでも、今日見てきたどの手よりも、四十一号の手に近かった。


「じゃあ、馬具職人だったのか?」


 カイルが訊くと、店主は首を振った。


「そこまでは言えん。靴屋も鞄屋も、革を縫う。似てるだけだ」


 似ているだけのものを、似ているだけだと言ってくれる。その方が、ずっと信用できた。


「この町から王都へ出た革の職人を、知らないか」


「出ていった奴なら、何人もいる。誰がどこで何をしてるかまでは知らん」


「届けは、どこかに残ってるか」


「役場だ。古い住民台帳がある」




 役場の年配の職員は、転出の届けを綴じた帳面を何冊も抱えてきた。王都へ移った者のうち、年の頃の合う男を一人ずつ拾い、古い住民台帳と突き合わせて生業の欄を確かめていく。窓から差し込む光が、机の上を少しずつ移っていった。


「……王都へ移った届けがあって、革を扱ってたのは、三人だな」


 三つの名前が並んでいた。この中に四十一号がいるとは限らない。届けを出さずに町を出た者もいれば、王都の近くを通りがかっただけの者もいる。


 ノアは、懐の上から銅片に触れた。金物屋の老人が若い頃に見た、今はもう使われていない印だ。四十前後の男が、自分で手に入れた物とは思いにくい。誰かから渡された物なのかもしれない。


 渡した誰かの家が、まだこの町にあれば、右の脇腹の痣を知っている者もいるだろう。


「この三人の、昔の家は分かるか」


 職員は、窓の方へ目をやった。差し込む光は、もう机の端まで来ていた。


「古い方の台帳を出さんと分からん。今日はもう閉める。明日、出しておいてやる」


 ノアは紙と筆を借り、三つの名前を一字ずつ写していった。名前を書くのは、葬送所でいつもしていることだった。四十一号の札には、まだ番号しか書かれていない。


 写した紙を二つに折り、懐へ入れる。


 役場を出ると、通りの影が長く伸びていた。一日歩き回っても、小指に巻かれた布は少しもずれていなかった。




 詰所の扉を開けると、昼の兵士が机から顔を上げ、顎で壁際を示した。


「来てるぞ」


 長椅子に、男が一人腰掛けていた。湯気の消えかけた茶碗を手にして、傍らに杖を立て掛けている。頬に古い刃の傷が一本。兵隊らしい骨張った顔つきなのに、肌は日に当たっていない色をしていた。短く刈った髪には、白いものが多く混じっている。


「昔のラグナの人を探してるって坊主か。話は聞いてる」


 ノアは懐から、写してきた紙を引き出して差し出した。


 男は茶碗を長椅子に置いた。座り直すついでのように、左の脚を前へ投げ出す。長く座っていた者が膝を伸ばすような動きで、足先がノアの靴のすぐ脇で止まった。それから、左手で紙を受け取った。右の袖は、手首の先で丸く縫い閉じられていた。目を細めて一つずつ名前を追い、やがて首を振る。


「どれも、顔までは浮かばんな。俺は若い頃から兵隊で、町を空けてばかりだった」


 紙が返された。男は空いた左手を、そのまま差し出した。


「三本麦を持ってるとも聞いた。見せてくれ」


 ノアが懐から銅片を出して載せると、男は擦り減った三本の麦穂を、親指でなぞった。


「……懐かしいな。俺がガキの頃には、これの付いた古い看板や道具が、まだあちこちに残ってた」


 銅片が、ノアの手に戻された。


「悪いな。役に立てなくて」


 ノアは首を振った。


「さて」


 男は立て掛けてあった杖を取り、それを支えに立ち上がった。前へ伸ばしていた左の足が、床から退く。


 その下に、畳んだ紙が一枚落ちていた。半分ほど開いて、刷られた字が覗いている。


 グレイヴ。


 ノアの息が止まった。写した紙を引き出したとき、重なって一緒に出たのだ。


 男は、奥の机へ一度だけ目をやった。


「落としてるぞ」


 低い声だった。兵士は、書類から顔を上げていない。


 ノアは屈んで紙を拾い、懐の奥へ押し込んだ。指先が、うまく言うことを聞かなかった。顔を上げると、男はもうノアを見ていなかった。


 男が一歩踏み出す。左脚は膝の下から先がなかった。使い込まれた楢の義足が、ズボンの裾から覗いている。擦れて黒ずんだ木肌に、継ぎ目の金具が鈍く光っていた。乾いた木の音が、詰所の床をこつりと叩いた。


 紙の上に載っていたのは、その木の足だった。


「戦で?」


 カイルが、男の袖と脚へ目を向けていた。


「……三年前、ベルガントでな」


 カイルの顔つきが、僅かに変わった。


「俺も行ってた。冒険者の援軍でな。どこの隊にいた?」


 男は、カイルの顔を一度だけ見た。


「アレン・グレイヴの部隊だ」


 懐を押さえていたノアの指が、止まった。


 エリスの視線が、男から、ノアの胸元へ移るのが分かった。


「……そうか」


 カイルが、小さく息を吐いた。


「まあ、お互い、生きて帰れてよかったな」


 男はすぐには答えなかった。縫い閉じられた右の袖口に、目を落とす。それから、口の端を緩めた。


「……そうだな」


 男は扉の方へ歩き出した。木の脚が、一歩ごとに床を鳴らす。


 懐の奥で、畳んだ紙の角が胸に当たっていた。


 ノアは、懐を押さえていた手を下ろした。


「待ってくれ」


 木の音が止まった。扉の前だった。男は杖を右の脇に挟み、左手を取っ手に掛けた。


「アレン・グレイヴは、どんな男だった」


 男は、振り返らなかった。奥の机で、兵士の筆が止まった。


「……何で、そんなことを訊く」


 ノアは、少しだけ迷った。


「俺が、あの人を送ったから」


 取っ手を握った指に、力が入った。


「……送った?」


「葬送士なんだ。処刑の後、身体を預かった」


 男が、取っ手から手を離した。脇の杖を左手に取り直し、ゆっくりと振り返る。その目が、ノアの顔から胸元へ下り、もう一度顔へ戻った。


「ちゃんと、送られたのか」


「ああ」


「……そうか」


 男はしばらく、ノアを見ていた。


「なら、一つだけ教えてやる」


 口の端に残っていた笑みが、消えていた。


「村を一つ、見捨てた男だ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。