第3話 傷跡
町の小さな診療所を営む夫婦、それが私の両親だった。
穏やかで優しい医者の父と、いつも元気で明るい看護師の母。
そんな2人が誇らしくて、大好きで…いつか自分も両親を支えられるようになりたかった。
2人が私を見つめる瞳は、いつも優しくて温かかった。
「ん‥‥」
フワフワと膨張していた意識が少しずつハッキリとしてくる。
両親の夢を見たのなんていつ以来だろう。二人共とても穏やかな顔をしていた。
彼等を喪ってから、こんなによく眠れたのも初めてかもしれない。
「布団の‥おかげかしら‥」
柔らかな枕に思わず顔を埋める。
バレル伯爵の屋敷にいた時の自分の部屋は、それは酷いものだった。固いベッドに薄い布団。辛うじて寝起きが出来るだけの広さ。他の住み込みのメイド達だって、もう少し良い環境にいた気がする。屋根があって食べるものに着るものあるだけ幸せだと、そう自分に言い聞かせてこの11年生きてきた。必死に勉強し淑女の嗜みを身に付け演じ、お嬢様の為にお嬢様の為だけに。
それがまさかこんな事になるなんて。
ベッドから体を起こし、漸く覚醒した頭で昨日の事を思い出す。この温かな部屋と窓の外の雪景色が、決して夢では無く現実なのだと告げていた。
コンコンッと扉をと叩く音が響いた。
「レーナ様、お目覚めでしょうか。お支度の手伝いに参りました」
「は、はい!」
返事を返すと、扉が開き昨夜のメイドが現れた。
「おはようございます、レーナ様」
「おはよう。確か、ルナさん…だったかしら」
そう、伯爵が呼んでいた気がする。
その言葉に彼女は驚いた様に目を丸くした。
「覚えて頂いていたとは光栄です。昨晩は名乗りもせずに申し訳ありませんでした。改めて、この屋敷のメイド長ルナ・クオーレと申します。どうぞルナとお呼びください」
ルナはリディアよりも高い位置にある頭を下げる。彼女は女性の中では背の高い部類になるだろう。年齢も、伯爵とまではいかないが18歳のリディアよりは年上で間違いない。中世的な顔立ちで、学園等にいたら男性よりも女性に人気が出そうだ。
「ご存じだとは思いますが、私も改めまして。レーナ・バレルと申します。よろしくお願いします、ルナ」
リディアの言葉にルナは優しく笑うと、「直ぐにお着替えを準備しますね」とテキパキと動き出した。
その笑顔に思わず胸が高鳴りそうになったのは内緒だ。
ルナが用意してくれた、綺麗なアイスブルーのドレスに袖を通す。こんな豪華な物、持参した覚えはない。
「あの、これは…」
「ああ、リヒャルト様の用意したものです。…10代のレーナ様の趣味には合いませんでしたでしょうか。申し訳ありません。すぐ別の物を」
そう言ってクローゼットから違うドレスを取り出そうとする彼女を慌てて止める。
「だ、大丈夫です!ありがとう、とても素敵です!」
まさか伯爵が選んだものなんて。元より不満などないが、万が一拒んで伯爵の機嫌を損ねでもしたら大変だ。
(氷の伯爵…昨日は偶々機嫌が良かっただけかもしれないし…)
「他にも気になる事があれば、何でもお申し付けください。このクローゼットの中身も全てリヒャルト様がレーナ様へと用意した物ですので、お好きにお使いくださいね」
チラリと見えたクローゼットの中にはとんでもない量のドレスや宝飾品があった。それも、どれも高価そうなものばかり。
(伯爵…いえ、リヒャルト様もバレル伯爵並みにお金使いの荒い方なのね…きっと)
貴族って皆こうなのかしら、と庶民の出のリディアは思った。
これが全て、リヒャルトからの愛を込めた贈り物だと夢にも思わずに。
「朝食の準備も出来ております。リヒャルト様もお待ちでしょうから行きましょうか」
ルナに先導されて廊下を歩く。
窓の外の景色に目をやる。昨日は暗かった為、殆ど見えなかったが本当に雪深い土地だ。雪に覆われた木々と山しか見えない。
(これじゃ、レーナお嬢様が嫌がるわけよね)
このような場所では、お嬢様の大好きなウインドウショッピングも出来ないだろう。
「レーナ様をお連れしました」
ルナの声にハッとする。
そうだ。これから私は此処でレーナとして、リヒャルト様にとって理想的な淑女として振舞わねば。
何があっても私が身代わりの花嫁だとバレてはいけない。
リディアはレーナという偽りの仮面を張り付け、食堂の扉を潜った。
◆
椅子に腰かけ何やら書類に目を通していたリヒャルトは、食堂に現れたリディアとルナの姿を見ると瞳を輝かせて立ち上がった。
「おはよう、レーナ。よく眠れたか?」
リディアの隣までやって来ると、そう優しく問いかける。
そのドレス着てくれたのか、などと言って嬉しそうにほほ笑む。
(……本当にこの人がリヒャルト・レオンハート?)
リディアは背の高い彼を見上げる。
確かにこの大きな背も、顔の傷も噂通りではあるが他は噂とは似ても似つかない。
まじまじと見つめられリヒャルトは視線を逸らした。
「す、すまない。ずっと好いていた君にそんな風に見つめられると…その、照れてしまうな」
(冷徹で残忍な、氷の伯爵とは──!?)
困惑気味のリディアと、それに気付かず照れるリヒャルト。
「リヒャルト様、レーナ様が困っておられます。食事の用意が出来ましたのでお二人ともお座りください」
ルナの言葉に席に着くが、リディアは困惑しっぱなしであった。
「改めて此度の求婚を受けてくれた事、本当に感謝している。こんな田舎に、それも年の離れた相手で申し訳ないとは思うのだが」
食事を進めながらリヒャルトが切り出す。
「とんでもありません。寧ろ、父がご迷惑を…。リヒャルト様のご高配でバレル家は爵位を失わずに済みました。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「そんな気にしないでくれ。俺が君が欲しくてしたことなんだから」
先ほどからこの人は随分とレーナに入れ込んでいるようで情熱的だ。自分に向けられているものでは無いとはいえ、ここまでストレートに伝えられるとリディアの方こそ照れてしまう。
「式の事なんだが、少し先になってしまいそうなんだ。今年は特に積雪が多くて、親族や参列者が此処まで来るのが今は難しくてな」
「そうなのですね」
確かにここまで来るのもだいぶ苦労はした。
「レーナ様が屋敷にご到着された後も、朝方まで吹雪いておりました」
空になった食器を下げながらルナが会話に混ざる。
「君が到着する数刻前からその時だけ、噓みたいに吹雪が止んでいたんだ。まるでこの土地が君が訪れるのを待ちわびていたようだな」
気障な物言いだが、彼が言うとどこか様になっている。
「待ちわびていたのはリヒャルト様でしょう。レーナ様のご到着時刻が分からないのにそわそわと半刻以上前から屋敷の前で待っていたのですから」
それに対してルナがやや呆れたように言った。
「あ、あの寒さの中を半刻以上前から…!?」
いくら雪国の人間だからって無理をし過ぎである。
「ルナー、それは秘密だって言っただろう」
「全くレーナ様がいらして嬉しいのは分かりますが、少々浮かれすぎですよ。それと、そろそろ御出立のお時間では?」
ルナの言葉に、リヒャルトが時計を確認し立ち上がる。
「ああ、そうだったな。レーナ、俺は仕事で少し留守にする。夜には戻るから夕食は共に食べよう。それまで、何か困った事があればルナに言ってくれ」
「分かりました。行ってらっしゃいませ、リヒャルト様」
食堂を出るリヒャルトの後を追い見送る。扉が閉まると、リディアとルナの2人になった。
「‥‥ルナは、リヒャルト様と仲が良いのですね」
先ほどの彼との気さくなやり取り。バレル伯爵の屋敷ではとても考えられない、主人とメイドの会話に思わず言葉にしてしまった。
「兄がリヒャルト様の学生時代の友人でして。私の家はしがない下級貴族なのですが、昔から武に長けた者が多く兄もその1人で今は王宮騎士団に所属しています。私も所属していたのですが怪我をしてしまい、退団するしか無く‥身の置き場に困っていた所、リヒャルト様にお声掛け頂いたのです」
「そうだったのですね」
中性的な顔立ちの彼女の騎士の姿、さぞ美しく勇ましかったことだろう。
「戦場からは身を引きましたが、今でも仕事の空き時間に鍛錬は欠かさず行っています。レーナ様の身は私がお守りしますのでご安心を」
「ありがとう。頼もしいです」
此処に学園の女生徒達がいたら、黄色い歓声が上がっていたこと間違いない。
しかしこの様に働き口に困った友人の妹の世話を焼いたり、本当に彼の噂とは一体何なのだろうかと首を傾げる。そんなリディアの様子にルナも
「いかがされましたか?レーナ様」
と問い掛ける。
‥‥聞いても良いものだろうか。今のリディアには余りにもリヒャルトの情報が無い。あちらは以前よりレーナを知っている様な口振りだったし、聞きたくともリヒャルトは夜までいない。噂のことにしても、本人に直接聞くよりもルナに尋ねる方がマシだろう。
「いえ‥噂に聞いていたリヒャルト様と、直接お会いしたリヒャルト様のお人柄が大分違っていたので少々驚いてまして‥。良くない噂を鵜呑みにしていた自分が恥ずかしく‥」
リディアの発言にルナは目を瞬かせると、ああ!と頷く。
「氷の伯爵、というやつですね。あの噂も間違いではありませんよ。職務を行う時のリヒャルト様は正にその通りの方ですので」
「え‥‥」
「ですが、ご安心ください。あくまで、リヒャルト様のその様な姿は王宮に害をなす者に対してです。この屋敷は先先代の頃から王宮の命で不正を働く貴族などを調べ、取り締まりをしております」
「そういうことだったのですね‥」
確かにその様な立場であるのならば、周りから畏れられる存在の方が何かと都合が良いだろう。またその様な立場故、バレル伯爵の借金の事などもリヒャルトは知ったのかもしれない。バレル伯爵の悪事について言及が無いところを見ると、まだ全てを把握しているわけでは無さそうだが。
「その噂をご存知でしたら、此方に着いてからのリヒャルト様のお姿にはさぞ困惑されたでしょう。レーナ様にはとりわけ優しく甘いですから」
そう、正にその通りである。
「リヒャルト様は以前より私をご存知の様ですが、大変申し訳ないのですが私は過去に直接お会いした記憶が無く‥。父の借金の為とはいえ、何故私を選んでくださったのか分からないのです」
屋敷の立地、彼の噂に風貌。確かに色々と難はあるが、直接話した普段のリヒャルトの雰囲気に更に王宮から信頼を得ている立場を考えれば、この年齢まで彼が独身なのは少々不思議である。
望めばいくらでも貴族の娘が嫁いで来るだろうに。レーナという存在の、何がそこまでリヒャルトの心を掴んだのか。
バレル伯爵の屋敷を出る前、レーナはリヒャルトと面識など無いと言っていたが記憶違いで何か関わりがあったのでは無いか。
そうであれば尚更リディアは心苦しい。彼がそんなにもレーナを求めているというのに、此処にいる自分は身代わりの偽物なのだから。
俯くリディアの本心など知る由も無く、ルナは微笑む。
「レーナ様が覚えていないのは残念ですが、この話はリヒャルト様御本人からいずれお聞きくださいな。これからお二人は夫婦となり、沢山の時間を共に過ごされるのですから」
ああ、やっぱり二人には何かあったのか。
本来なら優しい筈のルナの言葉が、リディアに重くのし掛かった。
その後、ルナに屋敷を案内されたりしたもののリディアの心に巣食った影は晴れぬままだった。
◆
「レーナの元気が無い?」
帰宅後、夕食を共にした2人は現在は就寝の為それぞれ自室に戻っていた。
リヒャルトの自室にて今日の報告をしていたルナの言葉に、思わずリヒャルトは聞き返す。
「ええ。旅の疲れや環境の変化で無理もないとは思うのですが、朝の様子から見ると少々気になりまして」
「‥‥‥やはり、俺の年齢のせいだろうか」
「いえ、若い貴族の娘が歳の離れた方に嫁ぐのは割と良くある話です。聡明なレーナ様でしたらその様なことはお分かりの筈」
顔に影を落としたリヒャルトの発言を、ルナはバッサリ切り捨てる。
「バレル伯爵の借金の事や、その為に自分が嫁がされた事がやはりショックではあるでしょう。正直、使用人を1人も連れずお1人で嫁いで来られた事には驚きました。あの伯爵はやはり非常識です」
「まあ、バレル伯爵が問題のある人物なのは今に始まった事じゃない。俺が提案しなければ、金の為に実の娘のレーナを悪趣味な事が好きな貴族に売り飛ばすつもりだったようだからな」
リヒャルトの言葉に軽蔑と怒りが混ざる。
「まだ、尻尾は掴めないのですか?」
「もう少しと言った所だな。問題のある人物とはいえレーナにとっては実の父だから、あまり事を荒立てて負担にはさせたくない」
「そうですね。ああ、それとレーナ様はやはりリヒャルト様の事を覚えてはいませんでしたよ」
「そ、そうか。まあ‥そうだよな」
目に見えて落ち込むリヒャルトにルナは苦笑いする。
「何故、リヒャルト様が自分を見初めたのかも不思議がられてましたから。きちんとお話しすれば良いのです。その顔の傷が、お二人を繋ぐ大切なものだと」
「そうだな」
とうに痛みは無いが、他の皮膚よりも硬くなり違和感の残る傷跡をリヒャルトは指でなぞる。
「次の休みは急ぎの用事も無い。レーナと共に過ごすとしよう」
「それがよろしいかと」
笑みを浮かべると、ルナは部屋をあとにする。
1人になったリヒャルトはもう一度傷跡に触れると、軽く目を閉じる。
血と痛みの中で、自分を励ます優しい少女の記憶。
「レーナ‥」
彼女にここまで入れ込む自分も如何なものかとは思う。でも、やはり自分には彼女しかいない、彼女が良いのだ。




