第2話 氷の伯爵
レーナが結婚を受け入れたとなって、話はみるみるうちに進んだ。
バレル伯爵も
「おお、レーナ…すまない。なんて親孝行な我が娘よ!」
と、口先では謝罪を述べてはいたが本心では借金が帳消しになりホッとしているのだろう。
レーナの私室には見事な花嫁衣装を纏ったトルソーが置かれていた。
これを身に纏い、私は今日レオンハート伯爵に嫁ぐ為屋敷を出る。
お嬢様が念には念を込め、屋敷から使用人を連れて行く事を拒み文字通りこの身一つで此処を出て行く。
バレル伯爵も心配な素振りはしていたものの、使用人分の出費や手間が減ってこちらも内心喜んでいた。
メイド達に身支度を整えてもらい、一人馬車に乗り込もうとしているとリディアに扮したレーナが近づいて来た。
リディアを見送った後、ウォレスと落ち合い屋敷を出て行く算段らしい。
「お元気で、お嬢様」
リディアの口調を真似たレーナが頭を下げる。
そして
『貴女を手に入れて本当にツイてたわ。最高の身代わりをありがとう』
そう静かに耳元で告げると、再び頭を下げ去っていく。
ゆっくりと馬車が動き出した。
私はこれから、レーナお嬢様として生きていく。
◆
リヒャルト・レオンハート。それがレオンハート伯爵の名である。
歳は今年で30になるが、この年齢で貴族の中では珍しく未婚であった。その理由に、彼の風貌などが影響していた。
彼の顔には右目から頬にかけてとても大きな傷があるという。そして180を超える背丈に、冷徹で残忍と噂される性格。
巷では氷の伯爵なんても言われているとか。
その噂の全てが貴族の娘には嫌煙され、嫁いでくる者がいないのだろう。
娘たちの憧れるであろう、優しい殿方と華やかで幸せな結婚とは程遠そうな相手である。
そんな彼が何故レーナを選んだのか。確かに社交界ではリディアが代わりをする事が多かったので、育ちの良い教養のある娘と見られたのだろうか。それで借金の肩代わりの為に娘を寄こせというのは、やはりレオンハート伯爵も中々アレな人物かもしれない。
「(どちらにしても、伯爵はこれからただの孤児だった娘を貴族の娘と騙され妻に迎える。哀れなのは伯爵の方でしょう)」
屋敷を出てから既に三日。途中の村で宿泊も挟みつつ、漸く馬車の窓から見える景色に雪化粧が見られてきた。レオンハート伯爵の領地に入ったのだろう。
それでもまだまだド田舎とレーナにも称された伯爵の屋敷は遠い。道中に馬のトラブルもあり予定よりだいぶ遅れてしまっていた。
流石に今日中には着くと御者には言われたが既に日が沈みかけている。
これでは到着は夜更けになるのではないか。
「(夜更けに訪れる花嫁なんて非常識な存在…着いて早々にレオンハート伯爵の怒りに触れて、斬り捨てられたらどうしよう)」
リディアはこれから待ち受けるであろう恐ろしい日々に頭を抱えた。
馬車に揺られどれ位経ったのだろうか。肌寒さで目を覚ます。
いつの間にか眠ってしまっていたようで窓の外は真っ暗だ。
「お嬢様、間もなくレオンハート伯爵の屋敷に着きます」
長旅で疲れを滲ませた声の御者が話しかけて来た。
ああ、いよいよか。衣服の皴を手で整える。
馬の蹄の音が止み馬車が停まる。屋敷の周りは除雪されていたようだ。
御者が扉を開け、リディアが馬車から降りる。体が一瞬で冷気に包まれ、白い息が零れた。
雪国の深夜だ、当然とも言えよう。顔を上げると、目の前には月明かりに照らされた白亜の城が佇んでいた。
なんて静かで奇麗なのだろう。
思わず見惚れていると、屋敷の入り口に人影があることに気付く。
漆黒のそれは、夜の闇のせいだけじゃなくその人物が黒衣を纏っていたからであった。
月明かりが彼の顔を照らし、端正な顔立ちに刻まれた痛ましい大きな傷を映し出す。
「レオンハート伯爵…」
鋭い瞳に見つめられ動けずにいると、彼の方から此方に近付いて来る。
我に返り、リディアは慌てて頭を下げる。
「こ、こんな夜更けの到着になってしまい申し訳ありません。ディオ・バレルの娘、レーナ・バレルでございます。この度は…」
言葉の途中で体が温かなものに包まれる。顔を上げると、それは今まで彼が纏っていたコートだった。
「このような遠い所までご足労いただき感謝する。此処は冷える。さあ、早く屋敷の中へ」
そういって冷え切った手を優しく取られた。
温かな空気と優しい光に包まれる。白亜の城は、外観だけじゃなく内装もとても美しかった。
「おかえりなさいませ、旦那様。そしてようこそお越しくださいました、レーナ様」
一人のメイドが綺麗なお辞儀で二人を出迎える。
「ルナ、彼女を部屋に案内してやってくれ。それと何か温かい物も。体もすっかり冷え切っている。湯の用意もした方が良いな」
「かしこまりました」
一瞬で指示を出す伯爵にあっけにとられていると、いつの間にか風呂の準備が始まろうとしているではないか。
こんな遅くに到着したうえに、これ以上迷惑はかけられない。
「あ、あの…」
「レーナ、今夜はもう遅い。長旅で疲れているだろからゆっくり休んでくれ。詳しいことは明日話そう」
そう言い残すと伯爵は行ってしまった。
「レーナ様、此方に」
「は、はい…」
どうすることも出来ず、ルナと呼ばれたメイドに大人しくついていく。
温かな湯舟に体を沈め、ホッと息をつく。案内された部屋も、この浴室もどれも本当に品が良く美しい。高価で良いものが使われているのだろう。
「(バレル伯爵の屋敷とは大違い…)」
あの屋敷はバレル伯爵の金使いの荒さも相まってゴテゴテと何だか悪趣味なもので溢れ正直落ち着かなかった。
それに比べて此処は初めて訪れたというのに、どこか安心する。
用意された真新しい寝巻に袖を通し、部屋に戻るとテーブルの上にはハーブティーが用意されていた。先ほどのメイドだろう。
温かなそれを口にすると、疲れもあってか睡魔が押し寄せて来た。ふかふかなベッドに横になり目を閉じる。
まさか、レオンハート伯爵本人に出迎えられるとは。それもこんな夜更けに。
薄目を開けると、椅子に掛けられた先ほどのコートが見える。
(伯爵の手も、私ほどではないけれど冷たかった。一体いつからあそこで待っていたのだろう)
それにこんな時間の到着になったのに、嫌な顔をするどころか気を使われてしまった。
「冷徹で残忍な氷の伯爵か…」
明日になれば、彼の本当の姿が分かるだろうか。
リディアはもう一度目を閉じると眠りについた。
◆
「ルナ、見たか…馬車から降りて来た花嫁衣装のレーナの姿を…」
自室のテーブルに肘をつき、口元の前で両手を組み険しい顔をしたレオンハート伯爵ことリヒャルトは低い声で呟く。
「いえ、私は屋敷の中におりましたので見てません」
メイドのルナは主人の話を特に気にすることもなく、彼がリディアの到着を待ちながら何杯も飲んでいたコーヒーを片付ける。
「月明かりに照らされて、まるで雪の妖精が舞い降りたかと思ったぞ…!」
リヒャルトは片手で顔を覆い、天を仰いだ。
「なあ、ルナ。本当に彼女が俺の妻になるのだろうか…あんなに可憐で美しく優しい彼女が…」
「リヒャルト様がバレル伯爵と約束されたのですからそうでしょう」
「ああ!彼女がすぐ近くにいると思うと胸が高鳴って眠れそうにないぞ!」
大量に摂取したカフェインのせいもあるだろう。少年のようにはしゃぐ姿を、ルナはやれやれと見つめる。
このリヒャルト・レオンハートという男が、焦がれ焦がれて漸くレーナを手に入れたという事実をリディアはまだ知る由もなかった。




