第1話 身代わり少女
一番古い記憶は、燃え盛る町と横たわるたくさんの屍。自分ももうすぐ彼等と同じようになると思っていたのに。
「まだ、子供ですね。息もあります」
「女か。何かに使えるかもしれん。連れて行け」
自分を見下ろす大人たちの声。痛みと疲労で動かない体を抱き上げられた。
何処に連れて行かれるのだろう。
もう何処だっていいや。ああ、何だかとても眠い。
耐えきれず、瞼を閉じる。
もしこの時、何かしていれば少しは変わっていたのだろうか。
いや、きっと何も出来なかった。生き延びるにはこれしかなかった。
運が良かったと喜ぶべき。
だから、私は決して逆らえないのだ。
「リディア、私の代わりにレオンハート伯爵に嫁ぎなさい」
またレーナお嬢様の我が儘が始まった。
バレル伯爵には一人娘がいる。名はレーナ。歳は18。
可憐で、理想の淑女とは正に彼女の事。
そう、私以外は皆そう思っているだろう。
私、リディアは7歳の頃に住んでいた町が戦争に巻き込まれ全てを失った。
そんな私を拾ってくれたのが、このレーナお嬢様の父親であるバレル伯爵。
戦災孤児を助けたと言えば聞こえは良いが、伯爵が私を拾った理由は人身売買など金儲けの為だったと後から知った。
じゃあ何故、私が売り飛ばされず伯爵の屋敷に今もいるかというとレーナお嬢様の『玩具』として気に入られたからだ。
それは拾われた私が、屋敷に連れてこられて直ぐの事。
父の帰宅を喜んで出迎えたレーナは、父とその部下が連れていたボロ雑巾の様なリディアの存在に気付くと顔を顰めた。
「ひっどい身なりね。…でも、私と同い年くらいかしら?ねえ、お父様、私にこの子を頂戴」
「レーナ…こんなどこの者かも分からぬ娘じゃなくとも、お前にはメイドも学友もいるだろう」
「嫌よ。私、この子が良いわ」
レーナがリディアに近付き、ほほ笑む。
─「だって、私に絶対服従の人形なんて最高に面白いじゃない?」─
7歳でこんな思考を持っていたレーナに恐怖しかなかった。
愛娘のおねだりとあればバレル伯爵も断れず、リディアは建前上はレーナのお世話係となった。
レーナの私室で二人きりになると
「それにしても、先ずはその汚い髪をどうにかしなさいよ。前髪も鬱陶しいわね。全部切っちゃおうかしら」
爆風に巻き込まれ少し焼けてしまいボサボサになった髪。目元まで覆っていたそれを、乱暴に掴まれる。
「あら…?貴女、その顔…」
レーナは目を見開き、まじまじとリディアの顔を見る。
リディアも間近でレーナの顔を見て思わず固まってしまった。
「噓でしょ。貴女の顔、私に似てる」
何の運命のいたずらか…レーナとリディアの顔は瓜二つだった。
勿論、彼女達が実は生き別れの姉妹や双子なんて事実は無く、本当に偶然の事だった。
怪我と汚れで辛うじて少女ということしか分からなくなっていたリディアの姿に、彼女を拾った伯爵もその素顔に気付いていなかったようだ。
最も、気付かれていたら「娘と同じ顔の孤児なんて気味が悪い」などとその場で斬り捨てられていたかもしれない。
孤児が自分と似ているなんて、お嬢様の身分からしても良い気はしないだろう。
暫く固まっていたレーナだったが、何か閃いたようでリディアの前髪を戻し再び目元を隠した。
「貴女、普段はこのまま顔を隠しなさいな。私達の顔が似てるのは二人だけの秘密よ。ああ、本当に便利な物が手に入ったわ」
気持ち悪いほど綺麗なその笑顔に、リディアは頷くしか出来なかった。
─それから11年─
「リディア、これが今日の学校の課題よ。さっさと終わらせといてよね」
「はい。お嬢様」
「あと、週末の社交界いつも通り頼んだわよ。完璧な淑女を演じてきてちょうだい」
「承知しました。お嬢様」
リディアはレーナの面倒事を全て引き受ける身代わりとなっていた。
「ホント、ただの孤児かと思ってた貴女がまさか町医者夫婦の娘で頭が良かったのはラッキーだったわ。おかげで学園の成績も上位。試験の時は貴女を代わりに行かせれば良いだけだもの」
レーナはソファに腰かけ、足を投げ出す。その姿は完璧な淑女とは程遠い。
コンコン、と扉を叩く音がする。レーナは慌てて佇まいを直した。
「どうぞ」
メイドの一人が扉から姿を見せる。
「失礼します。お嬢様、旦那様がお呼びです」
「お父様が?分かった、直ぐに行くわ」
メイドは頭を下げると扉を閉める。
「何かしら。まーた、社交界の招待かしらね。全く、人気者は大変だわ~」
そう言うと、ニヤニヤと顔を緩ませながらレーナは部屋を出て行った。
その人気は全て、身代わりとなったリディアが作ったものだが。
部屋に一人残されたリディアは、ふうッと一息つくと先ほどレーナに押し付けられた課題に取り掛かることにした。
これが日常だった。
◆
課題が全て終わり、時計を見上げればレーナが部屋を出て行ってから一時間以上は経っていた。
「お嬢様、遅いな…」
課題を仕舞おうと立ち上がると、廊下の方からバタバタと足音が聞こえる。
乱暴に扉が開くと、怒り顔のレーナが戻って来た。
「冗談じゃないわ!!」
レーナが怒りに任せて、近くにあった椅子を蹴り付ける。
「ど、どうされたんですか?」
元々ガサツで乱暴な人ではあるが、ここまで荒れているのは珍しい。
「どうしたも、こうしたもないわ!私の結婚が決まったのよ!」
言葉だけ聞けばめでたいことだろうが、レーナの態度からそうではないのだろう。
「失礼ながら、どういった経緯で一体何方に…」
恐る恐る聞いてみれば、レーナは顔を顰めながら吐き捨てる。
「レオンハート伯爵よ…!」
レオンハート伯爵の治める領土は此処からかなり北にある、いうなれば超田舎。それも一年の半分近くが雪に覆われているような土地だ。
更に、レオンハート伯爵の年齢は18歳のレーナと一回りは違う。
そして何よりもそのレオンハート伯爵、性格は氷のように冷徹で残忍、顔には酷い傷のある大男だという噂。
「そんな人に嫁ぐなんて絶対に嫌よ!」
(派手で都会好き、若くて優しく顔の整った男性好きのお嬢様の好みとは真逆も真逆…)
しかしバレル伯爵とレオンハート伯爵の間に、婚姻を結ぶ程の理由などあっただろうか。特別、縁のある相手でもなかった筈。
「どうしてお嬢様がレオンハート伯爵に…?」
「お父様の借金よ…」
バレル伯爵もレーナの親と言うべきか、彼女以上に派手好きで金使いの荒い男だった。
それに、何やら色々悪いことにも手を染めている。
実際、リディアが彼に拾われたのも売り飛ばす目的だったわけで。
「お父様ったら、とんでもない額の借金を抱えてたのよ…!この家が取り潰されるくらいのね!!それをレオンハート伯爵が肩代わりする代わりに、私を嫁に寄こせって!もう決定事項だなんて…有り得ない、本当に有り得ないわ!!」
レーナは頭を掻きむしりながら、地団駄を踏んだ。
いくら娘を可愛がってはいても、家の存続の為には仕方なかったのだろう。
「私、庭師のウォレスと愛し合ってるのよ…どうしてこんな酷い事…」
涙を浮かべるレーナから、何やら初めて聞く話が出て来た。
「ウォレスとですか…?」
ウォレスとはこの屋敷に仕える庭師の一人だ。爽やかで整った顔立ちをした青年である。そして何より女癖が悪い。
若いメイドにもちょっかいを出している所を何度か見たことがある。普段は前髪を下ろし、お世辞にも綺麗とは言えない下働きの姿をしているリディアには見向きもしないが、思い返してみればレーナのふりをしている時に何度か馴れ馴れしく声を掛けられたり触れられそうになったことがあった。あれはそういう事か。
「(貴族の娘と庭師の身分違いの恋…。全く、お嬢様の好きそうなことだわ。それにこの感じだと、関係に酔っててウォレスの女癖の悪さを知らなさそうね…)」
周囲には秘密の禁断の恋(恐らくウォレスは遊びだろうが)を引き裂く結婚。
その悲劇に、遂には蹲り泣き出したレーナをどう宥めるべきかとリディアは頭を悩ませる。
「嫌よ…レオンハート伯爵なんて絶対嫌…何で私がこんな目に…私…私が…」
ブツブツと言葉を繰り返していたレーナが急に静かになったかと思うと、ゆっくりと顔を上げた。
「リディア、私の代わりにレオンハート伯爵に嫁ぎなさい」
またレーナお嬢様の我が儘が始まった。
しかし、いつもの我が儘とはわけが違う。
「流石に無理です、お嬢様。社交界や試験、習い事を入れ替わるのとは訳が違います」
替え玉を嫁がせるなんて万が一バレたら家の取り潰しは勿論、下手したら戦争にまで発展しかねない。
「大丈夫よ。レオンハート伯爵の屋敷はド田舎。一回嫁いでしまえば、お父様だって早々訪れる事はないわ。それに私、レオンハート伯爵に会った事も無いもの。貴方は?」
「社交界等でも無いかと…。あちらが一方的にお嬢様を知っているだけかとは思いますが…」
「でしょ?ならバレることなんてないわ。安心なさい。私はウォレスと駆け落ちするわ。彼ずっと、身分の差さえ無ければ私と生きていけるのにって言ってくれてたもの!」
またそんな都合の良い言葉を…。
「いくらお嬢様のお願いでも今回ばかりは承諾出来ません」
「私に逆らうっていうの?今すぐここで貴女が私を脅し、なり替わろうとしていると風潮して処分しても良いのよ?下働きの貴女なんて即斬首でしょう」
レーナは、ぐいっとリディアに顔を近づける。お前に拒否権などない、主は自分だと。そう圧をかける。
「万が一、レオンハート伯爵に貴女が偽物だとバレたら間違いなく戦争になるわ。この領地に貴女のような孤児が溢れないよう、頑張りなさいね」
脳裏に、幼い頃見た地獄のような光景が蘇る。
「…承知しました」
この言葉以外の答えはなかった。




