1-9 テレサ・ルデル先生への手紙
整備した後のスケートリンクで、わたしたちは気持ちよく滑走した。ジェレミーは「ジェレミーさま、いっしょにすべろう」「わーい、並んで滑ろうよ」「僕、ジャンプができるようになったから、見てください」なんて口々に言いながら遊びに誘ってくる町の子どもたちに混ざって、楽しそうに滑っている。
わたしがマンツーマンで厳しく技術を叩き込んだため、ジェレミーは頭ひとつ抜けたスケーターなのだ。
可愛いジェレミーに厳しく教えるのは心が痛むけれど、保育というのはベタベタに甘やかせば良いだけのものではない。子どもが健やかに成長し、いつかひとり立ちするための力を育むのが本当の愛情だと思う。
ジェレミーがひとり立ち……わたしから離れて自立した人生を歩む……。
『おかしゃま、さようなら!』
大きくなったジェレミーが、子ども時代を卒業して去って行く幻が見えてしまい、わたしは「うっ」と胸を押さえてうめいた。
「シャロン様?」
「子離れが辛いわ……」
「あっ、はい、アホですね」
キッとドナを睨むと、失礼な側仕えは「わたしはずうっとシャロン様の側にいて、寂しくなったらヨシヨシしてあげますからねー」と言って、わたしの頭を撫でた。
「おまえは、主人に向かってなんて口のきき方を……」
「偉いですよ。ほんとマジ、シャロン様は立派な人ですわ。だからドナが甘やかしてあげます。偉い偉い」
ぽん、と軽くわたしの頭を叩いてから、ドナは「ルデルせんせー、すっ転ぶことを恐れちゃ駄目っすよー」と言いながら滑り去って行った。
まったく、失礼で……果てしなく失礼なんだけど、いい子なのよね。
帰りの馬車では、ルデル先生はわたしの魔法を難解な解釈を交えながら褒めたたえるという、魔法に興味がない者にとってはつまらない話題を延々と繰り広げた。それでも馬車の中に外気より冷たい風が吹かなかったのは、「そうなのよ、おかしゃまはとってもすごいおかたなの。まほうのめがみさまなの」と、ジェレミーが激しく同意して大喜びする様子があまりにも可愛らしかったためだ。
嬉しそうなジェレミーの姿を見て、心が暖まらないものなどいないのだ。なぜなら、天使だから! 天使の笑顔は長い冬さえも吹き飛ばすパワーを持っているのだ。
「女神様? 氷の女王様ではないのですか?」
「おうつくしくて、おやさしくて、たくさんのことをしっていて、おうたもとてもおじょうずだから、ぼくはめがみさまだとおもうの」
「確かに……人智を超えた魔法をお使いになられるのだから、魔法の女神様とお呼びする方がふさわしいですわね!」
「そなの」
ふたりに向かって「それは褒めすぎよ」と諌めたけれど、三歳のおこちゃまも魔法の知識以外はおこちゃまレベルのエリート魔法使いも、ちっとも聞いちゃくれない。
そして、ドナとセシリーは「この冬の工芸品の売り上げはどうなのかな」「着実に増えていますが、もっとはっきりした数字が欲しいですね」「ミミルカさんに計算してもらうから、数字を渡しておいてくれる?」「はい、了解です」などという難しい話をしている。
どうやらセシリーもドナの下僕……違う違う、経営その他のお手伝いをしてくれる有能な手下……じゃなくて、使用人になってくれているみたいね。
それから数日は、新しく魔法の授業というカリキュラムが加わって、ジェレミーは充実した毎日を送った。テレサ・ルデル先生はマイラとハワード先生と相談しながら、一週間の時間割を組んでくれた。
「おかしゃま、ここはね、おかしゃまはだっこしてもらって、おはなしをよむじかん!」
「まあ、楽しそうなお時間ね」
「ぼくね、ぼくがおはなしのごほんをよんであげられるように、おべんきょうをがんばります」
時間割を見せながら、やる気に満ちた宣言をする。頼もしいわ。可愛くて頼もしくて、ジェレミーは世界一の男の子よね。
「でもね、ぼくね、おかしゃまがほんをよむおこえが、とってもすきなの。だからね、ときどきよんでくれるとうれしいの」
「もちろんよ、ジェレミー。お母様もジェレミーにご本を読むのはとても楽しくて好きなのです。聞く楽しみと、読む楽しみと、両方あって素敵ね」
ジェレミーは頬を染めて、嬉しそうに頷いた。
今まで研究に明け暮れていた割には、ルデル先生は子どもの扱いも教え方もとても上手だったので、ジェレミーは順調に魔法の知識と扱い方を身につけていった。天使のようなこの子が悪用するわけはないけれど、魔法を扱う時の注意や危険性も念を入れて教えてもらっている。そのあたりはさすがは魔法院の魔法使いだけあってしっかりしていて助かる。
これでまた一歩、ジェレミーが悪の魔王化する未来から遠ざかることができたと思いたい。
そんなある日、王都からルデル先生宛てに速達が届いた。それも、小さな魔物を従属させる『テイム』という特殊な技術を持つ魔法院の魔法使いが、ブルーイーグルという魔物に手紙を持たせてセイバート領まで飛ばせたのだ。
屋敷の前で『ルデル、ルデル、ルデール! ルデルニテガミー!』と叫ぶ、鷲の魔物を見た時は驚いたわ。「あら、賢そうな子ね」とブルーイーグルを見たら『ゴゴゴゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサーイッ!』と悲鳴をあげられてしまったのは納得できません。このわたしが褒めてあげたのに、失礼な魔物だわ。
ルデル先生は慣れた手つきで鷲にくくりつけられた手紙を受け取ると、鷲の身体に魔力を流した。
「ヨーダライトさんに、受け取りましたと伝えてね」
『ウケトリマシター、ウケトリマシター』
そう復唱してから、鷲の魔物は空高く飛び去った。
「重要な手紙みたいね」
「失礼して、読ませていただきます」
そう言うと、ルデル先生は部屋に戻った。
わたしが家政婦長のセレアと夕食のメニューについて話していると、ドナが慌ててやって来た。
「シャロン様、ルデル先生が大変なんです。ちょっと見てくれますか?」
「どうなさったのかしら」
わたしは念の為にセレアも連れて、ルデル先生のところに行くと、部屋に座り込んだルデル先生は、涙を流しながらはあはあと異常な呼吸を繰り返していた。
「先生、しっかりしてください、先生!」
セシリーがなだめようとしても、イヤイヤしながら絨毯を掻きむしる。
これ、知ってる。過呼吸発作だわ。
保育士になる勉強をしていた時に学習した。精神的に不安定になると起きやすいのだ。さっきの手紙になにが書いてあったのだろうか。
わたしはルデル先生の傍にしゃがむと、背中をさすりながら「息を吐きなさい。もう充分に吸えていますからね、今度は吐きましょう」と声をかけた。
でも、ルデル先生はまだイヤイヤしながらヒューヒューと変な音を立てて息を吸おうとしている。
「吐いて。吐くのよ」
イヤイヤイヤイヤ。
「もう吸う必要がありません」
イヤイヤイヤイヤ。
「このわたしが息を吐けと言っているのがわからないの? さっさと吐きなさい!」
先生はヒュッと音を立ててから動きを止めて、ゆっくりと肺から空気を押し出した。
ドナが「こえー。けど効果は抜群だわ」と呟いた。
「できるじゃないの。さあ、そのまま深呼吸を続けなさい」
ルデル先生は頷くと、素直に深呼吸を繰り返した。それから、なにかを話そうとしだけれど、上手く喋ることができないので、床に落ちていた手紙をつかんでわたしに押しつけた。
「読んでいいのね?」
目をつぶって呼吸を繰り返すルデル先生が頷いたので、わたしはその手紙を読んだ。
王都に住んでいたルデル先生のお姉さんとその旦那さんが、事故で亡くなったという知らせだった。
「奥様、ルデル先生は幼い頃に両親を亡くして、お姉さまに育てられたそうです」
涙でぐしゃぐしゃになったルデル先生の顔を拭きながら、セシリーが説明をしてくれる。
「先生以外に身寄りがないため、葬式を出してもらいたいと……」
「そう、だったの」
わたしは「お姉ちゃん……どうして……」と、喉をひくひくさせながらうわごとのように呟く、歳下のルデル先生を見た。




