1-10 先生の帰還
「気をつけていってらっしゃい」
わたしたちは玄関ホールにきて、王都へと旅立つテレサ・ルデル先生を見送る。
「行ってきます。奥様、このたびはご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「あら、気にしなくていいのよ。あなたはもう、このセイバート家の仲間なのよ。セイバート家がしっかりとサポートをしますからね。わたしを信じなさい」
「はい」
目を真っ赤にしたテレサ・ルデル先生は、手紙がついてすぐに支度を始めて翌日には王都へ向けて旅立つことになった。姉であり親である大切な存在を失い、かなり動揺していたので、精神状態が心配だった。そこでダリル様と相談をして、お供として『王都のマーケティング』という名目で、セシリーをつけてある。
まだ若いルデル先生だけど、魔法院の魔法使いというのはこの国での重要人物である。なにかあったら紹介してくれた国王陛下に申し訳が立たない。
よく眠れなかったのか、先生の顔色は優れない。そんな彼女にセシリーが寄り添って支えている。
「セシリー、市場調査を頼みましたよ」
ルデル先生の気持ちの負担にならないように、あくまでもセイバート家の都合でセシリーを王都に向かわせるという体裁を保つ。
「はい、お役目をこなして参ります」
オレンジの髪を後ろでまとめたセシリーは、わたしの目を見て頷いた。
「るでるせんせい、きをつけてね」
ジェレミーは小さくて温かい手で先生の手を両手で握って言った。
「ちゃんとぶじにかえってきてね。ぼくがついていって、おまもりできるといいんですけど」
ジェレミーには先生の事情を説明してある。幼い頃に産みの母を失って寂しい思いをしたこの子は、ルデル先生が親代わりだった姉を亡くしたことを理解して、とても心を痛めているのだ。
「ぼくは、まほうのおべんきょうをして、せんせいをおまちしていますね」
ジェレミーのうるうるおめめで見つめられたルデル先生は、ほんの少し微笑んだ。
「心配してくださってありがとう、ジェレミーぼっちゃま。わたしはセシリーが一緒だから大丈夫ですよ。わたしが留守の間もお勉強に励んでください」
「はい、せんせい」
ジェレミーは今度はセシリーの手を取って「せんせいのこと、よろしくおねがいします」と言った。
「はい、ジェレミー様」
「とてもつよいきしがいっしょについていくから、あんしんだとおもうの」
今回、王都に護衛として同行する三人のセイバート領の騎士たちは、ジェレミーの信頼に応えるように胸を張った。
「ルデル先生には、他には親戚がいないのかしら」
出発のあと、ドナに聞いてみた。
「庶民は貴族と違って、日々の生活を送ることが大切で家だのなんだのにかまっていられない人が多いですからね。故郷を離れて暮らす者も多いですよ。才能があるルデル先生の魔法教育のために、お姉さんとふたりで王都に出てきたのかもしれませんね」
「そう」
魔法院には仲の良いお友達がいるといいんだけれど。
セシリーをつけられてよかったわ、ひとりぼっちで最後の身内のお葬式を出すなんて辛すぎるもの。
わたしは子どものように泣いていたルデル先生の姿を思い出して、胸を痛めた。
「奥様、ルデル先生がお戻りでございます」
「ええっ、もう? 嘘でしょう?」
ルデル先生は王都で葬式を出して、姉夫婦のあれこれを片づけなければならないから、しばらくは戻って来ないと思っていた。
しかし、最初に来た時も唐突に現れたけれど、今回もあっという間に戻って来たのでわたしは驚いた。
ジェレミーと絵本の読み合いをしていたので、そのまま出迎えることにして玄関に向かった。すると、そこには緊張感溢れる若き魔法使いと、困った表情のセシリーがいた。
「ええと、おかえりなさい。早かったわね……って、え?」
ルデル先生は、ちょうどジェレミーくらいのちっちゃな女の子を連れていた。肩よりも少し長い、先生と同じピンク色の髪に、新緑のように爽やかな緑色の瞳をした、可愛らしい子だ。
今は怯えて、ルデル先生の手を握りながら震えているけれど、お人形さんみたいで可愛いわ。もしかしてわたしの顔が怖いから怯えているのかしら……だとしたらショックだわ。
と、ジェレミーがそっとわたしの手を握った。
「どうしたの?」
尋ねても、珍しく返事をしない。ちょっぴり口を尖らしているのが可愛らしい。どんな顔でも天使だけどね。
わたしが指先でジェレミーの頬をくすぐると、もじょもじょっと身体を動かしてから、わたしの顔を見上げてにっこりした。
やんもう!
超可愛い!
わたしたちがいちゃいちゃしていると、ルデル先生は小さな声で言った。
「奥様……一生のお願いでございます。この子をわたしの側に置いていただけませんか?」
「え?」
突然どうしたのかと思っていると、先生は必死の形相になった。
「お屋敷内には無理ならば、フルーナの町に家を借りてこちらに通いたいと思います。でも、日中もできるだけ、この子の側についていてやりたいのです! お願いします!」
わたしは、泣きそうな顔で先生を見ている女の子を見た。
「ごめんなさい、話がよくわからないのよ。その子はどなたなのかしら。まずは紹介してくださる?」
もしかすると、ジェレミーの学友とか側仕え候補にするために連れて来たのかな? 幼い頃から魔法の才能があるお子さんなのかもしれないわね。
それならば、大歓迎よ。
けれどルデル先生は辛そうな表情で言った。
「この子は、わたしの姪っ子のミリアムです」
「……姪御さん?」
「はい。姉の忘れ形見なのです」
つまり。
両親を突然の事故で亡くした子どもというわけね。
なんてことでしょう、まだこんなに小さいのに……。
わたしは今にも消えてしまいそうに弱った子どもを見た。
「他に身寄りがないので王都の孤児院で保護されていたんですけれど、ショックが大きいのもあって馴染めないそうなんです。皆さん良い方ばかりなのですが、会いに行ったらわたしから離れることができなくなってしまって。承諾もなく連れて来てしまって、申し訳ありません」
ルデル先生は深々と頭を下げた。
「お願いします。落ち着くまで、離れないでいてあげたいんです」
「……」
わたしは、ピンクの髪の女の子を見た。
ミリアムちゃん……ミリアムちゃん? ミリアム?
思わずぽかんと口を開けてしまい、慌てて閉じる。
ミリアムって、この子、もしかしたら、『フルール・ド・グラス』のミリアムなんじゃないの?
光魔法の才能があることがわかって貴族に引き取られる、ミリアムだわ。
えー、ヒロインちゃん?
なんでヒロインちゃんが、魔王ジェレミーの実家に来ちゃったの?
ストーリーはどうなってるの?
「ええとね、ミリアムちゃんは、何歳かしら?」
「三歳です」
わあ! ジェレミーと同い年だわ! 同級生になる子だわ!
「姉は魔法を使うほどの魔力はなかったのですが、この子はわたしに似て魔力量が多くて、将来は魔法使いになれる可能性があります」
「やったねシャロン様! きっと、セイバート辺境伯家の役に立てる人材に育ちますよ」
無言になったわたしを、ドナが肘で突きながら言った。
「セイバート家に貰いましょう」
いやいや、青田買いにも程があるわ。
別に、我が家の役に立たなくてもかまわない。すべての子どもに適切な保育を与えるのは当然のことだから、ダリル様が承諾するなら面倒を見てあげたい。
それに、いくらなんでもこんなに小さな子まで下僕にしようなんて考えないわよ……あっ、下僕って言っちゃった。違いますわよ、信頼できる側仕えですわ。
「わかりました。ルデル先生、悪いようにはしませんので、まずはお部屋でおやすみなさいな。サブベッドを先生の部屋に入れてちょうだい」
わたしは家政婦長のセレアに命じた。
「ふたりがゆっくり休めるように整えなさい」
「承知いたしました」
「セシリーは、少し休んだらわたしの部屋に来なさい」
一応、ミリアムの為人を確かめて、ジェレミーの側に置いても大丈夫かを判断しなくてはね。なにしろフルグラのお話の中では、イケメンたちを引き連れたミリアムはジェレミーと派手に敵対していたんですもの。




