1-4 お騒がせお母さん、再び
「シャロン、ただいま」
「お帰りなさい、ダリル様」
ちゅっ、ちゅっ。
「おとしゃまー、おかえりなさい」
「ただいま、ジェレミー」
抱っこしてちゅっ、ちゅっ。
セイバート家では、行ってらっしゃいのお見送りとお帰りなさいのお迎えは、可能な限りすることにしているのである。
ほっぺにキスするのもお決まりだ。
「ダリル様、今日は魔法院からテレサ・ルデル先生がいらっしゃったのよ」
わたしはジェレミーにそっくりの(というか、ジェレミー『が』そっくりなのね)黒い髪に真っ青な瞳をした、妙に熱い視線でわたしを見て微笑む夫に報告した。
ああもう、うちの夫は顔が良すぎて正視するのがつらいわ。
でも妻の務めを果たすために、シャロン、がんばる!
諸事情により、わたしたちはこの春に行う結婚式までは形式だけの夫婦なのだけれど、ダリル様は隙あらば口説こうとして迫ってくる。そこへジェレミーが「おかしゃまのことがいちばんすきなのは、ぼくなのに!」と割って入ってきて父子でわちゃわちゃした喧嘩が始まるのがお決まりのパターンだ。
ちなみにあまりに酷いと、うちのドナがふたりに雷を落とすというのもお決まりなのである。
「予想よりも早いおつきだったわ。優秀な人はフットワークが軽いのかしら」
「かもな。そうか、兄上が紹介してくれたジェレミーの魔法の教師がやって来たのか。どうだった?」
「少しユニークなところもあるけれど、この地に馴染みそうなお嬢さんよ」
「それは幸いだ」
野生の勘が鋭いドナが「ふっ、良さげな先生ですね」と人柄を判断したので、きっといい人だと思うのよね。慣れてきたらわたしのことを「はうっ、魔法の女王様、尊い……」と変な目で見るのが気になるけれど、害がないならかまわないわ。
「長旅でお疲れだと思うから、ダリル様にご紹介するのは明日でもいい?」
「ああ、明日の午前中は屋敷にいるからな。書類を片付けなくてはならないんだ」
「毎日お疲れ様」
ということで、家族でディナーをいただいて食後にのんびり交流してから、おねむになったジェレミーを寝かしつけ、ダリル様は国王陛下に、わたしは兄たちに手紙を書くのでそれぞれ自室に戻った。
その晩、わたしは夢の中で目を覚ました。
夢だとわかっているのよ。明晰夢と呼ばれるものに似ているけれど、これはちょっと違うみたい。この感じ、以前にもあったもの。
自室のベッドで寝ている状態だったので起き上がり、ベッドに腰掛けていると、名前を呼ばれた。
「柚月さん!」
「あらま、やっぱりジャクリーヌさんだったのね。お久しぶりー」
夢の中に現れた、茶色の髪をくるんくるんとカールさせた若い女性は、二十歳の時にお亡くなりになったジェレミーのお母さんだ。
この人、可愛らしい見た目にそぐわずにパワフルなお騒がせお母さんである。ジェレミーをいじめて追い詰める運命のシャロンさんに体当たりをしての魂を吹っ飛ばし、身体を池に落としてしまった。そこにわたしこと小林柚月二十三歳独身もちろん彼氏なしの、日本をおさらばしたばかりのわたしの魂が入ってしまったのだ。
これは明らかに殺……いいえ、不幸な事故よ。ちなみに中身のシャロンさんはこの身体やこの世界が窮屈で気に入らなかったらしくて、出してくれてありがとうとばかりに大喜びでどこかに去って行ったらしいから、まあ、丸く収まったということにしましょう。
今頃はきっと、どこかの世界の自立した女性に生まれ変わって、ぶいぶい言わせていると思うわ。
わたしはドレス姿のジャクリーヌさんに言った。
「ジェレミーのことなら心配ないわよ。毎日明るく可愛く楽しそうにすくすく育っているわ。最近はスケート遊びにもハマってね、ちっちゃなジャンプをして、それはもう可愛らしいったらないわ! 運動神経がいいのよね、将来が楽しみな自慢の息子よ。もちろん、魔王になんてさせませんからね」
「ええ、ええ、柚月様には感謝してもしきれませんわ。どうぞこのまま、あの子を幸せに健やかにお育てくださいませ」
「それは任せてちょうだい。世界一幸せに育てちゃうんだから。だってジェレミーは天使だもん、すごーくすごーくいい子でちっちゃな貴公子で、すべての人に愛されるような男の子なんだから」
親バカですみません。
そして、こちらも親バカなジャクリーヌさんがめちゃくちゃ満足そうな顔で、「ありがとうございます、ありがとうございます」と涙ぐんで喜んでいる。
しばらくジェレミーの話題で盛り上がっていたのだけれど、ジャクリーヌさんが不意に笑顔を消した。
「そうでしたわ! わたしは『ジェレミーを愛でる会』に参加しに来たのではございませんわ」
「違うの? 『ジェレミーを愛でる会』の開催は大歓迎なんだけど」
「このままあの子の可愛さを語り続けていたいのはやまやまなのですが……わたしは柚月様に警告に参りましたの」
ジャクリーヌさんが不穏なことを言い出した。
「柚月様のおかげで、『フルール・ド・グラス』の世界が変容しております。そのため、今は本の内容が揺らいで、一部読めなくなっている状態なのですわ」
「それは良いことよね?」
そういえば、シャロンになった時よりも日本での記憶が薄らいできている気がする。『フルール・ド・グラス〜失われた王国〜』の内容もざっくりしたあらすじしか覚えていない。
ジェレミーと敵対する光の魔法使いの女の子の名はミリアム、だったかな? もうひとり、カップルの片割れは名前が思い出せないわ。
ジャクリーヌさんは、難しい表情だ。
「はい。ジェレミーの未来は変わりつつあります。けれど、まだ懸念している事柄がございますの」
彼女は眉をひそめて言った。
「ジェレミーが恐ろしい力をふるって、魔王と呼ばれ始めた辺りの描写を覚えていらっしゃいますか?」
「ええと……うっすらとだけど。継母のシャロンがジェレミーを虐待して、自分のために世界を手に入れなければ息子だと認めないとかなんとか追い詰めて……で、キレたジェレミーがシャロンを亡き者にして……」
義理とはいえ、母の愛を欲しがっていたジェレミーはその手で母を殺してしまう。そのため精神に異常な負荷がかかり、崩壊してしまったのである。
青年のジェレミーが魂を引き裂くような嘆きの叫び声をあげる描写は、敵キャラながら涙ぐんでしまうほどに悲壮だった。
「そこに、父親はどうしているか、書いてありましたか?」
ジャクリーヌさんに尋ねられて、わたしは首をひねる。
「思い出せないわ。あれれ、どうしてなかったのかな? ダリル様の存在が感じられないわ。いくら不在が多い父親だとしても、息子のためになにも行動しないのは変な話よね」
「はい。柚月様のお読みになった物語はジェレミーがある程度育ってからのものです。だから、そこにはダリル様は存在していらっしゃいませんのよ」
わたしは「えっ?」とジャクリーヌさんを見つめた。嫌な予感がする。
「ジェレミーの幼い頃に、ダリル様は命を落とされています」
わたしは眩暈がするほどショックを受けた。
そうだ、青年になったジェレミーの家族は継母のシャロンだけだと書いてあった。それはつまり、それまでにダリル様の命は……。
「でも、まだ無事だわ! ダリル様は生きてるわよ」
「はい。ということは、ここから先になにかダリル様の命を脅かす出来事があるということなのでございます。柚月様があまりにものんきに暮らしておいでなので、注意喚起に参りましたのよ」
ジャクリーヌさんは「父親が死んだら、ジェレミーがショックを受けてしまいますからね」と真面目な顔で言う。この人、清々しいほどにジェレミーのことしか考えていないわね! 元夫の心配もしようよ!
わたしが渋い顔をすると、彼女は「わたしにとってダリル様は、ジェレミーの父親という認識しかございませんの。会話をすることすらほとんどありませんでしたから」と言い訳をした。
「貴族の夫婦にはよくあることですが、わたしは政略結婚でセイバート家に輿入れ致ししました。跡継ぎが必要だからと子を産まされ、病気になっても多忙な夫はろくに見舞いにも来なくて、そのまま孤独に亡くなりました」
「……それは、酷いと、思う……ごめんなさい」
それ以上なにも言えなくて困ってしまうと、ジャクリーヌさんは手をぱたぱたと振りながら「いえ、あの頃はセイバート領で魔物の大発生があり、正体不明の他国の間者とかならず者とかが入り込んできて、その対応で必死だったのでございますよ。ダリル様はほとんど屋敷に戻れませんでしたの。ですから、それを恨んではいませんからね」と言ってくれた。
「嘘です、実はちょっぴりだけ根に持ってます」
正直者のジャクリーヌさんが付け足した。
「でも、今のダリル様が懸命にジェレミーの父親を務めて可愛がってくださっていらっしゃるので、みんな水に流しますわ」
うん、ブレないジェレミーファーストだ。
「それから、柚月様にはこの世界で幸せになっていただけないと困りますの。わたしは、そうは見えないかもしれませんが、柚月様にとても感謝しておりますし、責任も感じているのです。ダリル様が若くして亡くなったりしたら、柚月様もジェレミーも悲しくて不幸せになると思います。なので、なんとか致しましょう!」
彼女は『お母ちゃんに任せなさい!』とでも言うように、拳で胸をドンと叩いた。今日のジャクリーヌさんはひと味違う。とても頼り甲斐がありそうだ。
「それじゃ、ダリル様の運命についての情報を教えてちょうだい。詳しく記録されたものを読んだんでしょ?」
「それがですね、柚月様が起こされた変化の影響でほとんど読めなかったのですわ」
「……以前、はっきり書かれていたものはどんな内容なの?」
「わたしはジェレミーに関わるところしか読んでおりませんでしたの。ものすごく量があるんですもの、全部に目を通すことは不可能ですわ」
「え……それじゃあ……」
「わたしにできることは応援! だけ! 大丈夫です、柚月様ならできます。ジェレミーから父親が奪われないようにがんばってくださいませね」
「ちょっ、丸投げかーい!」
前言撤回よ、ジャクリーヌさんはやっぱりジャクリーヌさんだった!
それではごきげんよう、というお上品な挨拶と共にジャクリーヌさんが姿を消すと、わたしの意識は遠くなっていった。




