2-4 王都の魔法使い
空飛ぶ虎は、しばらく上空を旋回した。テレサ・ルデル先生が「ヨードライトさあん! こっちですよー!」と大きく叫びながら手を振ると、虎はゆっくりと下降して訓練場のむき出しになった土の上に着地した。
「ルデル、なんでここだけ雪がないの? 誰がやったの? ではなくって、緊急連絡があったからとりあえず僕とヘドヴァが来たけど、なんか出たの? すぐに出撃的なやつ? ここ、雪がすごいけど変わった魔物はいる?」
翼のある虎から飛び降りた、緑のボサボサヘアの青年がまくしたてる。
「めちゃくちゃ強い魔力の波動を感じたからこっちに来たけど、これはルデルの魔力じゃないでしょ? いろんなのが混ざってるし、いったいなにがどうなって……」
「ヨーダライト!」
虎の上に乗っていたもうひとりの人物が「優先順位が違いますわ」と注意しながら、ふわりと虎から降りた。
「あなた、エスコートもできないのね」
「僕は庶民だもーん」
緑ヘアの若者がにまっと笑うと、大きな虎が寄ってきて彼にすりつく。テイマーのヨーダライト氏だと思われる若者の頭はさらにボサボサになった。
その後から来るのは、乗馬服にマントを羽織った金髪のストレートヘアの女性だ。ちょっとした美人でわたしよりも二つ三つ…か五つか六つ、歳上に見える。
「庶民でも、基本的なマナーを習得すべきですわ」
どうやらこの人は貴族女性のようだ。彼女は、機能的な服に身を包み銀髪をふたつのおさげにして、三歳児をおんぶしているわたしを見ると「この地方の子守りは、非常に奇妙な方法で行われているみたいですわね」と言い、少し馬鹿にしたように眉を持ち上げた。
「で、テレサ・ルデル。状況の説明をしなさいよ」
「ええと……」
ルデル先生がわたしを見たので、頷いてから言った。
「あなた方は魔法院所属の魔法使いなのかしら。ルデル先生、紹介なさい」
上から目線で言い、金髪女性よりも大きく眉を動かしたので、彼女は「まあ、無礼な……」とわたしを睨んだ。
ふん、そんなの子猫のシャーッほどの迫力もなくてよ。
それからあなた、わたしとキャラ被りじゃないこと?
睨み合うわたしたちにも、ルデル先生とヨーダライト青年はまったく同じる様子がない。
「あっ、グルグルくん、僕の髪の毛を食べちゃやだよー」
虎に髪の毛をもしゃもしゃされて、涎まみれになりながら青年が笑った。喜んでいる……これはかなりの変人と見た。
ルデル先生は「涎臭くなったら、屋敷に入れてもらえませんよ。雪に頭を突っ込んできたら良いのです」と雪よりも冷たく言ってから「奥様、この人はヨーダライトさんです。魔物を使役してます。で、こちらは雷撃のヘドヴァさん。ふたつ名の通り、雷魔法をお得意とする方です」とふたりを紹介した。
「奥様、ですって?」
「ヘドヴァさん、このお方こそ『氷結女神』こと、セイバート辺境伯夫人でいらっしゃるシャロン様です!」
いつの間にか神格化されてるわたしである。
ルデル先生に『頭が高い!』みたいな言い方で紹介されて、雷撃のヘドヴァは「はあっ?」とわたしを見た。
挨拶がわりにちょっと足の方を凍結させてあげようかしら。
「子守りの小娘じゃないの?」
「殺すわよ」
「ひっ」
あらやだ、わたしったらうっかりお客様に杖を向けてしまったわぁ。違うの、そんなつもりじゃないのよお。
わたしはさっと杖を隠して言った。
「と、互いにほのぼのした冗談の応酬をしたところで……あなた方は魔法院からの助太刀としていらしたということでよろしくて? ここは騎士団の練習場なので、その空飛ぶ子猫ちゃんに乗って屋敷の方に行ってくださるかしら。辺境伯は在宅のはずよ」
笑顔で翼のある虎さんを見ると、その子はヨーダライト氏をはむはむするのをやめて、一歩後ずさった。
「なかなか可愛い子じゃないの、いい柄をしているわ。その毛皮は柔らかいのかしら。もしも手触りがいいなら……」
ちょっともふらせてくれない?
わたしが手を伸ばすと、虎はぶるぶる震えながらヨーダライトの後ろに隠れようとして、いやいやと首を振った。
恥ずかしがり屋さんかな?
「グルグルくんってば、美人を目の前にして照れちゃったの? あははは」
ヨーダライト氏が笑っている。
「まあ、どうしたの? 少し撫でさせてくれてもいいじゃない」
撫でようと手を伸ばして近づこうとする。
「おいでー、こっちにおいでー」
「ちょっと待ちましょうかシャロン様!」
うちのドナが割って入った。
「こんにちは、魔法院の魔法使いさんたち。わたしはシャロン様の側仕えをしているドナです。シャロン様、虎をいじめるのはやめてくださいね、教育に悪いですから。ジェレミー様が見てますよ」
「まあっ、心外な! わたしは動物をいじめたりしませんわ。ただ、もふらせてもらえたら嬉しいと思っただけです」
ドナに抗議すると「いいえ、今の笑顔は、この虎にとっては『毛皮を剥いで肌触りのいい敷物にするのはどうかしら』だと感じるものでしたよ」と言い返された。
「まさか、そんなわけ……」
虎を見た。
涙目になっていた。
「虎の飼い主さん、早く慰めてあげてくださいよ!」
「えっ、僕? あっ、はい、グルグルくん、怖くないよ、大丈夫、君の毛皮は僕が守るからね……あれれ、本当に怯えてたのか」
よしよしとヨーダライト氏が撫でると、虎はその胸に顔を隠すようにした。
えー、とんでもない誤解よー。
「ジェレミー、お母様は本当に撫でようとしただけなのです」
背中の天使に言うと、彼は「おかしゃまのなでなでは、とてもすてきなものです。たくさんぼくをなでてね」と言って、うふふと笑った。
可愛い!
もう、めっちゃ撫でるわ!
摩擦で火を噴くほど撫でるわ!
「では、先に屋敷に向かいなさい。わたしたちは馬車で戻ります」
「ええっ、少し魔法を見せてくれても……ねえ、ちょっとだけでいいからさ、僕たち王都から大急ぎで来たんだよ」
「さっさとお戻り!」
わたしがぐずるヨーダライト氏を叱ると、虎がビクッと跳ねた。そして、ヨーダライト氏の襟首を咥えて背中に乗せようとがんばった。
虎の魔獣なのに、なかなか賢いじゃないの。テイムすると知能があがるのかしらね。
「まあ、成すべきことを成したならば、あとで多少遊んであげてもよろしくてよ?」
可愛らしい虎の仕草に絆されたわたしは、優しく声をかけてやる。
「向こうの山の空をご覧になって。あの不自然な雪雲の下に、恐ろしい怪物がいるのです。いつ眠りから覚めるかわからない今は、迎撃の準備に勤しむべきでしょう」
「怪物、ですって?」
ヘドヴァさんは「信号弾を見ただけだから、こちらにはまったく情報がありませんのよ」と言いながら、雪雲を見た。
「ヘドヴァさん、怪物が襲ってきたら、ぜひお得意の雷撃を好きなだけ当てまくってくださいな。詳しくは屋敷の方で。さあ、早く虎に乗りなさい」
ヨーダライトさんは、すでに虎によって背中に積み込まれている。ヘドヴァさんは「雑な説明をありがとう」と言いながら、真っ赤な唇を笑みの形に持ち上げた。
「なんて恐ろしいところに来てしまったのかしら、怖いわぁ」
ちょっと美人魔法使いのヘドヴァさん、隠そうとしても笑いが込み上げているのがバレバレよ!
あの顔は、全力で雷をぶっ放せる喜びの表情に違いないわ。まったく、魔法馬鹿ってやつは始末に負えないんだから。




