1-13 暗雲
わたしたちはダリル様の執務室にいたのだけれど、突然扉がノックされた。
「失礼いたします。騎士団長のグランバーグ様がお見えです。緊急のお話だそうです」
家令のエルトンだ。
彼はなぜかダリル様とわたしをふたりきり(側仕えはカウント外ね。というのは、結婚式を行うまでは必ず側仕えを付き添わせることにしているから)にしたがるので、余程の急用なのだろう。
「通せ」
入ってきたのは、深い緑色の髪を後ろで束ねた、背が高くがっしりした身体つきのおじさまだ。このエルマー・グランバーグ騎士団長は、もう四十代半ばだというのに恐ろしく強い戦士で、一切の追随を許さぬ脳筋ファイターであり、そう見せかけておいて実はかなりの策士でもあるという、大変魅力的な男性だ。
ちなみに、笑顔が愛らしいおっとりした奥様がいらっしゃる。
そしてこれは内緒らしい(だが、知れ渡っている)が、いつもは「エル、わたしのエル」と優しく夫をお呼びになる穏やかなこの奥様が「まあ、今なんとおっしゃったのかしら、エルマー・グランバーグ様?」とおっしゃると、鬼も裸足で逃げ出す猛ファイターの騎士団長が、その場で跪いて幼な子の様に震え出すのだそうだ。
騎士団長ったら、その時はなにをやらかしたのかしらね。
もしも浮気だったら、奥様がじっくり『お話』できるように、下半身を凍らせてお手伝いすることもやぶさかではないわ。
まあ、それはともかく。
「グランバーグ騎士団長、ごきげんよう。どうなさったの?」
彼がわたしの在室にほんの少しだけ表情を変えたのを見て、わたしはにこやかに声をかけた。
「これは奥様、実は少々取り込んでおりまして」
グランバーグ騎士団長は、部屋の隅に控えているドナも見てからダリル様に「急ぎのご報告が」と囁いた。
「シャロン、仕事の話があるので、済まないが……」
「まさか、出て行けと? このわたしを誰だと思っているの?」
あらあらあら、違うのよ、なにか事件があったなら、辺境伯夫人であるわたしも知っておいた方がいいんじゃないかしらって言おうとしたのに、おかしいわねえ。お口が上から目線語になっちゃったわ。
「グランバーグ、答えなさい!」
違うのよぅ、本当にそんなつもりじゃないの。
騎士団長は背筋をびしっと伸ばした。
「はっ、氷結女王さ……ではなくっ、辺境伯夫人であります!」
ちょっ、グランバーグ騎士団長まで口を滑らせてるし!
「そう、わきまえているようね。もちろん、わたしの片腕のドナについても理解しているのでしょう」
そう言ってわたしが微笑んでみせる(ちなみにこれは、ドナによると「恐ろしく迫力のある禍々しい笑みですよ」だそう。失礼ね)と、騎士団長は「そう……ですな。奥様はまさしく、大蛇をも倒す大魔法使いでもいらっしゃるし、この領地の戦力に入れても……」とひとりで納得している。
「ダリル様、このまま報告してもよろしいですか?」
「もちろんかまわないわよね?」
彼が即「許す」と答えたのは、決してわたしの視線が氷のようにダリル様を貫いたからではありませんわ。ありませんったらありませんわ!
「アフルマール国から、兵士が一名、山を越えてやって来ました」
「山を越えて、ですって?」
驚いたわ、冬場はほとんど人外魔境と言っていい程の、我がギルセータ国とアフルマール国を隔てる山脈を、人間が越えてくるなんて。
「彼の国にはたいした戦闘力はないと聞いていますわ。そのアフマール国が、決死の侵略戦争を仕掛けて来たのかしら?」
返り打つならお手伝いいたしますわよ。
だが、グランバーグ騎士団長はやる気満々のわたしに頭を振った。
「いいえ、違います。アフマール国の兵士はかなり衰弱していましたし、発見した者に『ギルセータ国に知らせたい重要な情報がある』と告げました。国境を部隊で越えてきたものの、生き残りは彼ひとりということです。その兵士は密書を騎士に託すと、意識不明に陥っています。意識を失う前に聞き取れた言葉は『帝国の皇族』『アフルマール国が陥落』です」
「まあ……」
まさか……『アルテラ王妃が大蛇になっちゃった事件』と同時に失脚した、帝国の元皇家の残党が動き出した、ということなのかしら。お兄様たちは全部潰そうとしたらしいけれど、某害虫のように生き残っていたのね。
ちなみに、わたしとダリル様が帝国から来た王妃の息の根を止めて、うちのお兄様方が国王陛下と手を組んで策略を巡らせて皇家の支配をひっくり返したので、セイバート辺境伯家と実家のアゲート伯爵家は、元皇家派からめちゃくちゃ恨まれている模様でーす、おほほほほ。
ダリル様は、さっそく密書に目を通している。
わたしは騎士団長に尋ねた。
「帝国の残党がアフルマール国経由で我が国に攻めて来ている、と考えていいのかしら。もしかして、山のてっぺんからどかない雪雲も、それに関係している?」
「そんな、まさか! いくら帝国の皇家が特殊な魔法を使うとしても、天候を左右するほどの大魔法を人間が使えるとは思えん」
「そうよね。わたしでも難しいわ」
「……不可能とはおっしゃらないのですね」
「ふふふ」
この世界の水魔法のスタンダードは、水球を飛ばしたり、上手い魔法使いでもせいぜい氷の杭を飛ばすくらいの攻撃魔法が主流である。水の温度や形を自由自在に変化させたり、空気中の水蒸気を認識して自由に扱うことができるわたしは異端なのだ。
わたしにもっと魔力があれば、技術的には雪雲を作ることは可能だろう。けれど、魔力が強いと言われる元皇家の秘伝は変身魔法だし、わたしと同じことができる水魔法使いが元皇家側にいるとは思えない。
「これは、かなりまずいことになった」
密書を読み終えたダリル様が、険しい表情で言った。
「帝国の元皇家の残党が、複合変身魔法と人間の生け贄を使って、タチの悪い化け物を作り出したらしい。アフルマールの国民が犠牲になっているから、ギルセータ軍でなんとかできないかという相談が書いてある。早く手を打たないと、残党の標的はギルセータ国だから大変なことになるとある」
「またしても、ろくでもないことを始めてくれたわね! 生け贄ですって? 信じられない非道な行いだわ」
「その通りだ」
「それ、わたしも読んでもいい?」
ダリル様は顔を強張らせると「いや、シャロンはやめておけ」と言って、密書をわたしから隠した。
「あなたが読んだら……とても心を痛めることが書かれている。知らない方がいい。奴らが行っていることはとても残酷で……嫌な気分になるだろう」
「罪のないアフルマール国の人々が犠牲になっているのね」
「……そうだ」
ほんの少しだけ、間があった。
嫌な予感がする。
えっ、まさか?
「もしかして、被害に遭っているのは、こ、こども、なの?」
「……」
「アフルマール国の子どもたちが、帝国の残党に殺されているというの? そんな、嘘……」
わたしは怒りと悲しみといろいろな感情で、全身が震えるのを感じた。
グランバーグ騎士団長が「なんてこった、帝国のクソ野郎どもが!」と罵った。
「ジェレミーのような幼い子どもたちが……生け贄なんて……」
わたしは床に崩れ落ちそうになる。確かにこの世界は、日本に比べると血生臭くて野蛮なこともある。でも、子どもたちが、今も惨殺されているかもしれないなんて……許せない……。
「早く助けに行かなくては!」
「シャロン、落ち着け!」
「落ち着いていられないわ、子どもが、酷い目に遭っているのよ。そんなの許せないし」
「わたしも許せないし、許す気はない。だが、シャロンはまだ動くな。頼むから、考えなしに飛び出すようなことはしてくれるなよ」
「でも……」
「シャロン、闇雲に突っ込むだけでは戦は勝てない。勝てねば犠牲が増えるのを止められない。結果を出すことを考えるのだ」
「……」
「今のあなたが助けに出て、勝てると思うか? 単騎で山を越えてアフルマール国に入り、魔法で帝国の残党を制圧できるほどの実力があるのか?」
冷水をかけられたかのように、わたしの中のいきり立った気持ちが静まった。
わたしは物語の英雄や勇者じゃない。地球から転生してきてこの世界では知られていない知識があるけれど、少しばかり魔力の扱いが上手いだけの、元悪役義母でしかないのだ。
「勝てないわ」
「ならば、どう動けば勝てるのか、策を練るのだ」
「はい」
「グランバーグ、偵察隊を編成しろ。わたしは王都に連絡をする。アフルマール国からの密書によると、残党共が作り出した人と魔物の混ざり物は我が国の脅威となりうる程の強さを持つ。詳しい情報を持って帰ることを優先にしろ」
「はっ」
騎士団長は素早い身のこなしで部屋を出て行った。
「ダリル様、その怪物がこの領地に到達すると、甚大な被害が出るのですね」
ダリル様は難しい顔をしてしばらく言葉を飲み込んでいたが、やがてわたしに密書を渡しながら言った。
「そうだ。最悪の場合、この地は壊滅するだろう。セイバート領だけではない、我が国が滅ぶかもしれない」
「ギルセータ国が……それほどまでの怪物が、まさに災厄級の脅威が山を越えてやってくるなんて……」
とんでもないわ、いきなり物語が終わる勢いじゃないの。
ああ、ジャクリーヌさん、物語を変えた影響でなにが起きているのか教えて欲しいんですけど!
わたしは深呼吸をしてから執務室に置かれた椅子に腰をおろし、密書を読み始めた。




