第71話 12月 夜の山 akari
あかり akari
『火気厳禁』
ぼんやりとした頭で、私はその文字を追う。
発電所の燃料タンクに火を放って、この山ごと、学園を火の海にするという「計画」は、まだ実行に移していない。
山に入ってから、頭がぼうっとして、足がふらついている。
地面がぐるぐる回っているように感じて、バランスを取ろうと、自分の身体が揺れているのがわかる。
まだ決心がつかないのか。
女子寮を出たときには、心に決めていたはず。
最後に先輩があんなことを言うから、後ろ髪を引かれてしまっているのかな。
この世に未練はないのだと、そう自分に言い聞かせて、私は鞄を開けた。
ぶるぶると、身体が震えだす。
いまさら、こわいなんて、どうかしてる。
「ほんと、しょうもないやつ」
ぎりぎりのところで、私は自分を裏切れなかった。
正しく生きようともがいていた、過去の自分を裏切ることが、できなかったのだ。
それをやってしまえば、孤独だったあの頃の私を、否定することになると思ったから。
結局、私は、自分がいちばんかわいい、そういう、しょうもないクズなんだと理解できた。
◇
犯行を断念した私は、発電所の裏口を出て、ふらふらと、あの場所へ向けて歩きだした。
『※※※、※※』
視界が歪んで、立て看板の文字が読めない。
荒れた地面に足を取られ、転びそうになりながら、なんとかあの崖の上に躍り出る。
最後に、この場所の景色を、見ておきたかった。
崖の上に座り、足を投げ出したまま、島の夜景を眺めていると、きらきらした町の明かりに目がくらみそうになる。
静かに景色を眺めながら、この島で体験した出来事を振り返ると、そのどれもが輝きに満ちあふれていて、私には、この山を破壊することなんてできないと思った。
私は、この島が、好きだったんだ。
だけど、私のそばにはもう、佳奈も遥香もいない。
生きていることが苦しい。
ここから、飛び降りてしまえば、この苦しみは終わる。
いっそ、私だけが消えてなくなれば、すべては丸く収まるのかもしれない。
頭がぼうっとして、島の夜景が歪んでいく。
平衡感覚がなくなって、私は夜の闇に吸い込まれた。
ひとりでに身体が前に倒れそうになったとき、誰かに抱きかかえられたのがわかった。
人肌の感触が、こんなに心地いいなんて、知らなかった。
涙がぼろぼろあふれて、なにも見えなくなる。
身体が震え、意識が薄れていくとき、手を握られた感触で、その人が誰なのかわかった。
「佳奈」
『こんな、嘘だらけの偽物の世界なんか抜け出して、ふたりでいっしょに島へ渡ろうよ』
私にそう言って、差し伸べられた、あの手の感触がした。
◇
『この先、危険』
目を覚ますと、あの立て看板が目の前にあった。
誰かに抱かれていることに気づいて振り返ると、遥香の顔がそこにあった。
ぼんやりした顔をしていた遥香は、うわあっと声をあげて、私を力いっぱい抱きしめてくる。
めまいがする感覚が襲ってきて、耳元で遥香がなにを言っているのか、理解できなかった。
あまりにしんどくて、目を閉じていると、顔をぺちぺち叩かれる。
意識があるか確認するように、とんとんって叩くその手の力が、だんだん強くなってきて、ほぼビンタじゃないかよって気づいたとき、ようやく意識がはっきりした。
「おまえ、ふざけんな」
きょとんとした顔の、佳奈がいた。
うはって笑う佳奈の顔を見て、私は懐かしさを覚えた。
大きな声をだしたせいで、強烈な疲労感に襲われ、息が切れてしまう。
「私、お水持ってるから、飲みな」
遥香が後ろから、ペットボトルを差し出してくる。
そんな元気もないと思って放っておいたら、無理やり、口にペットボトルの飲み口を運ばれた。
自分で飲むから待ってって言いたいけれど、声をだせなくて流れてきた水を慌てて飲み込む。
のどに引っかかって、ぶふぉって吐き出したら、佳奈の顔に霧吹きみたいに、びしゃあって水がかかった。
「ざまあ」
私が言うと、佳奈の舌打ちが聞こえた。
それから、遥香が大きな声で笑った。
笑い声に合わせて、遥香の身体が小刻みに揺れて、乗り物酔いみたいに気持ちが悪くなってしまった。
私が立ちあがろうと膝を立てると、遥香が立ちあがって、私の手を引いて起こしてくれた。
「ちゃんと、ご飯食べてるの? あかり」
佳奈が訊ねてくる。
「昨日は食べたかな。忘れた」
このところ、お腹が空かないから、ぜんぜん、飲んだり食べたりしていなかった。
今日は朝から、山に登っていたし、その後は先輩の家で誰にも言えないようなことをしていた。
身体は疲れているはずなのに、頭だけは覚醒している感じが続いていたと、私はようやく気がついた。
「お菓子なら、ちょっと持ってる」
遥香がそう言って、鞄を漁りはじめる。
手渡されたグミを咀嚼しはじめると、噛むのすらしんどくて、飴のように舐めるのが精いっぱいだった。
「食堂も売店も閉まってるし、どうしようか」
「そもそも、門限過ぎてるんだよなあ」
私は、ぼんやりと、ふたりの話を聞く。
「泊まれる場所なら、私、知ってる」
ぼうっとした頭で、私は思いつきをしゃべっていた。
「え、どこ?」
佳奈に訊ねられた私は、ひと言、
「友だちの家」
と、答えた。
◇
遥香におんぶされて、私はあのお屋敷へと向かう。
ゆっくりした足取りで、私たちは山を下りていく。
「あかり」
遥香と並んで歩く、佳奈が話しかけてきた。
「私、あかりのこと、大好きだし、ほんとうに大切に思ってるんだよ」
急に、どうしたんだろうと思った。
そういえば、このふたり、どうして、私が山にいるってわかったんだろう。
「え、もしかして、私の部屋、勝手に入った?」
佳奈の気まずい顔を見て、答えはわかった。
「おまえ、ふざけんな」
舐めていたグミが、どこかに飛んでいってしまうくらい、私は大きな声をあげた。
「ついに、尻尾をつかまれたなあ」
悪びれもせず、佳奈が笑いながら言う。
「あかりの手紙、私、うれしかったよ」
遥香に言われて、一気に恥ずかしくなってきた。
「みんな、あかりのこと、好きなんだよ」
遥香におんぶされて、手が出せないのをいいことに、佳奈は私の背中をぽんぽん叩いてくる。
「じゃあ、なんで、抱きついてキスしたとき、あんな嫌そうな顔したの?」
私は、佳奈をじろっと睨んで訊ねる。
佳奈は、ははって笑いながら、話しはじめた。
「私にとって、あかりは恋人みたいな存在じゃなくて、友だちっていうのとも違って、もっと身近な、双子の姉妹っていうか、家族といっしょの存在なんだよ」
そう言われて、私にも、同じ気持ちがあるのを感じた。
「自分のことと同じように、あかりのこと思っているし、私にとって、あかりの存在は、おばあちゃんといっしょの枠なんだよ」
『おばあちゃん、ありがとう。すき』
あれって、そういう意味なの。
「おばあちゃんとキスするの、普通に嫌でしょ」
おばあちゃんのキス顔が脳裏に浮かんで、私は嫌な気持ちになる。
それで佳奈の気持ちは理解できたけれど、いままでに見たこともない、嫌な顔をされた理由がそれってさあ。
「あんたって、わかりにくいんだよ、佳奈」
「そこは、あかりだって、たいがいなんだからさあ」
そう言って、にやにやしている佳奈の顔を見ていると、手紙を読まれた恥ずかしさが襲ってきて、私はなにも言えなくなる。
そんな私の背中を、佳奈はそっとなでてくれた。
佳奈の心に、確かに私への愛情があるのが感じられた。
「ずっといっしょだよ、あかり」
ぶわあって涙があふれてきて、私は自分の気持ちがようやく理解できた。
私が欲しかったのは、ただ、その言葉だけだったんだ。
それを理解してくれているこの人は、やっぱり、私にとって特別な人だ。
「好きだよ、佳奈」
だから、私はそう言ってみた。
佳奈は、はじめて会った日から、ずっとやさしかった。
そんなの、好きになるでしょうよ。
佳奈は、私のこと、家族みたいだから、恋人のようには見れないってはっきり言うし、私も同じ気持ちはあるけれど、それでも、私はやっぱり、佳奈のこと、ちゃんと好きだったって思うよ。
佳奈という女の子に、恋をしていたって、そう思ってる。
それなのにさあ。
「ん。知ってる。手紙に書いてあったから」
佳奈にはやっぱり通じなくて、私はむかむかした。
「そうじゃなくて、おまえも好きって言えよ」
「あ、ごめんなさい。好きです」
なんなんだよ、こいつ。
ふたりできゃっきゃと笑っていると、
「え、私は?」
と、遥香が怒った声で言う。
「好きだよ」
そう言って、首筋にキスしてやると、遥香は、んふうって噛みしめるような息を吐く。
「あかりはさ、暗いんだよ。暗さで言ったら、部長といい勝負なんだから」
佳奈が、ほとんど呆れたような調子で言う。
否定できなくて、私は苦虫を噛み潰す。
「私とふたりでいるときみたいに、みんなの前でも明るく振る舞えばいいんだよ。みんな、あかりの敵なんかじゃないんだからさ。クラスのみんなだって、きっと、あかりとおしゃべりしたいって思ってるよ」
空腹で頭が回らなくて、返す言葉が見つからなかった。
「そんなんだから、悪いこと考えちゃうんだよ。まず、挨拶からしよ、挨拶。挨拶は人付き合いの基本の『き』なんだから」
あの犯行声明文を読まれてしまった以上、私はなにも言い返せなかった。
もはや完全に「犯人」の立場で、捕まえにきた刑事に説教されている気分だった。
私は、補導、されていた。
「人生っていうのはね、思いもよらない感動とか、喜びとか、素晴らしい体験であふれているんだから」
佳奈は、自信満々に言う。
「たとえば、どんな?」
私は、言われっぱなしに腹が立ちながら、そういうおまえは、なにを知っているんだって訊ねてみる。
佳奈だって、私と同じで、まだ子どもなんだから。
「ほら、見てごらん」
佳奈がスカートを持ち上げてみせたので、私を背負っている遥香も足を止めた。
はじめて会った日、海辺の公園で、佳奈が私にパンツを見せてきたことを思い出す。
「これ、あんたのパンツだよ」
確かに、あの日、私がはいていたパンツを、佳奈がはいていた。
その瞬間、更衣室荒らしの「模倣犯」が誰だったのか、私は理解した。
「これをはいた瞬間、世界が色づきはじめたんだ。生きるって、こんなにも素晴らしいんだって、わかったんだから」
うぅんって、なんとか声にはだせたけど、なに言っていいのか、もはやわからなかった。
「佳奈ちゃんの言ってることは、意味不明だから相手にしなくていいよ」
パンツを見せている佳奈を無視して、遥香が歩きはじめたので、私は、んふって笑ってしまった。
「それよりさ、なにかを傷つけたくなったのなら、私をいじめてよ」
遥香の表情は見えないけれど、まじめな顔で言っているのは想像がついた。
「私、そういうの気持ちいいって思うし、もっと遠慮なくしてほしい。私、あかりみたいな、かわいい女の子に、めちゃめちゃにされたいって、ずっと思ってるんだから」
うぅんって、なんとか声にはだせたけど、なに言っていいのか、もはやわからなかった。
「首絞めたり、お尻叩いたり、乳首つねったり、もっとそういうハードなのもしてほしい」
隣を歩く佳奈が、ちょっと引いているのを見て、私は、んふって笑ってしまった。
なんなんだろうな、こいつら。
私のことを、はじめて理解してくれた、変態の友だち。
私のことを、はじめて愛してくれた、変態の恋人。
「なあんで、私のまわりには、こんな変態ばっかり集まっちゃったのかなあ」
そう言われて、ふたりは、ご褒美もらったみたいに、うれしそうに笑っていた。
まあ、かくいう私も、いま、佳奈のパンツ、はいてるんだけどね。
はき心地は最高だし、これをはいていると、なぜだか、元気がもらえる気がするから。
「ありがとう」
ひとりでにあふれたその言葉は、ふたりの笑い声にかき消されるようにして、この美しい山の中へと、消えてゆくのだった。




