第68話 12月 山中にひとり akari
あかり akari
冬休みが近づいてきた頃、ひとりになった私は、あの山へ向かった。
忌まわしい記憶や、大切な思い出が詰まった、私たちの山だ。
入山申請を出すと、佳奈や遥香に気づかれてしまうおそれがあるから、私はゲートの横の山林に忍び込んで、密かに山道へと躍り出る。
思ったとおり、なんの問題もない。
入山申請だって、形だけのもので、誰かに見つかったとしても、素直に謝る姿勢を見せてやれば、きっとたいした問題にはならないのだろう。
地図は必要ない。
山頂へ向かう道も、発電所の裏へ抜ける道も、行きたい場所へ続く道は、すべて憶えている。
私はこの山で、自分の考えを整理したかった。
自分の意思を、確認しておきたかった。
生きる意味を、見出したかった。
そんな重たい気持ちでいたせいか、慣れたはずの山頂への道が、ひと際、険しく感じられた。
ときどき、足を取られながら、転ばないように、慎重に歩く。
やっとの思いで山頂の広場に出ると、いつもと変わらない景色がそこにあった。
小さなベンチにひとり腰かけて、ひと休みする。
私がこの島にやってくる、ずっと以前から、この景色は変わらず、ここにあったんだ。
じゃあ、私はなんのために、存在しているんだろう。
遠くの海に、連絡船の姿が見える。
「いっそ、なにもかも、すべて沈んでしまえばいいのに」
そうすれば、なにもかも忘れて、忘れるしかなくて、きっと楽になれるのに。
私はこの世界を憎んでいたのだ。
その憎しみを、ほんのいっときだけ、忘れていたに過ぎないのだと、思い出した。
スマホを取りだし、カメラロールを開くと、この山に、確かに存在した風景が、記録されている。
佳奈とふたり、あるいは遥香と三人で、笑顔で映る、他人のような私がいた。
「どっちが偽物の世界なんだろうね、佳奈」
いまでも、彼女のことを想う気持ちがあふれて、涙がこみあげる。
「うわぁああぁあ」
言葉にならない声が、からだの奥から吐くように押し寄せてきて、口からこぼれだす。
私のそばには、もう誰もいない。
あの時間には、もう戻れないんだ。
◇
急にふらふらと気分が悪くなって、ベンチの上で休んでいた私は、日が沈む頃に目を覚ました。
「そうだ、門限」
日が落ちるのも、すっかり早くなってきたから、まだ時間は大丈夫そうだ。
いや、門限を過ぎてしまったとしても、どうでもいいか。
そんなの、たいした影響はないって、知っている。
この世のすべての約束事は、所詮、茶番に過ぎないのだから。
ゆっくりと下山をはじめた私は、その足で、あの発電所の裏へと向かった。
たどり着いたときには、あたりはもう暗くなっていた。
昭和の時代から放置された、錆びついた金網に空いた穴。
いまでもまだ、そのままだった。
裏口の扉も鍵がかかっていないまま。
なにも変わらない。
私たちがここに来る前から、なにも変わらないんだ。
『この先、危険』
ぼろぼろの立て看板を見ると、自然と笑えた。
引き寄せられるようにして、私はあの崖へと向かう。
崖の上から、島の夜景が見えた。
佳奈とふたりで花火を観たことを、思い出す。
この崖の上で、ふたりで抱き合ったことを、思い出す。
ここで死ねたら、それで終わりでも、私はいいと思ってここへ来た。
それなのに、いざ足を運んでみたら、そんな気にはなれなかった。
いまの私には、生きる目的はないけれど、ただ死にたいわけじゃないって、それだけがわかった。
私は、やっぱり、お父さんに似て、根っからのクズなんだなって、そう確認できた。
◇
「もうすぐ、絆の時間、はじまるわよ」
門限ぎりぎりに女子寮へ帰ってくると、寮母さんに声をかけられた。
私は、なにも言わずに部屋へ戻っていく。
絆の時間って言ったって、絆を深める、相手がいないじゃない。
私からお姉さん役を奪っておいて、よくそんなことが言えるよね。
代わりになにをして過ごせばいいのか、その指示さえない。
苛立ちながら、エレベーターを降り、住居棟の廊下にやってくると、私の部屋の前に、誰かが座っているのが見えた。
佳奈だった。
「遅いよ、あかり」
私の姿を確認すると、佳奈は立ちあがって、私に手を振った。
「なにかあった?」
私が訊ねると、
「いや、なにもないんだけれども」
佳奈はそう前置きしてから、
「絆の時間、葵先輩がいなくなっちゃったから、私と美代子と、三人でどうかなって」
と、提案してきた。
そっか。
こいつって、寮長のお手伝い、なんだっけ。
「あんた、美代子先輩と仲良さそうだし、邪魔しないでおいてあげるよ」
三人でやるのはもはや、絆の時間とは言えないでしょ。
それは、なんらかの、別の集まりだよ。
そんなのはいらない。
私がほしいのは、絆の時間なんだ。
「私はいっしょがいい」
一生懸命、勇気をだして、そう言っているんだって、私にはわかるよ。
佳奈のこと、もうわかんないやって思っていたけど、そのくらいわかる。
いまやさしくされると、かえって苦しいだけなんだ。
「ひとりでいたいから」
そう言って、私は部屋に戻ろうとした。
ドアを開け、部屋に入ろうとする私の手を、佳奈がつかんだ。
「気が変わったらいつでも言って」
佳奈は泣きそうな顔で、私を見ていた。
それを見て、自分の決意が、少しだけ揺らいだのを感じた。




