第65話 11月 絆の時間(あかり) akari
あかり akari
「あれ? まだチャイム鳴ってないよ」
困惑する葵先輩を無視して、私は無理やり、彼女の部屋に押し入った。
なにも言わずに部屋を歩き、いつもの先輩の席を奪う。
いまにも涙があふれそうなのを、はあっと息を吐いてこらえる。
顔をあげると、気の抜けた表情の先輩がいた。
Tシャツの上に、ろくにボタンも留めずに制服のブラウスを羽織るだけ羽織って、下はまるでなにもはいていないようにも見える。
よく見ると、ショートパンツをはいているみたいだ。
「部屋にいました、みたいな格好ですね。なんですかそれ」
私は思わず、笑ってしまった。
「ここ、私の部屋なんだけど」
葵先輩も、ふっと笑った。
絆の時間ではないときに見る葵先輩は、夏休み、家に押しかけたときみたいに油断しきっていた。
いつものあれは、私と向き合うために、一生懸命、仮面を被っている姿なのかなって、そう思わされた。
やっぱり、私は、この人のこと、嫌いじゃないや。
私をそそのかしたことについて、文句のひとつでも言ってやりたい気持ちだったのに、そんな気はなくなってしまった。
椅子を奪われて、仕方ないという様子でベッドに座った葵先輩を、私は無理やり押し倒した。
彼女の胸に顔を埋め、甘えたい気持ちを発散する。
人肌に触れて、安心したら、涙があふれてしまった。
「ぜんぶ、先輩のせいですよ」
嘘。ぜんぶ、自分のせいだ。
私が選んで、やったことなんだ。
途中まで、すべてがうまくいっているつもりになっていたし、遥香と佳奈、ふたりに愛されている実感だってあった。
私は佳奈のこと、なんでもわかるつもりになっていたのに、ほんとはなにもわかっていなかったんだ。
自分の愚かさを認めると、悔しくて、悲しくて、みじめで、涙が止まらなかった。
胸の中で泣いている私の頭を、葵先輩はやさしくなでてくれた。
それだけじゃ、この心に空いた穴はふさがらないと、私はそう思った。
私は身体を起こして、仰向けに横たわる葵先輩の顔を見下ろす。
涙がぽとぽと、彼女の顔に落ちていった。
「私を殺してください」
声を絞りだすと、彼女は首を横に振って応じた。
そんなの叶わない願いだってことくらい、わかっている。
「できないなら、せめて、私の尊厳をめちゃくちゃに踏みにじってほしい」
このまま生きているのはつらいから、私は壊れてしまいたかった。
堕ちるところまで、堕ちてしまいたかった。
「先輩の手で、私をめちゃくちゃにしてください」
私は泣きながら、上着を脱ぎ捨てて、ブラも外して、上半身裸になって、先輩の顔を見下ろした。
なにもしてくれないから、虚しくなって、私は嗚咽をあげた。
「もう耐えられない」
心が壊れておかしくなって、私はジャージのズボンといっしょにパンツも脱ぎ捨てて、裸になって、ベッドから下りて立ちあがった葵先輩と向き合った。
なんで泣いているのか、自分でもよくわからなくなって、それでも、涙は止まらなかった。
気分が悪くなってきたとき、葵先輩が電気を消したのがわかった。
暗闇の中、抱きかかえられて、ベッドの上に寝かされる。
「あなたは、ひとりじゃないよ」
ベッドの中で、彼女がささやく声がした。
「そんな嘘、つかないでください。こんな、きたない人間、好きになるやついないって、自分でわかります」
泣いている私に、葵先輩はやさしくキスをしてくれた。
「私、あなたに嘘ついたことないよ」
「じゃあ、教えてください。先輩は、私のこと、好きですか」
私は、逃げ道をふさいだつもりだった。
好きじゃなかったら、この人は答えないはずだから。
どうせなにも言えないんでしょって、そう思っていた。
「好きだよ」
葵先輩は、迷うこともなく、そう言って、私を抱きしめた。
「嘘つき。『なおくん』のことが好きなくせに」
葵先輩が身体を起こして、私を見下ろしてくる。
その顔は、笑っていた。
「女の子では、あなたがいちばんだよ」
馬鹿みたいな理屈だけど、まじめな顔で言うから、私は笑ってしまった。
「どうしてほしいのか、私に教えて。あなたの望むとおり、私があなたを壊してあげるから」
まじめに訊ねられた私は、いたずら心をくすぐられて、言い返してやる。
「したことないんですね、先輩のくせに」
ふふっと笑って、先輩が私の上に覆い被さってきた。
顔を見られるのが、恥ずかしかったのかな。
「当たり前でしょ。女の子と、こんなことしないよ」
「じゃあ、私の命令どおりにしてくださいね」
なにも言い返さず、葵先輩は、私の命令に従ってくれた。
私って、正真正銘のクズなんだな。
私を好きだと言ってくれた、ひとつ年上のお姉さんに、自分のからだを慰めろと命令して、気持ちよくなってる。
この人のことを、また好きになってる。
どうしようもない、底なしのクズだ。
救いようがない。
それなのに、こんなに心地がいいなんて、現実って、ほんと、くだらない茶番だなって、私は思った。
◇
チャイムが鳴って、私は正気になった。
「絆の時間、はじまるみたい」
葵先輩も、急にスイッチが入った、まじめな顔に戻って言う。
「気持ちは収まった?」
そう訊ねられた私は、
「はい」
と、短く応じた。
ベッドから起き上がった葵先輩が、脱ぎ捨てられた私の服を拾い上げて、手渡してくる。
「まだ着替えてません」
先輩がいきなり電気をつけたので、私は注意した。
「あ、ごめん」
「いや、もういいです」
案外、デリカシーないんだなって笑いながら、私は明るい部屋で服を着る。
葵先輩も、なぜか制服のスカートをはいていた。
「なんで、先輩まで着替えてるんですか」
「え、絆の時間だから」
上着に袖を通しながら、私は声をだして笑った。
葵先輩にとって、絆の時間って、なんなんだ。
そんな、正装する必要のある行事じゃないでしょ、ふたりっきりなんだし。
着替えを終えた葵先輩が、椅子に座る。
「あ、いっかい外に出て入り直しましょうか? 私」
おもしろいので、提案してみる。
「え、なんのために?」
「絆の時間だからでしょうが」
ただのボケだと思われたことに、私はまた声をあげて笑った。
葵先輩も、なぜだか笑っていた。
落ち着いた私は、今日あったことを、改めて葵先輩に説明した。
「私は、クズなんですよ、要するに。お父さんからの遺伝です」
すべてを、お父さんのせいにしてみるけれど、自分のせいなのは、自分がいちばんわかっている。
「じゃあ、クズ仲間だね」
葵先輩が、微笑みながら言う。
学園で起きている騒動の「真犯人」が言うと、説得力があるなと思わされた。
「変な意味じゃなくて、まあ、変な意味もあるけど、きたない私が壊されていくみたいで、気持ちよかったです」
ほんの少し前の出来事なのに、記憶から消してしまいたいほど恥ずかしい命令をたくさんしたんだ。
この人には、もうなに言ったっていいって思いながら、私は正直に伝えた。
命令に従っていた本人は、恥ずかしがる様子もなく、まじめな顔をしていた。
「あなたがしているのは、自傷行為っていうんだよ」
言葉の意味を、私は頭で考えてしまっていた。
「私もしたことあるからわかるよ」
葵先輩はそう言って、ブラウスの袖をまくって、私に腕を見せてきた。
彼女がいつも、人前で長袖を着ている理由がそこでわかった。
傷痕を見ると、こわいって、反射的に思ってしまった。
気まずくなって、先輩の顔に視線を戻すと、彼女はやさしい顔をしていた。
葵先輩は、立ちあがって、胸に抱えるようにして、私の頭を抱きしめた。
私の髪をなでながら、葵先輩が言う。
「こんなにきれいな身体を傷つけるなんてもったいないから、したくなったらいつでも私のところへおいで。私がいつでも、あなたのこと、壊してあげるから」
私を解放した先輩は、やさしい顔をしていた。
このお姉さんは、自分の目的のためには手段を選ばない冷酷さを持っているようでいて、私にはやさしく、嘘はつかないと言う。
器用に生きているふりをしながら、不器用なやり方しか知らないところが、自分を見ているようでもある。
「葵先輩も、ひとりじゃないですよ」
私は葵先輩の手を取り、彼女の傷ついた腕にキスをした。
その傷痕が、愛おしいと感じたから。
「じゃあ、そのときはあなたが、きたない私のこと、めちゃくちゃに壊してね」
私はどうしようもないクズで、そのせいで、友だちも、恋人も失ってしまった。
それでも、この人だけは仲間なんだって、このとき、私はそう信じていた。




