第64話 11月 偽物の世界 akari
あかり akari
「朝からごきげんだねえ、佳奈ちゃん」
山岳調査部に入ってくれた遥香と、三人で調査へ向かう朝、食堂で揃ってご飯を食べていると、はしゃいでいる佳奈に遥香が言う。
「遥香が入部してくれるなんて」
楽しそうに、ふふって佳奈が笑う。
佳奈は、根気強く、遥香を山岳調査部に誘っていた。
妨害していたのは私だ。
念願が叶って、佳奈はうれしくて仕方ないみたいだ。
「人のお尻ばっかり見ないでね。前回、山に登ったとき、佳奈ちゃん、ずっと私のお尻を見てたでしょう」
「目の前にあるから、いい形だなあって思ってただけだよ」
「偶然を装って触ろうとしてたんじゃないの?」
「そんな人聞きの悪い。ジャージにパンツのラインが浮いてたから、気になっただけだってば」
「ほんと、変態なんだから」
ふたりできゃっきゃと笑っている姿を見ていると、やっぱり、このふたりってお似合いなのかなって思えてくる。
私は、弱気にさせられる。
「あかりは、今日もジャージで行く?」
考えごとをしていると、遥香が訊ねてきた。
「たぶん、そうする」
動きやすくて、汚れてもいい格好となると必然的にそうなる。
「おそろにしよっと」
遥香がにこっと微笑みながら言う。
遥香のこと、好きになってしまっている自分を、私は自覚させられる。
「私も」
佳奈が同調すると、遥香が口を挟む。
「佳奈ちゃんは、前みたいに制服にしなよ」
「なんで」
佳奈は、不満そうな顔でそう言ってから、
「まあ、ふたりがおそろにしたいっていうなら、別にいいけどさ」
と、あっさり引き下がっていた。
ご飯を食べ終えたら、3Fで遥香とは別れて、佳奈とふたりで部屋に戻る。
「楽しみだね」
別れ際に、佳奈が笑顔で私に言う。
この人のことが、好きで好きでたまらないと、私は自覚する。
部屋に戻って、ひとりになると、どうして、こんなことになってしまったんだろうと、悲しい気持ちになる。
着替えようと、服を脱いでいく。
裸になって、ベッド下の収納から、着替えを取りだすと、思い出が蘇ってくる。
願いが叶うなら、あの海辺の公園に戻りたい。
そうしたら、今度はもっとうまくやれるのに。
ジャージの膝に空いた穴を見ながら、佳奈が足を骨折しなければよかったのにって、いまさらどうしようもないことを考えさせられる。
「佳奈」
着てしまう前に、私は一度、それを抱きしめた。
「いっしょだね、お父さん」
私はたぶん、お父さんに似て、クズなんだと思う。
自分にやさしくしてくれる、自分を見てくれる人のことを、誰彼構わず好きになってしまうんだ。
自分にそんな一面があることを、この島に来るまで、私は知らなかった。
◇
「お嬢さん、久しぶりだねえ。でっかいからよく憶えてるよ」
警備員さんに、そんなことを言われながら、私たちは山岳調査に出発する。
山林へ入り込むと、遥香が愚痴をこぼした。
「でかいって言われた」
慰めてほしそうな顔で、私を見てくる。
ははって笑いながら、背伸びをして、頭をなでてやると、すぐに遥香は「ください」って顔をした。
「なにしてんの?」
私たちがついてこないのに気がついて、先を歩いていた佳奈がこっちを振り返る。
「気合入れてもらってたあ」
はっとした顔をして、振り返った遥香が言う。
そのまま、手を引かれて、いっしょに佳奈と合流する。
三人で歩き出すと、遥香が耳打ちしてきた。
「佳奈ちゃんいるの、忘れてた」
私はこれからこの人を、裏切らないといけないんだ。
「今日はどこを調査するの?」
遥香が佳奈に駆け寄って、声をかけている。
「遥香にとっては、久しぶりだから、調査はお休みで、山頂まで歩くだけ」
「ハイキングってこと?」
「あかりがそうしようって」
佳奈と並んで話す、遥香が振り返る。
「私のため?」
うれしそうな顔をしていた。
「そのほうが、都合がいいかなって」
覚悟とか、決意とか、いろいろ。
遥香は、むふうって笑って、また佳奈とおしゃべりしはじめる。
付き合いはじめた頃は、佳奈とのおしゃべりを禁止していたから、心置きなく話せてうれしいみたいだ。
ほんとうは、私がいないほうが、いいんじゃないかって、そう思えてきた。
「佳奈ちゃん、今日は私のからだ、あんまりじろじろ見ないねえ」
「私をなんだと思っているの?」
「見られなきゃ見られないで、さみしい」
「なんだそれ。遥香こそ、変態じゃない」
歩きながら、ふたりは楽しそうに笑っている。
どっちの笑顔も、好きだなって思わされる。
このまま、三人で付き合えたら、それがいちばんなのに。
「佳奈ちゃん、おんぶしてあげよっか、久しぶりに」
「ん。遠慮するう」
私はいま、どっちに嫉妬しているのか、もう自分でもわからない。
ふたりの関係に対して、なのかな。
「どうしちゃったの、佳奈ちゃんらしくないよ。もっとにたにたして」
「私はね、一途なんだよ」
「えー、どういう意味?」
「浮気はだめだよ、遥香」
佳奈がこっちをちらっと見た。
彼女の言いたいことがわかって、私は胸がチクっと痛む。
「おんぶしたって浮気にはならないよ。佳奈ちゃんが、その先をしようとするからでしょう。どさくさに紛れて、おっぱい揉んできたりするんだから、この人は」
「そんなことしてないけどなあ」
佳奈は、はてって顔でとぼけている。
「嘘だあ。形を確かめるような手つきで触ってくるんだから」
「そんな触り方してない」
「触ったの認めたね」
「あれ? おっかしいなあ」
楽しそうに笑うふたりを、苦しくて見ていられない。
こうなってしまったのも、すべては私のせいなんだ。
私って、ほんとうにクズだよね、お父さん。
でもね、お父さん。
私は、自分のこれまでを否定したくはないから、最後は自分が正しいと信じるとおりに、やってみようと思うよ。
身体をふたつに分けることはできないから、どちらかを選ぶか、どちらも選ばないしかない。
ふたりだけの山を、遥香に明け渡したのは、自分に対して、覚悟を示したつもりだった。
私は、手に入れたかったすべてを捧げ、佳奈だけを選んでみせるんだ。
◇
山頂の広場へたどり着くと、ふたりが駆け出していく。
小さなベンチに並んで座り、持ってきたお昼ご飯をいただく。
「また三人で写真撮ろうか?」
食べながら、遥香が提案してくる。
おにぎりを手に持ったまま、カメラに収まると、笑っている三人の写真を遥香が見せてくれた。
これから笑えないことをしようとしているのに、笑っている自分の姿が、なんかおかしかった。
私は、佳奈のことが好きだから、遥香とは別れたい。
遥香のことも好きだから、それをどう言葉にしていいのかわからない。
だから、私は、この方法を思いついたのだ。
すべてのきっかけとなった、この場所でなら、それができると思った。
「佳奈」
食べ終わって、ベンチから立ちあがった佳奈を、私は呼び止めた。
遥香の見ている前で、私は佳奈に抱きついてみせる。
ぜんぶ、壊れてしまえばいい。
「好き」
どうか、この人を振り向かせるだけの、強い魔力がありますように。
願いを込めて、私は佳奈にキスをした。
悲鳴のような、遥香の声が聞こえたけれど、私は目を閉じて、なにも考えずに、このまま佳奈に抱きついていようとした。
強い力で、私を引き剥がしたのは、佳奈だった。
「そういうの、だめだって言ったよね」
これまで、なんでも受け入れてくれていた佳奈が、はじめて強く拒絶してきたので、私は動揺してしまった。
その顔を見て、私は理解した。
ぜんぶ、嘘なんだ。
私が見ていた世界は、偽物だった。
佳奈は、私のこと、好きじゃなかったんだ。
「遥香が泣いてるよ。ちゃんと謝ってあげて」
振り返ると、ベンチに座ったまま、ぼろぼろ泣いている遥香がいた。
「私って、クズだからさ」
自分を傷つけることで、私はその罪から逃れようとした。
もうふたりの顔を見ていられなくて、私はひとり、山を下りていく。
今日は、絆の時間がある。
だから、この日を選んだ。
そうやって、予防線を張っているところも、どうしようもないクズの証明でしかなかった。




