第48話 8月 避難指示 akari
あかり akari
葵先輩の家がある、高台エリアの中でも、ひと際大きなお屋敷。
こんな大きな家、はじめて見るってくらいの大きさだけれども、豪華絢爛という感じではなく、歴史的建造物みたいな風情の古い日本家屋だ。
その場所に、私たちは土砂降りの中、避難を呼びかけにやってきた。
この家の先にはなにもないし、ここら一帯は、いかにも私有地って感じがするから、足を踏み入れたことがなかった。
直人先生と葵先輩の立ち話を盗み聞きした限りでは、この家の住民は、あまり友好的とは思えない。
怒鳴られたりしたら、腹が立つだろうなあ。
「いかにも、この島の『盟主』って感じがするね」
門の前で、佳奈がぽろっとそんなことを口にする。
「そんなの押さなくていいよ」
佳奈にそう告げて、私は堂々と門をくぐって敷地に足を踏み入れた。
避難することを拒んでいるのか、あるいは放送が聴こえていないのか知らないけれど、インターホン越しに押し問答をしている場合ではない。
引き戸に手をかけると、鍵はかかっていないようだった。
「え」
ガラッと開けてやると、佳奈が引いている声がした。
泥棒なんて来ないと思っているってことは、この家の住民は、学園の人間を危険な存在とまでは認識していないようだ。
話は通じるものと直感した。
「すいません」
大声で呼びかけたが、反応はない。
雨の音にかき消されて、聴こえていないのかもしれない。
この様子だと、放送が聴こえていない可能性も、ありそうだった。
「えぇ」
靴を脱いで、家に上がりこむ私に、佳奈が困惑している。
「避難させるんだから、あんたも早く」
はっとした顔をして、佳奈も慌てて靴を脱ぎだした。
ふたりで、家の中を進んでいくと、居間のような空間に、恰幅のいい男性と、介護用ベッドに横たわるおばあさんが、テレビのニュースを眺めている姿があった。
不用心なことに、ふたりとも私たちに気づいていなかった。
「すいません」
びくっとして振り返った男性の顔を見て、私のトラウマが呼び起こされた。
この島に来た日、私を体当たりでぶっ飛ばした、あの「ぶつかりおじさん」だった。
『うわあ』
思わず、漏らした声が、佳奈とシンクロした。
私たちは、顔を見合わせると、ははっと笑いあった。
笑うしかなかったのだ。
困惑した表情の男性は、憶えていないようだった。
どうしようかなあって悩んでいる私をよそに、佳奈が問答無用で部屋に入っていく。
「おばあちゃん、避難警報が出てるから、私といっしょに体育館へ避難しよう」
佳奈はベッドに横たわって、テレビを見ているおばあちゃんに歩み寄って声をかけていた。
私もたいがいなんだけど、佳奈のこういうところ、ほんとにすごいと思う。
おばあちゃんは、なにも言わずに男性の顔を見つめた。
私はひとまず、事情を説明することにした。
◇
「そんなもの必要ない」
おじさんは、頑として譲らない姿勢を見せた。
「この家は、戦前からこの姿のままなんだ。山が噴火でもするならともかく、台風くらいのことで、避難するようなあれはない。わかったら帰りなさい」
おじさんは、とにかく私たちを帰らせようとした。
「災害対応って、いままで経験したことのない出来事に備えてやるものじゃないんですか」
問答しながら、私は、部屋の壁に寄せて置いてある、茶箪笥の上に並べられた、家族写真に目を奪われた。
白黒写真に混ざって置いてある、比較的新しいカラー写真。
おじさんの若い頃の写真かな。
夫婦とひとり娘の三人で映っている写真だった。
お祭りのときに撮ったのかな。
娘さんは浴衣姿で、撮られた場所は、この島の海岸だと、いまの私にはわかる。
「ご家族は、ほかにいらっしゃらないんですか?」
私は、おばあちゃんのほうに訊ねてみる。
避難が必要な人数が知りたかった。
「ふたり暮らしなのよ。孫は内地の高校に進学するっていうんでこの島を出たっきり、帰らないから」
話し相手ができてうれしかったのか、おばあちゃんは訊いていないことまで、よくしゃべる。
もうひとつのカラー写真は、おじさんとおとなになった娘のふたりだけで映っているし、奥さんらしき女性が若い姿のまま、証明写真みたいに映っている顔写真もあるから、たぶん、そういうことなんだろうな。
このおじさんは、家族みんなで過ごした頃の、この島の姿を、保存しておきたかったのかな。
テレビから、臨時ニュースを表す警告音のようなものが鳴って、私たちはみんな、テレビに釘づけになる。
『避難指示』
そう書かれた警報レベルに、この島が含まれていた。
私は葵先輩のおばあちゃんから聞いた話を思い出して、冷静に提案した。
「なにが起きるかわからないので、急いで避難しましょう」
「必要ないと言っているだろう」
眉をひそめながら、おじさんが言う。
これ以上、言ったら、たぶん、怒鳴られるだろうなと思って、私は口をつぐんだ。
「おばあちゃんはどうしたい?」
ベッドの脇に跪いて、佳奈がやさしく呼びかけている。
「避難したいよね」
佳奈にそう言われながら、おばあちゃんは息子の顔色をうかがっている。
これはちょっと、難しいかもしれないと、私は思った。
佳奈は、両手で包み込むようにおばあちゃんの手を握って、なおも話しかける。
「うん。避難したいんだあ。やっぱり、そうだよね。じゃあ、行こうか」
おばあちゃんは、なんも言ってない。
こいつ、強引だな。
私がふふっと笑うと、おばあちゃんも笑った。
「あっちの部屋に車椅子があるんよ」
「そうなの? あかり、持ってきて」
こっちを振り向いた佳奈に指示され、私は車椅子を取りに行く。
部屋の隅に置かれた車椅子を押して、ベッドのところまで持ってくる。
「おばあちゃんだけでも、避難させます。この身体だと、なにかあってからじゃ、避難するのは難しいので」
あとで問題にならないようにしたくて、一応、おじさんにも声をかけておく。
前みたいに、後で苦情を入れられて、先生に呼び出しを食らうのはごめんなのだ。
おじさんは、いいとも悪いとも言わなかった。
「ありがとうねえ」
おばあちゃん本人が、そうやって喜んでいるから、なにも言いようがないのだと思った。
玄関まで車椅子を押してくると、
「あっちにスロープがあるから」
と、おばあちゃんに指示されるまま、別の出口から家を出る。
「おばあちゃん、傘させる?」
佳奈が広げた傘を差し出しながら、訊ねている。
「おばあちゃんね、腰が悪いだけなのよ。腕はちゃんと動くし、内臓も元気なんだから。血液の数字だっていいし、肌年齢も若いのよ」
おばあちゃんは、相変わらず、訊いてないことまで、ぺらぺらとしゃべってくれる。
「佳奈、ちょっと先行っててくれる? すぐ追いかけるから」
私は、あのおじさんをただ置いていくだけになるのが、しのびなかった。
帰って来ないらしいけど、娘がいるって知ってしまったからなのかもしれない。
娘さんの代わりに、なにか言わないといけない気がした。
乱暴だけど、たぶん、話が通じない人ではないと思う。
おじさんは、畳の上にあぐらをかいて座って、テレビのニュースを眺めていた。
「この島では、あなたが一番偉いはずなのに、多数決で負けたから恨んでいるんですか」
驚いた顔で、おじさんがこっちを振り向いた。
私の言ったことに対して驚いたっていうより、いなくなったと思っていたやつが、急に現れたから驚いただけかもしれなかった。
黙っているので、私は続ける。
「学園の誘致に反対することと、命を守るための行動を取ることは、まったく別の問題だと思いますよ」
私の言葉に、おじさんはまじめな顔になったけれど、なにも言い返して来なかったし、だからと言って、避難するとも言わなかった。
強情な人だ。
どうすれば、この人を動かせるのかって、私は頭を回した。
理屈など、思い浮かばないから、私は捨て台詞のように思いついたことを言って、この場を立ち去ろうとした。
「あと、いまはお盆休みだから、学園の職員は直人先生しかいません」
それを聞いて、おじさんの表情が少しだけ明るくなったのが、私にもわかった。
子どもみたいな人だと、私は思った。
◇
佳奈を追いかけていくと、学園に向かう登り坂で、傘もささずにずぶ濡れになりながら車椅子を押す後ろ姿があった。
私は駆け寄って、傘に入れてやる。
「いや、そうじゃなくて、押すの手伝って」
「あ、そっか」
私、なにやってんだろ。
自分で自分に笑いながら、私は傘をたたんで、ふたりで車椅子を押す。
「やーっと楽になった」
息を切らしながら、佳奈が解放感いっぱいで口にする。
「じゅうぶん、重たいわ。ここまでよくひとりで押してきたね、あんた」
ははっと、佳奈が楽しそうに笑う。
「ありがとうねえ」
傘を持ち上げて座っているおばあちゃんの声がした。
ずぶ濡れになりながら、ふたりで車椅子を押す。
学園の入口が見えてくると、いったん坂道は終わりになった。
ふうっと息を吐いて、少し休憩する。
両手をぶらぶらさせて、腕の筋肉の緊張を解いていると、声が聞こえた。
「あとは私がやるから、お前たちは先に行ってなさい」
傘をさしたあのおじさんが、私たちの後ろに立っていた。
「え、そんな、おいしいとこだけ」
「いいから」
なぜか文句を言う佳奈を引っ張って、私は校舎に入っていった。
昇降口に、直人先生がいた。
ずぶ濡れの私たちを見て、指をさして笑っていた。
「あとはこっちでやるから、ふたりは帰っていいよ」
車椅子を押すおじさんの姿を視界に捉えると、直人先生は私たちにそう促した。
「ありがとう、ありがとう」
おばあちゃんは、私たちに握手を求めながら、なんどもお礼を言っていた。
◇
しこたま雨水を含んで、重たくなった服が全身に貼りついてくる。
濡れた髪が、顔に貼りついてきて、不快すぎる。
早く着替えたいし、シャワーを浴びたい。
佳奈とふたりになったものの、なにを話せばいいのかわからなくて、心の中で文句を言いながら、黙って女子寮まで歩いた。
濡れた靴は、ロッカーにしまわずに、そのまま昇降口の隅のほうに立てかけておく。
濡れた靴下を脱いで、裸足で女子寮の廊下を歩き、エレベーターに乗って部屋へ向かう。
会話はない。
「あかり」
佳奈の部屋の前を通り過ぎようとしたとき、手をつかまれて、危うく前のめりに転びそうになった。
「え、なに?」
声にだしてから、こんな反応じゃいけなかったなって思った。
濡れた身体があまりに不快で、八つ当たりのようになってしまった。
「私、あかりと仲直りしたい」
そう言われて振り返ると、精いっぱい、勇気を出したって顔の、ずぶ濡れの佳奈がそこにいた。
やっぱり、私、佳奈のことが好きだ。
雨に濡れた身体じゃなければ、抱きついていたかもしれない。
「着替えてシャワー浴びたら、佳奈の部屋、行くわ。晩御飯まで、いっしょにおしゃべりしようよ」
私が提案すると、佳奈の手が離れた。
「え、部屋片付けなきゃ」
なんで、不満そうなんだ、こいつは。
「別に散らかっててもいいよ。どうせいつも散らかってるじゃん、あんたの部屋」
私が言うと、ええって嫌そうな声をあげて、小さく佳奈が言う。
「隠さなきゃいけないものとか、あるし」
「なんだそれ」
エロ本でもあるかのような言い方だな。
「まあいいや。片付いたら連絡ちょうだい」
気分がいいから、聞かなかったことにしてやろう。
私が笑いかけると、
「はあい」
と返事をして、佳奈もうれしそうに笑っていた。




