第39話 7月 絆の時間(あかり) akari
あかり akari
「その格好、暑くないんですか?」
絆の時間。
葵先輩の部屋を訪れると、彼女はとっくに衣替えも終わっているというのに長袖のブラウスを着ていたので、私はそう訊ねた。
「冷房効きすぎて寒いから」
椅子に腰かけて、机に向かおうとしながら、葵先輩が応じる。
私はいつものようにベッドに腰かけながら、彼女のスマホを受け取る。
「そんなこと言って、外でも長袖じゃないですか」
この時期、みんな半袖だから、学校で見かける葵先輩は、まあまあ浮いて見える。
「日焼けしたくないし。そもそも、内地の人は暑がりなんだよ」
「そういう理由なんですね」
今日はおしゃべりしたい気分だから、私はスマホから鳴っている音楽を止めた。
勉強しようとしていた葵先輩が、こっちを向き直って私の顔を覗き込んでくる。
音楽を止めたら、お互いまっすぐに向き合って、まじめに話をする。
誰が決めたわけでもない。
きっと、葵先輩がそうしようと決めているだけの、私たちの「絆の時間」における、ルールみたいなものだった。
だからこそ、この人は信頼できる。
「プールの時間に変態が出たと、騒ぎになっていましたね」
私は、世間話のように切り出す。
葵先輩は、ああっと声をあげながら、
「それがどうかした?」
と、なんてことない話のように装う。
「二年生の女子が狙われたそうですね。被害にあったのって、きっと、先輩のいるクラスなんじゃないですか」
「2分の1の確率じゃない」
イエスともノーとも言わずに、葵先輩ははぐらかす。
「そうですね」
そんなとき、私はそれ以上、追及しないことにしている。
なぜなら、それが正解を表すと知っているから。
この人は、私に嘘はつかないと決めているんだと思う。
どうしてなのかは、わからないけれど。
週に何回か、1時間だけいっしょに過ごす、絆の時間。
4月からその時間を積み重ねてきて、だいたい傾向がわかってきた。
私に嘘をつく必要に迫られたとき、この人は黙るという選択をするか、はぐらかすという選択をするか、そのどちらかを選ぶんだ。
それが重要なときは、黙る。
たいして重要じゃないときは、はぐらかす。
それも、だいたいわかってきた。
私はうれしい気持ちになって、ふふっと笑った。
「誰が犯人か、私、知っているんです」
証拠はない。
ただ、言い当てる自信はある。
葵先輩は、なにも言わずに微笑んだ。
ぞくっとしてしまった。
これがまた、たまらない。
だから、私は、この人を揺さぶることをやめられないんだ。
「『犯人』のせいで、ネット、完全に遮断されちゃいましたね」
まあ、先生の見ている前でなら、できるらしいけど。
そんなこと、わざわざするやつはいない。
ネットを覗き見る目的なんて、たいてい、ろくでもない。
そんなの暗黙の合意の上で、使わせていたものじゃないのかって思う。
「ほんと、学校のやることって、茶番ですよね」
ははっと葵先輩が笑った。
「学園システムが、『ハルシネーション』を起こしているみたいだって、先生が言ってたわ」
「それって、直人先生ですか?」
ほんの少し、むっとした顔をして、葵先輩は黙った。
これは嘘をつきたくないからっていうより、野暮なことを聞くんじゃねえってそういう顔だな。
私は楽しくなって、笑ってしまった。
それを見て、葵先輩も、ふっと力が抜けて、いつもの顔に戻った。
「学園システムが、生徒を敵だと考えはじめているんだって」
「なにそれ、意味わかんない」
だいたい、「学園システム」ってなによ?
学園アプリの親玉みたいなもの?
そうだとして、それが「ハルシネーション」を起こしたからなんだっていうの。
まあ、どうでもいいか、そんなこと。
「葵先輩は、『犯人』が一年生をターゲットにすると思いますか?」
私は、私の着替えの中に、佳奈のパンツを入れたのが誰なのか知りたかった。
騒動の犯人は間違いなく葵先輩だと思うけれど、この人は下級生に迷惑をかけることはしないと思っているから、その点で不思議だった。
「さあね。知らないけど、事件はいつも二年生を対象に起こっているよね」
私はそんなことやらないって言いたいわけだ。
じゃあ、佳奈のパンツを私の着替えに紛れさせたり、私のパンツをどこかへやったり、そんな子どものいたずらなのか、変態なのかは知らないけれども、そんなわけのわからないことをする更衣室荒らしって、いったいなにが目的で、誰がそんなことをしているんだ。
この状況は要するに、「模倣犯」が出たってことだ。
それだったら、「真犯人」である、この人に訊いてもしょうがない。
いや、「模倣犯」が、「真犯人」に共感して事件を起こしている可能性は、あるかもしれない。
「私、『犯人』の動機に興味があるんですよね。学園の評判をおとしめることが目的なのはわかっているんですけど」
なにか話してくれるだろうと期待して、私は訊ねてみた。
私の期待に応えてくれた葵先輩の話は、正直、私では想像もできなかった内容ではあった。
「学園がこの島にやってくる以前」
葵先輩は、そう切り出した。
「この島は、誰もが顔見知りで、穏やかで居心地のいい土地だったんだよ」
「自然豊かで、不便だけどいい島だっていうのは、私も生活しているからわかります」
私はこの島というより、あの山に心を惹かれていた。
佳奈と過ごす、あの山の風景や雰囲気、風の匂いや、木々のざわめきも、すべてが神聖で、彼女の言葉を借りるなら、「美しい」とさえ感じていた。
葵先輩は、あなたになにがわかるのって、疑うような笑いを浮かべて続ける。
「時間なんて気にすることもないし、極端に表現すれば、太陽の動きに合わせるようにして、みんなのんびり暮らしていた」
私と目が合っているようで、どこか遠くを見ているような、そんな、遠い昔の風景を、思い出しているかのような様子だった。
「私はその暮らしを心から愛していて、たぶん、みんなもそうだった」
学園がやってきて、この島は変わってしまったと言いたいのだろう。
「学園ができてから、気に障ることが増えた」
葵先輩は、その心情を、端的にそう表現してみせた。
私は「犯人」である、葵先輩の感情に思いを馳せてみる。
みんなが顔見知りで、つまり、この島はひとつの家みたいなもので、そこに何百人という見知らぬ人間が、我が物顔で押し寄せてくるのだ。
家のルールも、習慣も、なにもかも知らない子どもたちが何百人だ。
「確かにそれは、不快ですね」
無表情の葵先輩が、笑った気がした。
私も家にいるのが好きだったし、高校なんて通わずに、家に引きこもってやろうと考えていたくらいだから、その感情はわかる。
元の暮らしを失ってしまったこの人たちは、自分の居場所を失くした人たちなんだ。
島流しの刑に処された私と同じだな。
だから、私って、葵先輩と自分が似ているって感じていたんだ。
「もし、この島に、学園がやってこなければ、たぶん、この島は、私がお父さんやお母さんの年齢になる頃には、不便なだけでは済まないほど、人が住むには難しい環境になっていて、私がおばあちゃんになる頃には、言葉どおりの意味で、人が住めない土地になっているんだと思う」
人口減少だとか、少子高齢化だとか、農村の過疎化だとか。
そんな話を学校でも習った気がするし、テレビやなんかで耳にしたことも、一度や二度ではない気がする。
「この島の生活インフラを支えていく社会的なコストを、やがて国民は認めることができなくなる。だから、この島が持続可能であるために、学園の誘致は不可欠なことだったんだよ。この国の将来を担う、子どもたちを育成するためって話にすり替えれば、国民の理解が得やすいって、そういう話だからね」
「ずいぶん、詳しいんですね」
「この島の人間なら誰でも知ってるよ。だって、そう説得されて、この島で暮らす多くの人たちが受け入れたことだから。私なんて子どもだし、ぜんぜん、詳しくなんてないほうだよ」
そっか。
葵先輩も、子どもなんだよな。
おとなみたいにしっかりしているし、見た目にもスラッとしていて、落ち着きがあって、おとなびているから、ぜんせん、そんな感じがしなかった。
私とたったひとつしか、年も変わらないお姉さんなんだ。
「島民の同意もなく、学園が建設されるわけないですもんね」
「そうね。でも、それは、同意というよりも、島民同士が賛成派と反対派に分断されてゆくことに、ただ、疲れただけかもしれないよね」
どのくらいの人が、最終的には賛成したのだろう。
それはわからないけれど。
「それで、この島にあった暮らしが失われてしまうのなら、それってぜんぜん、持続していないし、まるで、『茶番』、みたいですね」
あははって声をだして、葵先輩が笑った。
こんなにわかりやすく笑う先輩、はじめて見たかもしれない。
「だから、『犯人』は、この島から学園を追放しようとしているんだよ」
世間に訴えかけてって、そういうことなのかな。
なんだか、こわくなってきて、私はこの話題から離れようと思った。
「私の友だちが生まれ育った村も、滅びかけだって言ってました。あるいは日本中で、この島と同じ事態が、引き起こされているのかもしれないですね」
わかったふうなことを言って、ぴりついた空気をごまかしてみる。
あながち、間違いでもないのかもしれない。
過去に一度、大きく拡がったものが、適正なサイズに戻ろうとしているだけなんだ。
「滅びたらどうなるのって、私、訊いてみたんですよ、そいつに」
「その子はなんて?」
私は、あいつのものまねを披露してみせる。
『森になる』
あははって、楽しそうに、また葵先輩が笑った。
「その友だちってさ、いつもあなたの話に出てくる『佳奈』って子でしょ」
「え、そうですけど、なんでわかるんですか」
葵先輩は、私の問いかけを無視して、
「やっぱ、私、好きだなあ、その子のこと」
そんなことを言いだすから、私はちょっと佳奈にむかついてしまった。
葵先輩にそこまで言わせる、佳奈がうらやましいと、そう感じてしまった。
たぶん、葵先輩は私と似ているから、私が佳奈のことを好きだと感じるように、この人もそう感じてしまうんだ。
「先輩には紹介しませんよ。佳奈は私のものなので」
「喧嘩してるんじゃなかったの?」
おちょくるように、葵先輩が言う。
佳奈の話をしていたら、絆の時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。
私は立ちあがって、葵先輩に使わなかったスマホを返す。
なんだか今日は、葵先輩との絆が、またいちだんと深まったような気がする。
私は最後に、気になっていたことを訊ねてみた。
「葵先輩は、私がなにをしでかすか、こわくないんですか?」
私は、葵先輩のひみつをたくさん知っている。
そんな私を口封じもせず、放っておくことが、この人はこわくないのかな。
そんなに私が裏切らないって、強く信じているのかな。
不思議がる私に、葵先輩は普段と変わらない調子で応じた。
「あなたがなにをしようが、あなたの自由でしょ」
この人は、ほんとうに不思議な人だ。
「私がなにをしようが、私の自由であるのと同じことでしょう」
葵先輩は最後にそう付け加えた。
彼女の部屋を出て、自分の部屋へと帰る道中、私は改めて思った。
やっぱり、あの人のこと、嫌いじゃない。
好きって気持ちとも、なんか違う。
そう、嫌いじゃないんだ。




