第38話 7月 倒錯 kana
佳奈 kana
プールの授業がはじまるのを待つ間。
遥香はみんなに取り囲まれていた。
やれ、スタイルがいいとか、モデルみたいだとか、グラビアアイドルみたいだとか、みんな口々に遥香を褒め称えている。
そんな下世話な表現はいらないんだよと私は苛立ちながら、遠巻きに遥香の姿を眺めていた。
遥香は「美しい」んだよ。
みんな、わかってない。
そう思っていると、遥香がこっちを向いて、指で小さくバッテンを作って、私になにかをアピールしてきた。
私をそういう目で見るなってことかな。
あかりにしゃべっちゃだめって言われているから、そうやってボディランゲージで伝える方法を覚えたんだ。
プールの授業がはじまり、なにかハプニングとか起こって、遥香の水着からぽろりみたいな事件でも起きないかなあと期待したけれど、そんなわけなかった。
久しぶりのプールは冷たくて気持ちよくて、私は途中から遥香のことなど忘れて、泳ぐことに夢中になってしまった。
あかりは運動神経がないから、上手に泳げないみたいで、息つぎのたびに、なんども立ちあがっては、また泳いでを繰り返していた。
下手でも頑張って参加しているところは、好感が持てるなって素直にそう思う。
あいつ、学校なんて茶番だとかなんとか言いながら、朝も弱いくせに、中学までほとんど遅刻とか欠席とかしたことなくて、ほぼ皆勤賞だったみたいだし、そういうまじめなところは、あいつのいいところだと思っている。
逃げるのではなく、立ち向かう、戦うっていうのが、あいつのやり方なんだ。
基本からわかってなさそうだから、上手な泳ぎ方というものを教えてやりたい衝動にも駆られたけれど、更衣室で変態とか言って馬鹿にされたばっかりだし、喧嘩しているから見なかったことにした。
◇
授業が終わると、私は先陣を切って更衣室に乗り込んだ。
あかりのパンツをはくところを、本人に見られるわけにはいかない。
それ私のだから返せって言われてしまうおそれがあるからね。
そうなったら、作戦は台無しだ。
着替え終わって更衣室を出たとき、あかりと遥香は、みんなの着替えが終わるのを外で待っているようだとわかった。
あかりは遥香に付き合ってあげているだけだろうけれど、遥香はみんなにじろじろ見られるのが恥ずかしいのかな。
みんな、どうしたって目がいっちゃうからね。
私たちとは造形が違いすぎるし、下心抜きにしても、やっぱり自然の摂理で目を奪われてしまうんだ。
私は、「見ないから大丈夫だよ」って気持ちで、遥香に微笑みかけてやる。
遥香は、にこっと笑って、サムズアップで応じてきた。
伝わったみたいだ。
ばたばたと、慌てふためきながら、私は教室に戻る。
校舎に入り、廊下を歩きながら、あかりのやつ、いまごろ、「おばあちゃんのパンツの刑」に処されているぞと、私はにやにやと笑った。
困惑する顔が目に浮かぶようだ。
あんな気の強い、かっこつけた澄まし顔をしたやつが、実はおばあちゃんの買ってきたでっかいパンツをはいているって考えただけで、おもしろすぎる。
まさか犯人が私だとは気づくまい。
休み時間が終わるぎりぎりになって、あかりが教室に入ってきた。
当たり前だけど、何事もなかったかのような、いつもの澄まし顔をしている。
でも、こいつ、私のおばあちゃんが買ってきたパンツはいてるぞ。
美智子のチョイスしたパンツだ。
ダサいって馬鹿にしてたやつ。
はき心地は最高なんだから、とくと味わうがいい。
起立、礼、着席ってしたとき、私はふと気がついた。
あれ?
ということは、私って、いま、あかりのパンツ、はいてるんだ。
ついさっきまで、あかりがはいてたパンツ。
しかも、このパンツ、あいつにはじめて会った日、海辺の公園で見た、白地に赤いリボンのついた、ちっちゃくてかわいい、あのパンツじゃないか。
あかりがスカートを持ち上げている光景がフラッシュバックしてくる。
なんか、ちょっと、変だ。
きゅうって、すごい、食い込んでくる。
こんなちっちゃいパンツ、はいたことないし、こういうものなの?
なんか、すごい、お股に、くるんだけど。
サイズ合ってないのかな。
あいつ、足細いし、お尻もちっちゃいから。
あかりのお尻、かわいかったなあ。
なに考えてるんだ、私。
あいつの大事なところに触れてた布が、いま、私の大事なところに食い込んできて、そんなこと、想像しちゃだめだ。
私、いけないことしてる。
なんか、パンツが食い込んでくるっていうか。
ぎゅっとされてる感じっていうか。
大事なところを、誰かに触られているみたいっていうか。
や、やばい。
不整脈かな、これ。
心臓がどくどくして、布に触れているところが、びりびりしてきた。
下半身に、心臓がもういっこあるみたいに、からだが勝手にびくびく動いて、パンツを椅子にこすりつけようとしてくる。
我慢しようと、足を浮かせて、ばたばたさせてみても、ぜんぜん収まる気配がない。
椅子に座っているのがよくないんだと、腰を浮かせてみるけれど、余計にパンツが食い込んでくる気がして、お股っていうか、お尻のほうまで締めつけられている感じがする。
あかりのパンツが、まるで生き物みたいに、私のからだに吸いついて離れないんだ。
す、吸われている?
あ、あかりに?
そういうの、考えちゃだめだ。
ただでさえおかしいのに、余計、おかしくなっちゃう。
我慢しきれず、腰が動くのを許してしまったとき、椅子がガタっとなって、みんながこっちを振り向いた。
先生と目が合って、私は反射的に立ちあがる。
「すごい汗、どうしたの?」
隣の席の志乃ちゃんが小さく声をかけてくる。
その声に反応して、前の席のあかりが振り向いたとき、ふわっと嗅ぎ慣れた彼女の匂いが漂ってきて、私は我慢できなくなった。
「お、お腹痛いんで、トイレ、行ってきます」
震える声で、なんとかそう言うと、先生は笑っていた。
男の子たちにも、げらげら笑われて、恥ずかしいけれど、それどころではない。
私は教室を飛び出して、慌ててトイレに駆け込んだ。
◇
個室の扉を閉め、鍵をかけると、私はスカートを下ろして、便座に腰かけた。
視線を落とすと、間違いなく、あかりのパンツをはいている自分がいるのがわかる。
状況を正しく認識すると、猛烈な勢いで、またあの感触が押し寄せてきた。
ぎゅっと目を閉じると、あかりの姿がまぶたの裏に浮かんでくる。
こんなにも鮮明に、あかりの姿をイメージできてしまうのは、きっと、毎日、あの動画を見ているせいなんだ。
あかりは、遥香にキスをするように、私のからだに覆い被さってくる。
その手がパンツに伸びてきたのを感じて、私は慌てて目を開けた。
「うわ」
目を開けても、あかりの残像が消えなくて、私は思わず声をあげた。
あかりに触られている感触が、ぞくぞくっと下からせりあがってくる。
彼女の手から逃れようとして、ひとりでに腰がぐねぐね動きだす。
からだが言うことをきかない。
『だめ』
心の中で、そう懇願してみても、あかりはまったくやめてくれない。
むしろ、いたずら心を刺激された、楽しそうな顔で私に迫ってくる。
だって、動画ではそうなってるし、あの山で見たあかりも、そうだったから。
抗えないものと認識すると、いままで感じたことのない、強い刺激の波が押し寄せてきた。
「あっ」
胸がどくどくして、呼吸が乱れ、声が漏れてしまう。
こんなの、誰かに聞かれたらまずい。
「うう」
指を噛んで、痛みで押し返そうとするけれど、もう、からだがぜんぜん言うことをきいてくれなかった。
お、おしっこ漏れちゃう。
ぐうっとお腹を押さえて、力を入れて、前屈みになって、浮かせた足をばたばたさせて、どうにかやり過ごそうとする。
からだが熱くて、汗がすごい。
走ってもいないのに、はあはあと、息を切らしてる。
だめだ。勝てない。
もう、どうなってもいいや。
おしっこ漏れちゃったとしても、ここ、トイレだし、もうなんだっていいや。
私は、すべてをあきらめ、力を抜いた。
あかりに身を委ね、されるがままになると、ぞわぞわってして、からだがぶるぶる震えだして、雷に打たれたみたいに、全身にびりびりが駆け巡って、ぱんって頭が真っ白になった。
あかりの姿は消え、びくびくと、子鹿みたいに震えている、私だけがそこにいた。
◇
眠っていたわけではないはずだ。
チャイムの音がして、私は意識を取り戻した。
からだをだらんとしたまま、ぼうっとしてしまっていた。
時間が止まっていたみたいだ。
息を吸いすぎて、あるいは息を吐きすぎて、呼吸をする方法がわからなくなって、酸欠にでもなってしまっていたのかな。
私はようやく立ちあがり、スカートをはき直した。
パンツ、汚れちゃったから、このままじゃ椅子に座れないし、帰らなくちゃ。
ホームルームを待つ、ざわざわした教室に入ると、隣の席の志乃ちゃんが声をかけてくる。
「お腹は大丈夫?」
「だめみたい」
あらあらって心配そうな志乃ちゃんに挨拶だけして、私は鞄と水着のセットを持って、教室をあとにした。
あかりの顔は、とても見られなかった。
◇
部屋に帰った私は、荷物を置き、スカートを脱ぎ捨てて、ベッドに転がり込んだ。
枕を握りしめて、目を閉じる。
あの感触が、ぞわぞわと、また迫ってくるのを感じる。
ここなら、誰にも見られる心配はないし、ちょっとくらい声がでちゃっても、だいじょぶ。
そうだと閃いた私は、鞄からスマホを取りだして、あの動画を開いた。
なんどもなんどもリピートしながら、あかりに身を委ねてみる。
しびれるような感覚が、頭が真っ白になる感覚が、どうしても忘れられなくて、なんども、なんども、してしまう。
いったいどれだけ、そうしていたのか。
日が暮れた頃、スマホのバッテリーが切れそうになった表示を見て、私はようやく正気に戻れた。
あかりに支配されていた、みたいだった。
ベッドから起き上がって、慎重にあかりのパンツを脱ぐ。
脱げたことに安心して、ふうっと息を吐いた。
一生脱げない、そういう、呪いっていうか、報いっていうか、天罰みたいなものだったら、どうしようかと心配だった。
水着といっしょに、これから洗濯をしよう。
それから、シャワーを浴びるんだ。
ちょうどいいから、着替えをしようと、私は裸になった。
空調の風が、ひんやりと身体をなでて、身震いしながら、窓のほうを振り向く。
「きれい」
女子寮の6Fから見える、いつもの景色のはずなのに、窓枠に収められたそれは、あまりに色鮮やかで、裸のまま、私は圧倒されて、動けなくなってしまった。
灰色の、嘘だらけの偽物の世界は崩れ去り、色鮮やかな、真実の世界が広がっていると、私は確信した。
あかりのパンツをはいたことで、世界が変わったんだ。
私は、あかりに、わからされた。
「私って、あかりのこと、好き、なのかなあ」
あかりにあんなふうにされるのを想像して、からだを支配されるようでいて、なぜだか心地のいい、そんな感覚に溺れてしまっていた私は、あかりに対して、ほかの誰にもない特別な感情を抱いていることを自覚させられた。
遥香ならまだしも、あいつのこと、そんなふうに思うわけないんだけどなあ。
あかりの考えていることや、あかりの気持ちは、手に取るようにわかる気がするから、自分のことみたいに、感情移入できてしまうのはあるけれども。
あの動画を見るときだって、私はいつも、あかりになったつもりで、遥香のことを見ていた。
遥香という、超自然的な美しさを持ちながらも、自然界で生まれた、私たちとなんら変わらない同い年の女の子という、あまりに神秘的なその存在を、あかりというフィルターを通して眺めていたのだ。
そこに、ほかでは体感できない、美しさを見出していた。
「遥香じゃなくて、あかり、なのかなあ」
私は、わけがわからなくなってしまった。
◇
水着袋にパンツを入れて、洗濯室へ行こうと部屋の扉を開ける。
「あれ?」
ドアの横に、買い物袋が置いてあった。
拾い上げて中身を見ると、売店で買ったらしい、スポーツドリンクや消化によさそうなゼリーとか、ヨーグルトとか、風邪を引いたときに、おばあちゃんが持ってきてくれるようなものが、わんさと入っていた。
あかりだって、すぐにわかった。
私は部屋に引き返して、机に向かい、ノートを開く。
短く文章を書いて、乱暴にページを切り取ると、小さく折りたたんで、また部屋を出た。
折りたたんだそれは、あかりの部屋のポストにつっこんでおく。
「そんなこと言って、志乃ちゃんだったらどうしよう」
そしたら、笑えるからいいか。
その足で洗濯室に向かい、洗濯物を放り込んで機械を動かす。
それから、私はいい気分で、シャワールームへと向かった。




