第35話 6月 体育倉庫の裏 akari
あかり akari
『そっちがその気なら、私だってあかりとは口を利かないから』
あれから、佳奈とはほんとうに口を利いていない。
原因はわかっている。
遥香に相手をしてもらえなくて、子どもみたいにすねてしまったのだ。
あの日から、登下校も別々だし、ご飯だって別々だ。
佳奈という女は、わかりやすい。
自分から口を利かないとか言ったくせに、いつも私のことを気にしているし、仲直りしたいのか、話しかけるタイミングをうかがっているのもわかる。
私たちのまわりを、意味もなくちょろちょろしていたりするのだ。
怪我をしていたときみたいに、また三人で過ごしたくて、尾行しながらチャンスをうかがっているに違いない。
その様子が、なんだかかわいくもあるから、私はあいつを泳がせて楽しんでいた。
「佳奈ちゃんってさあ」
「佳奈がどうかした?」
「ん。なんでもない」
ひとけのない場所にわざわざ移動したというのに、なぜか通りかかった佳奈を無言で見送りながら、遥香がなにか言いたそうにしている。
「素直に自分の『負け』を認めればいいのに」
「ん? どういう意味?」
遥香は、不思議そうな顔をしていた。
「ん。なんでもない」
遥香のまねをして私が言うと、彼女はむうっと不満そうな声を漏らして、隣に座る私の肩に頭を乗せてきた。
お昼休みは、体育館の裏で過ごすのが、私たちの定番になった。
体育倉庫の裏が、ふたりきりになるのに最も都合がいい位置だ。
屋根があるから、雨に濡れることもない。
ここは校舎から死角になっているし、男子寮からも女子寮からも見えなくて、目の前には木々で覆われた山しかない。
女同士でいちゃいちゃしていても、誰にも邪魔されないし、誰にも不審に思われなくて済む。
ここなら、佳奈も追いかけてはこない。
こんな場所を通りすがるのは、さすがに不自然すぎるからだ。
あいつだって、そのくらいの分別はつく。
遥香は、私にとても従順な女だ。
恋人ってそういうものなのかなって思ったりもする。
私が不良みたいな明るい髪色は好きじゃないと言えば、私に合わせて髪を黒染めしてみせるし、ほかの子と仲良くするなと言われれば、私が見ていないところでも、ひとりきりでいるらしい。
C組の子が、最近、遥香がおかしいと話しているのを聞いて知った。
その点で、佳奈は遥香とはまったく違う。
佳奈という女も、私のことを思ってくれてはいるけれど、あいつは私の要求を真に受けない。
都合が悪くなったら、逃げてなかったことにする。
あいつにも、譲れない一線があるのだ。
それはむしろ、人として当たり前のことだから、私も自分の気持ちを言葉にはしても、必要以上に要求することはしなかった。
遥香は、私が望めば、なんだってそのとおりに従う。
人のお世話を焼くのが苦手じゃないっていうか、なんなら、好きみたいだ。
小雨の降る中、体育倉庫の裏で、いつものようにおしゃべりしているとき、私は思い切って訊ねてみた。
「そんなに人のお世話をするのが好きなら、将来は看護士とか介護士になったら?」
私は彼女の献身的な振る舞いに、半ば感動すら覚えていた。
「それ、お母さんからもよく言われるわ」
遥香は家族に思いを馳せながら、楽しそうな調子で言う。
「進路のひとつとして、考えてはいるよ。実際、好きだからね、人間。ていうか、動物がそもそも好きだけど」
人間をすぐに動物のカテゴリーに加えるやつ、遥香でふたり目だ。
「じゃあ、動物園の飼育員とかは?」
ははっと笑いながら、遥香が応じる。
「猫アレルギーあるからなあ。志乃ちゃんの実家、猫飼ってるんだけどさ、かわいくて大好きなんだよねえ。なのに、私ってば、くしゃみ止まらなくて。あれじゃ、きっと仕事にならない」
遥香は、たくさんいる友だちの話をよくする。
中でも、うちのクラスの志乃ちゃんという子の話をよくする。
「あかりは?」
「やりたいことなんてないよ」
たいして好きなこともないけれど、そこまでは言わないでおいた。
私は高校なんて行かずに、いい加減って意味のテキトーに生きるつもりだったんだ。
偶然にして、佳奈と出会ってしまったために、私はこの島へやってきたに過ぎない。
じゃなきゃ、おばあちゃんの策略になんて、乗ってやるつもりはなかったんだ。
思い出したら、腹が立ってきた。
「お母さんはなんて?」
「知らない」
腹立たしさにまかせて、反射的に冷たく答えてしまった。
遥香は、私にお父さんがいないことは知っている。
なにかの話題でお父さんの話になったから、クズの父親がいたらしいけど会ったことないって教えてやった。
普通はそうなるよねっていう、なんとも言えない顔してた。
無神経にげらげらと笑うのなんて、あの女くらいのものだ。
「進路の相談とか、しないんだ」
「だって、やりたいことないし。正直に言えば、生きるのが面倒くさいよ」
遥香はどうしたものかって顔で、「むう」ってうなった。
遥香にお母さんの話なんてしても、私の気持ちはわからないよ。
わかってくれるのは、あいつだけなんだ。
遥香は、そんなふうに思っている私の要求を、なんだって受け入れてくれている。
たぶん、ほかの子と仲良くできないのを好ましく思ってはいないはずだけど、それでも言われたとおりにしてくれる。
キス、という行為には、人をそんなふうに変えてしまう魔力があるのだろうか。
その魔力をもってすれば、佳奈を私のものにすることも、できるのだろうか。
ふいにそんな思いがよぎって、私は罪悪感を覚えた。
「遥香ってさ、なんでも私のお願い、聞いてくれるよね」
「え、だって、あかりのこと好きだし、恋人は大切だから」
見つめられると、胸がずきずきしてくる。
「じゃあ、だめなことってなに?」
譲れない一線は、どこにあるんだろう。
罪の意識から逃れる術を探して、私は訊ねてみた。
遥香は、にやりと笑って言う。
「浮気だけは、しちゃだめ」
私が固まっていると、遥香は笑顔のまま続ける。
「愛があってのものだからさ」
「浮気って、たとえばどんなこと?」
一瞬にして、遥香の笑顔が曇った。
「キスは浮気?」
「当たり前でしょ」
念のため訊ねてみた私に、遥香は怒ったような調子で被せてきた。
「だよねえ」
冗談にかえて、私はその場をやり過ごす。
笑っていた遥香は、急にまじめな顔になって私を見つめてきた。
「ここならさ、できそうじゃない?」
「ん?」
意味がわからず、とぼけた反応を返してしまった私も、遥香の表情を見て、すぐに理解した。
周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。
再び遥香の顔に目をやると、とろんとした顔で私の唇を見つめていた。
いつも遥香がやる、「ください」って懇願する表情だ。
私は優越感を刺激されて、お望みどおりにしてやる。
遥香は背が高いから、肩をつかんで腰を浮かせて、やっと唇に届く。
その姿勢がつらいってわかるから、唇に触れると、遥香は私の腰をつかんで、支えるようにして、私を抱き寄せてくれるんだ。
唇を離すと、「もう終わっちゃうの?」とでも言いたげな、残念そうな顔で私を睨んでくる。
これもいつもどおりだ。
「これで満足した?」
馬鹿にするような調子で、そう言ってやる。
「はい」
そうやって、冷たくされると、遥香はいっそう喜ぶ女なんだと、私は知っている。
要するにこれは、ただのリップサービスということなのだ。
「外でするの、はじめてを思い出して、なんか、すっごい、よかった」
抱き寄せていた私を解放すると、遥香はそんなことを口にする。
えろいなこいつ、と思いながら、私は笑ってしまう。
失言に気づいたのか、耳を真っ赤にしながら、遥香は体育座りの膝に顔を埋めた。
「私も佳奈ちゃんのこと言えないや」
顔をあげた遥香が言う。
私が笑うと、遥香も笑った。
笑っていた遥香は、なにかを思い出したように、はっとして口を開いた。
「佳奈ちゃんで思い出したけど、例の事件の噂、知ってる?」
噂話なんて興味がないから、私はなにも知らなかった。
「事件って?」
「プールの授業中に、女子更衣室が荒らされたらしいよ」
「なにそれ、変態じゃん」
「お互い、気をつけようね」
それを佳奈で思い出すって、どういうことなんだ。
「この間、プールの授業が中止になったのって、それが理由らしい。更衣室の鍵を犯人が持っているおそれがあるから、念のため、鍵を交換する工事を終えるまで、プールの使用が中止になったって、水泳部の子が話してるの聞いちゃった」
話を聞きながら、私はなぜか、犯人が誰かわかるような気持ちになっていた。
「被害にあったのってさ、二年生?」
「そうだけど、なんでわかるの?」
「いや、なんとなく」
犯行の目的はきっと、「学園の評判をおとしめるため」ってところかな。
「犯人、変態じゃないね」
「どゆこと?」
遥香は半笑いの顔で不思議がる。
「実行犯が誰かはわからないけれど、真犯人は『女』だろうね」
「まあ、現場が女子更衣室なら、その可能性もある、かなあ」
遥香は半信半疑という様子だった。
「去年あったっていう、着替えの盗撮事件と、たぶん、同じ犯人だ」
私は確信していた。
きっと真犯人は、『葵先輩』だ。




