第33話 6月 絆の時間(佳奈)1 kana
佳奈 kana
「無事に治ってよかったねえ」
絆の時間。
みよちゃん先輩の部屋を訪れると、開口一番に彼女が言う。
「ありがとうございます」
足が治ったから、ベッドではなく座布団に座るよう促された。
「佳奈ちゃんが松葉杖をついてたり、ギプスを巻かれた足を引きずって歩いているのを見かける度に、胸が苦しくて泣いちゃいそうだったから、これでほっとひと安心なんだあ」
いつものようにお茶を用意しながら、みよちゃん先輩は言う。
私はうれしくなって、座布団の上に正座してみせる。
「すっかり治ったから、こうやって正座だって、できるんですよ」
わあって声をあげると、みよちゃん先輩はぱちぱちと手を叩いてみせた。
得意げになっている私に、お茶の入ったグラスが差し出される。
ひと口飲むと、いつもの味がする。
窓の外では、激しい雨が降り続いている。
例年より遅い梅雨入りだとか言われていたのに、梅雨入りした途端に雨ばっかりで嫌になっちゃう。
日差しがないから、暑さは和らいでくれて、部屋で過ごしやすいのはいいことだけれども。
まるで、いまの私の気分みたいに、毎日どんよりしているんだ。
「足、崩したら?」
みよちゃん先輩が心配そうな顔で訊ねてくる。
私はいま、無性に正座したい気分なんだ。
足を揃えて、両手を膝の上に置くと、みよちゃん先輩も改まった顔をして正座してみせた。
ふたりで見つめ合って、うふふっと笑いあう。
「なにか相談したいことがあるのかなあ」
まったく本題に入らない私に、みよちゃん先輩が訊ねてきた。
待ってましたとばかりに、私は勇気を出して声をあげる。
「みよちゃん先輩は、キス、したことってありますか?」
みよちゃん先輩は、声を発する代わりに、ぺろっと唇を舐めた。
瞳がうるうるして、どんどん顔が赤くなる。
たぶん、どう答えたらいいか、わからないでいる。
美代子に申し訳ない気持ちになってきた私は、説明をはじめた。
「好きな人を、友だちに取られちゃったんです」
みよちゃん先輩が、両手で顔を覆いながらうつむいた。
「あの、私は大丈夫なんで」
みよちゃん先輩は私のことをとても大切に想ってくれている。
足を怪我しているのを見ただけで、泣いちゃいそうになるくらいなんだ。
母性の塊、みたいな女なんだから、美代子って。
心配させたくはなかった。
「佳奈ちゃんって、強いんだあ」
急に笑顔の美代子が現れたので、私はんふってふきだしてしまった。
それを見て、みよちゃん先輩もほっとしたように笑ってくれた。
「まあ、それはいいんですけど」
「う、うん」
「そいつ、わがままな女で、私の好きな女の子のこと、独り占めしようとするんですよ。私だってその子と友だちなのに、私とはしゃべっちゃだめって言って、近づけさせないようにするんです」
「独占欲が強い子なんだあ」
黙って従っている遥香も遥香なんだけど。
私は、むかむかしながら続ける。
「だから、私の母性もついに限界を突破して、『おまえとはもう口利いてやんない』って言って、絶交してやったんです」
ちょっと大げさに話を盛りすぎてしまったけれど、私はそのくらいむかむかしているのだ。
「それ以来、ふたりとは絶縁状態で」
「痴情のもつれ、って言うのかなあ。そういうのって」
「かもしれないです」
うんうんって、ふたりで頷きあう。
「佳奈ちゃんは、ほんとうはどうしたいの?」
「仲良くしたいです」
みよちゃん先輩の前だと、素直に言葉にできた。
そのことに、自分で少し驚いた。
みよちゃん先輩は、深々と頷きながら言う。
「友だちをふたりも同時に失うなんて、そんなのさみしいもんね」
やさしい言葉をかけられると、うるうるしてしまう。
「素直に『仲良くしたいんだあ』って言ってみたら?」
「それじゃ、私の『負け』みたいじゃないですか。元はと言えば、あかりが悪いのであって、私はなにも悪くありません」
みよちゃん先輩は、頭を抱えた。
「誰かと喧嘩したとき、佳奈ちゃんはいつもどうやって仲直りしているの?」
「喧嘩なんてしたことないです」
私は即答した。
地元の子たちは、私に対してあきらめの感情しか持っていないし、私もみんなに対して喧嘩になるほど情熱的な感情を抱いたことはない。
「おばあちゃんとは?」
「おばあちゃんには感謝していたので、喧嘩どころか、反抗しようと思ったこともありませんでした」
そこまで口にして、私は気がついた。
「いま、はじめておばあちゃんに反抗しているのかもしれないです。手紙の返事、ずっと書いていないので」
「え、それは書いてあげてほしいなあ」
「それこそ、私の『負け』みたいじゃないですか。元はと言えば、おばあちゃんが私を騙したのが悪いんです」
みよちゃん先輩が、うるうるしはじめた。
これ以上、なにかを言うとやぶ蛇になると思って黙っているけれども、ほんとは言いたいことがあるって顔だ。
美代子が泣いちゃうと思って、私は口を開いた。
「そういうとき、みよちゃん先輩はどうしてるんですか?」
美代子は、天を仰いで考えることに集中している。
泣きそうな気持ちはどこかへ消えてくれたみたいだ。
私が満足していると、みよちゃん先輩が口を開いた。
「喧嘩とかしたことないからなあ。とっても温厚なんだあ、私って」
「知ってます」
「美代子って、だいたい、なんでも許せちゃうところあるし」
「ちょっとだらしないですよね」
「そういう言い方、よくないんだあ」
むっとした顔で、みよちゃん先輩が言う。
私がふふって笑うと、みよちゃん先輩も、うふふって笑ってくれる。
和やかな雰囲気を感じた私は、核心へと迫ってゆく。
「仲良くしたいっていうのも、事実ではあるんです」
「それだけじゃないことって、ある?」
美代子は根源的な疑問を呈してくる。
「私、このままふたりを見ていたいんです」
「見ていたい?」
意味がわからなかったのか、みよちゃん先輩は眉をハの字にして、私が言ったことを繰り返してみせた。
私は、いまの気持ちを正確に伝えようと努力する。
「とても、美しい景色、だったんです」
言葉にすると、鮮明にその記憶が蘇ってくる。
あの山で目撃した光景が。
頬を赤く染め、目を閉じたまま、あかりを受け入れる遥香の姿と、遥香にまたがって、彼女を蹂躙するように、唇を押しつけるあかりの姿が。
そのあかりが、目だけでこっちを見て微笑むその姿が。
「あまりに美しくて、忘れることができないんです」
茫然としている、みよちゃん先輩の目をしっかりと見据えて、私は続けてみせる。
「だから、私、ふたりがお昼休みに体育倉庫の裏で過ごしているのを、こっそり監視していたんです」
「え、それって、ストーキング」
「知ってますか、みよちゃん先輩。体育倉庫の裏って、ぜんぜん人がいないんですよ。目の前は山だし、女子寮とも男子寮とも方向が違うから、隠れるにはもってこいなんですよ」
興奮してしゃべりが止まらない私を落ち着けようと、みよちゃん先輩は「そうなんだあ」って言いながら、お茶を注ぐ。
のどが渇いたので、一杯いただいてから、私は仕切り直す。
「この前、やっと撮れたんです」
「え、こわい。なにがとれたの?」
みよちゃん先輩はなぜか怯えているけれども、私は構わず続ける。
「ふたりが、キス、してるところ」
んふってふきだしてから、みよちゃん先輩は、
「それって、盗撮っていうんだあ」
と、心外なことを言って笑った。
「それで、キスの話題だったわけね。やっとわかったあ」
「わかってくれましたか、みよちゃん先輩」
「いろいろまずい気がするけど、話はわかったんだあ」
私はほっとして、ふうっと息をついてから、続ける。
「先輩も見てみますか? 動画」
「あ、動画なんだ」
「やっぱり、動いているところを見たいんで」
「そういう問題じゃないんだあ」
私はスマホを取りだして、ちゃぶ台の上に置いてみせる。
「え、なんか、美代子までどきどきする」
「私もどきどきが止まらないので、だいじょぶです」
なんども見た動画を再生する。
お昼休み。
体育館の壁に背中を預けて、ふたりは並んで座り、おしゃべりしている。
小雨がぱらぱらと降っているけれど、体育館の屋根があるから、ふたりは雨に濡れてはいない。
「これって、どこから撮っているの?」
「あ、山の上からです」
「本格的なんだあ」
なにが、本格的、なのかな。
「きっと、雨が降っているから、誰もいないはずって油断してたんだと思います」
「それを『油断』と呼ぶのは、犯人だけなんだあ」
「人聞きの悪いことを言わないでください」
「あっ」
私の抗議を遮るように、みよちゃん先輩が声を漏らした。
ふたりがキスをするときは、いつもあかりが遥香に襲いかかるんだ。
顔を近づけて見つめ合って、キスしてもいいよねって無言の契約を交わそうとしている。
あかりが遥香の肩をつかんで身体を預けると、遥香はあかりの腰に手を回して、彼女を自分の手で、パーソナルスペースへ迎え入れるんだ。
それが契約のサインで、ふたりは口づけを。
「美代子になに見せるのよう」
みよちゃん先輩が、動画を止めた。
キスをしているふたりの顔に、一時停止のマークが覆い被さって、雰囲気が台無しになる。
「もう、せっかくいいところだったのに。ここから、美しさが高まってゆくんですよ」
私は、みよちゃん先輩に抗議してみせる。
「見ちゃったから、美代子もすっかり共犯者じゃない」
両手をほっぺたに当てて、みよちゃん先輩はぷるぷると首を振る。
「顔、真っ赤ですよ、みよちゃん先輩。興奮しちゃだめじゃないですか」
「そういうこと言うの、よくないんだあ」
みよちゃん先輩に、二の腕をぎゅうってつかまれる。
「痛ったい」
私が悲鳴をあげると、みよちゃん先輩は「もう」と言って許してくれた。
「というわけなんですけど」
みよちゃん先輩もわかってくれたところで、私は改めて相談をする。
「みよちゃん先輩は、したことありますか? その、キス、とかって」
言うべきか、言わないべきか、悩んでいる様子に見えたから、私はもうひと押しと思って続ける。
「私、真剣に悩んでいるんです」
毎日、この動画ばっかり見てしまって、なにも手につかないんだ。
ふたりと仲良くしたいって気持ちがあるのに、見ていたい気持ちが押し寄せてきて、いつまでも一歩踏み出せないでいる私って、おかしいのかなって悩んでいた。
私の真剣な思いが通じたのか、みよちゃん先輩は恥ずかしそうにもじもじしながら、
「いっかいだけ、あるよ」
と、教えてくれた。
「どんな感じでした?」
「えぇ、そういうの恥ずかしいから、困る」
みよちゃん先輩が照れ屋さんなのは、私もよく知っている。
瞳をうるうるさせて、許してもらいたがっている美代子を、これ以上責めたてるなんて、私にはできない。
だから、私は提案した。
「言えないなら、私に教えてください」




