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絆の時間  作者: 送りバントがうますぎる猫
第二章 邪魔者たち
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第32話 6月 契約 akari

  あかり akari


 私は遥香と、ある契約を交わした。


 山でキスをした、あの夜のことだ。


 山を下りるとき、遥香は黙ったままで、お腹が空いてないとか言いだした佳奈を置いて、ふたりで晩御飯を食べている最中も黙ったままだった。


 静かに食べ終えて、ふたりでエレベーターに乗り、部屋に帰ろうとしたとき。


 3Fで降りる遥香に手を引かれた。


 無理やりエレベーターから降ろされる形になった私は、そのまま遥香の部屋まで招待された。

 連れ込まれたと言ったほうが、正確かもしれない。


 部屋の扉が閉まるなり、遥香は私に抱きついてきた。


 身長差があるせいで、ほとんど抱え込まれるような格好になる。

 カーテンは開いているけれど、日が暮れて真っ暗な部屋の中、ジャージ姿の遥香の胸に、顔を押しつけるような形になって、なにも見えなかった。

 されるがまま、ここからなにが起こるのか、どうしていいのか、私にはわからなかった。


 どのくらい、そうしていたのかはわからない。


 私は、遥香が震えていることに気がついた。

 その理由はわからなかったけれど、私は遥香が弱みを見せたものと感じた。


 そうやって、私に弱みを見せた人間は遥香がはじめてだったから、私はそれをうれしいと感じてしまった。


 だから私は、その弱さを受け入れてあげることが、「正しいこと」なんじゃないかって、とっさにそう思って、彼女の背中に腕を回して、強く抱きしめてやったんだ。


「私ね」


 遥香の声は震えていた。


 顔は見えないけれど、泣いているんだろうなって、私にはわかった。

 どうしていいのかわからなかったのは、きっと遥香も同じだったんだね。


「女の子が好きなんだ。小さい頃からずっとずっと、女の子が好きだったんだ」


 どうしてなのか、自分でもわからないけれど、驚きはまったくなかった。

 腑に落ちる、というか、納得感のほうが勝っていた。

 だから、動揺はしなかったし、素直に受け入れることができた。


「私はあかりちゃんと、恋愛がしたい」


 遥香は、自分のことを言うだけで、私が女の子を好きなのかどうか、確認しなかった。

 実のところ、私はこの島に来るまで、人間を好きになったことがなかった。

 たったひとり、佳奈という女を除いて、誰も好きになったことがなかった。


 老若男女問わず、だから、恋愛をするという発想そのものが、私の頭にはなかった。


「それは、私のこと、好きってこと?」


 答えはわかっているつもりだけど、自分の考えが合っているのか確かめたくて、私は訊ねた。


「好きだから、キス、したんだよ」


 そうか。

 キスをしたから、はじまったことなんだ。

 それをしただけで、こんなにも容易く、人を操れてしまうんだ。


 葵先輩って、ほんとうに悪い女だな。

 やっぱり、あの人のこと、私は嫌いじゃないや。

 そんなことを、私は考えていたように思う。


「あかりちゃんは?」


 だから、遥香にそう訊ねられたとき、私は答えに詰まってしまった。

 嫌いじゃないって言いそうになったその言葉を、とっさに飲み込む。

 それが正しくないことくらい、私にだって、わかっている。


 遥香はまた震えだした。


 お互い黙っていると、鼻をすすって泣いているのがよくわかる。


「好きだよ」


 たぶん、私のしたことは、正しくないよね。

 でも、仕方なかったって言い訳することを、どうか許してほしい。


 私という人間は、泣いているあなたを踏みつけにできるほどの覚悟もない、一生懸命、虚勢を張っているだけの、たいして心の強くない人間だったってことなんだよ、遥香。


 私はこのとき、自分を騙し続けることを決めたのだ。

 自分で蒔いた種だったから。


「好きじゃなきゃ、キスなんてできないでしょ」


 抱きしめていた腕を解いて、遥香が私の顔を見下ろしてきた。

 きっと、私の顔が見たかったんだと思う。


 そのとき、私がどんな顔をしていたのか、遥香はきっと、暗闇でよく見えなかったんじゃないかな。


 想像するだけで、ぞっとするよね。


 私も遥香の顔はよく見えなかった。

 それでも、涙で濡れていることだけはわかった。


「恋人になるなら、ひとつだけ条件がある」


 私の目的は、最初からひとつだった。


「ほかの子と、仲良くしないでほしい。特に佳奈とは、口を利かないでほしい」

「約束する」


 その声は、奇妙なほど、喜びに満ちあふれていた。

 意味をはかりかねていると、遥香がもう一度、私を強く抱きしめてきた。


 こうして、私たちは「恋人」になったんだよね。


 この島に来るまでの私の人間関係なんて、それこそ、茶番に過ぎない浅はかさだったなって、いまでは思うんだ。


 本心をさらけ出すことなんてないし、衝突することも、わかりあうことさえない。


 この日の出来事は、正しくないことだらけのように感じるけれど、いずれにせよ、私には抗えなかっただろうと強く思う。


 だって、そうでしょう?


 これほど強そうな人から、弱みを見せつけられることも、私には、はじめての経験だったのだから。

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