第29話 6月 体験入部 akari
あかり akari
病院の待合室で、遥香とふたり、並んで座り、佳奈の診察が終わるのを待っている。
「佳奈ちゃんの足が治ったら、私のお世話もおしまいなんだなあ」
遥香が、残念そうに言う。
全治1か月。
終わってみれば、あっという間だった。
「もっと佳奈のそばにいたかった?」
私は意地悪な質問をしてみる。
遥香は、「わかってるくせに」とでも言いたげな、照れくさそうな表情で言う。
「ん。そうじゃない」
遥香という女は、変な女だ。
意地悪されると喜ぶ。
冷たくされると、もっとしてって顔でこっちを見てくるんだ。
「あいつの足が治ったら、私も友だちとして、あいつを助けてやる義理もなくなるし、佳奈と好きなだけふたりで遊べるね、遥香」
遥香はむっとした顔で、私を睨んでくる。
内心、喜んでいる顔だ。
一生懸命、頑張って怒った顔を作っているけれど、口元がにやけている。
意地悪されてうれしい気持ちを、我慢できていない。
「あっ」
手に触れてやると、遥香が情けない声を漏らした。
遥香の大きな手が、私の小さな手を包み込んでくる。
握力が強くて、ちょっと痛いくらい。
そこらの男子よりおっきくて、不良みたいに髪を染めた、威圧感のある見た目に反して、簡単な女だ。
なんてちょろいんだろう。
満足して笑っていると、診察室の扉が開いて、佳奈が出てきた。
右足のギプスがなくなっていた。
私は遥香の手を振り払って立ちあがると、佳奈の前にしゃがんで、右足をなでてやる。
大丈夫そうだ。
よかった。
「ギプスとれたところ、くさいから恥ずかしい」
佳奈がそんなことを言うので、私は笑ってしまった。
「そんなの気にしないよ」
そう言いながら私が立ちあがると、
「私が気にするんだよ」
と、佳奈が不服そうに言う。
「佳奈ちゃん、治ってよかったね」
遥香が声をかけると、
「え? ああ、うん」
佳奈は歯切れの悪い返事をした。
「なんかあったの?」
怪我の具合がよくなかったのかと思って訊ねると、
「いま、ふたり、手繋いでなかった?」
佳奈が私たちを怪しんできた。
「気のせいじゃない? ねえ、遥香?」
私は振り返って、遥香に視線を送る。
「繋いでないよ」
どうやら、通じたようだ。
佳奈は目をぱちぱちさせて、見間違いだったことをアピールしている。
彼女の勘違いを、私たちも笑いあった。
◇
「明日の土曜日、リハビリがてら、山岳調査行きたいなあ」
病院からの帰り道。
治ったばかりの右足をかばうように、ぎこちなく歩いていた佳奈がそう提案してきた。
「いいね。帰ったら申請だしておくよ」
私が応じると、佳奈はうれしそうだった。
「そうだ」
佳奈が名案とばかりに手を叩く。
「遥香も体験入部してみない?」
遥香は私の顔を覗き込む。
あの山は神聖な場所だ。
みだりに立ち入ることなど許されない。
遥香にも、それがわかっている。
私が、そう教えているからだ。
「いいんじゃない?」
私が許可をだすと、遥香はうれしそうに、
「行ってみたい」
と、私の顔を見て笑った。
「楽しみだなあ」
なにも知らない佳奈は喜んでいた。
すべては私の制御下にある。
そう思いながら、私もいっしょになって喜んでみせるのだった。
◇
翌日、お昼ご飯を食べてから、女子寮の入口に集合して、山へと出発する。
「なんで制服?」
私と遥香はジャージ姿で、佳奈だけは制服を着ていた。
「スカートのほうが涼しいかなって」
この前は私とふたりきりだったからハーフパンツだったけれど、今日は遥香がいるから、足を見せたくなかったのか。
「なるほどね」
私は納得したが、遥香は変わってるなこいつって顔をしていた。
「ずいぶん、おっきな女の子だねえ」
警備員さんが、自分より大きい遥香に驚いたように言う。
私は佳奈と顔を見合わせて笑った。
遥香は愛想笑いを浮かべながらも、不本意そうな様子だった。
彼女は背が高いことを褒められるのが好きじゃないのだ。
積極的に遥香と連絡を取るようになってから、二週間くらいか。
すべては葵先輩のアドバイスのおかげだ。
遥香はどんどん自分のことを話してくれるから、彼女のことが、だいぶわかってきた。
「日が暮れる前には帰るんだよ」
警備員さんは、いつものように見送ってくれた。
誰かが入山許可証を持ってさえいれば、部員かどうかは問われないみたいだ。
警備員さんは学校の人でさえないから、知る由もない。
たぶん、ほんとはだめなんだろうなと思うけれど、私は気づかないふりをしておく。
部長や先生にわざわざ確認したところで、やぶ蛇になるだけだろう。
この山に出入りする仕組みが、そんなに厳格な運用をされていないことは、最初から明らかだった。
まだこの山で、トラブルを起こした生徒はいないということなのだろう。
「危険な動物もいないし、あるのは発電所くらいだよ」
佳奈が遥香に説明している。
遥香は身体も大きいし、体力あるから、山歩きも問題なさそうだ。
なんなら、私がいちばんのお荷物だ。
自然と後れをとり、ふたりの背中を追って歩いていると、佳奈が振り返って言う。
「せっかくだからさ、遥香にも山頂の景色を見せてあげようよ」
景色は誰のものでもない。
大事なのは、いっしょに見た思い出のほうだ。
「ほかに見どころ、ないからね」
私が言うと、ふたりが笑った。
◇
「山頂ってこんなに近かったっけ?」
頂上が近いことを示す岩場の景色に変わってくると、佳奈が驚いたように言う。
「はじめてのときは、地図を描きながら歩いたからね」
佳奈は手にした地図に目を落とすと、
「山岳調査のおかげだ」
と言って、満足そうに笑った。
「右足はだいじょぶそう?」
私が訊ねると、佳奈はぴょんぴょんと大げさに飛び跳ねてみせた。
「調子に乗ると、また怪我するよ」
遥香の注意なんてどこ吹く風で、佳奈は山頂の広場に向けて駆け出していく。
よく走る元気があるなあ。
「見てるこっちが疲れてくる」
私は足を止めて息を吐いた。
すると、遥香が手を差し伸べてきた。
「もうちょっとだよ」
私はその手を払いのける。
この山では私のほうが先輩だし、私は三度目の登頂だ。
施しを受ける必要はないという意味だったのだが、遥香は冷たくされて、ちょっとうれしそうな顔をしていた。
おかしなやつだと思って私が笑うと、遥香はまんざらでもない顔で笑う。
おかしなやつには違いないけれど、まあ、嫌いじゃない。
「みんなで写真撮ろうよ」
町を見下ろす絶景にひとしきり喜んだあと、遥香がそう提案した。
みんなでベンチに並んで座り、海を背景にしてカメラに収まる。
私が真ん中になってしまった。
「佳奈ちゃん、もっとこっち」
スマホを手にした遥香に指示されると、佳奈が私に身を寄せてきた。
左腕に胸を押しつけられる感触がして、なんだか恥ずかしくなってくる。
シャッター音がすると、佳奈は離れていった。
「ふたりにも共有してあげる」
遥香から送られてきた写真を開くと、佳奈の胸元を横目に見ている私がいた。
「どこ見てるんだ、あかり」
佳奈が早速、指摘してくる。
「そんな開けてるほうが悪いでしょ。肌色は自然と目がいくんだから」
佳奈は暑いからか、ワイシャツのボタンを大胆に開けていて、上から覗き込むと、かすかに胸の谷間が見えていた。
私の指摘に対して、佳奈はにやにやしながら、
「フェロモン出そうと思って」
とか言いだした。
「意味わからん」
と私が応じると、佳奈はうはっと声をだしてひとりで笑っていた。
佳奈のやることはわけがわからないけれど、それが遥香の存在を意識したものだということだけは、私にもわかった。
私とふたりきりのときには、そんな意味のわからないことはしないから。
きっと、遥香の気を引きたいのだ。
当の遥香はというと、呆れたような顔で佳奈を見ていた。
遥香はいま、佳奈ではなく、私に惹かれているのだ。
それを、この浮かれた女に、見せつけてやる必要がある。
遥香の気を引こうとしても、無駄なんだとわからせてやる必要がある。
「佳奈、トイレはいいの?」
「そう言われると、したくなるんだよ」
思ったとおりの言葉が返ってきて、私は思わず、ふっと笑ってしまう。
佳奈のことなら、私はなんでも知っているからね。
「いまのうちにしてきなよ」
私が言うと、佳奈は走って斜面を下りていった。
「ここでしちゃうんだ」
遥香が驚いたような、呆れたような調子で言う。
「これで邪魔者はいなくなった」
私は立ちあがって、ベンチに腰かける遥香の前に立つ。
ベンチに座ったまま、遥香が私の顔を見上げた。
なにかを期待しているように見えるのは、私がなにかをしようとしているからなのだろうか。
私はなにも言わず、遥香の上にまたがるようにして座ってみせる。
「え、ちょっと」
私に乗られて、困惑した様子で目を泳がせている。
身長差があるから、こんなに顔を近づけたのは、はじめてだ。
近くで見ると、佳奈の言うとおり、ほんとうにきれいな顔をしているなあ。
「嫌なの?」
視点が定まらないから、訊ねてみる。
遥香は黙って首を横に振った。
「私の腰をがっちりつかんでいるのはどうして?」
「落っこちたりしたら、危ないから」
「落っこちるわけないでしょ」
もっとほかに言うことがあるよね。
「私、素直じゃないのって、好きじゃない」
目を見て叱ってやると、遥香は恥ずかしそうに目を伏せて、
「いきなりでびっくりしたけど、うれしかったから、つい」
と言い訳してみせた。
「じゃあ、その手、離さないでね」
私が命じると、遥香は私の目を見て「うん」と小さく頷いた。
私は遥香に上半身を預け、首に抱きつくように腕を回す。
そのまま見つめ合いながら、ゆっくりと彼女の唇に自分の唇を押しつけてやった。
遥香がぎゅっと目を閉じたので、私もそうしてみる。
視界が真っ暗になると、唇の感触が鮮明に伝わってきた。
まぶたの裏に、葵先輩がキスしているあの光景が浮かんでくる。
あれをいま、私がやっているんだと思うと、胸がどきどきしてしょうがなかった。
首に回した腕の力を弱めると、遥香は、私の背中に腕を回して強く抱き寄せてきた。
もっともっと、してほしいって、そう言っているみたいだった。
足音がして目を開ける。
遥香も薄く目を開けて、腕の力を弱めてきた。
佳奈が戻ってくるからと、やめようとしたのだろう。
それではこっちが困るんだ。
私が首に回した腕の力を強めて、また唇を強く押し当てると、遥香は「ん」っと息を吐きながら、もう一度、目を閉じた。
私にすべてを任せるという意思表示に感じられた。
山頂の広場に顔を出した佳奈は、私たちの姿を視界に捉えると、地面に縫い付けられたように、ぴたっと足を止めた。
征服感に、身震いがした。
おまえが憧れ、好意を寄せていた遥香という女は、いまや私のものだ。
遥香とキスをしながら、私は葵先輩がそうしたように、佳奈に向かって笑いかけた。




