第27話 5月 山中にひとり akari
あかり akari
日曜日。スマホが鳴って目が覚めた。
慌ててベッドから飛び起きて、部屋のドアを開ける。
「おはよう」
いつものように、佳奈が朝ご飯を持ってきてくれていた。
紙ナプキンで包まれた「佳奈のパン」をふたつ、手に持っている。
「今日はふたつなんだね」
食が細くて、朝からあんまり食べられないから、いつもはひとつだけなのに、今日はふたつ。
「あかり、最近元気ないから、栄養のあるもの、いっぱい食べたほうがいいと思って」
小さく頭を下げて、パンを受け取る。
「目の下に薄くだけど、クマできてるよ。夜更かしもほどほどにね」
好きで夜更かししているわけではない。
ベッドに入ると余計なことを考えてしまって眠れないだけなのだが、そんなこと、佳奈には言えない。
「これ食べたら、二度寝するわ」
佳奈は満足そうにふふっと笑って、自分の部屋に帰っていった。
机の上に「佳奈のパン」を置き、そのうちひとつを開封して、スマホで写真を撮る。
朝食のバイキングにいつも置いてある小さなコッペパンに切れ目を入れて、そこにバイキングで提供されている料理をいくつか挟んだだけの、簡単なサンドイッチみたいなものだ。
挟むものを佳奈が選んでいるから、「佳奈のパン」と私が勝手に呼んでいる。
最初にもらったときは食べるのがもったいなくて、しばらく鑑賞してしまった。
食べ物だし、保存できるわけじゃないからと、スマホで写真を撮って残しておくということをやっていたら、いつの間にか習慣づいてしまった。
スマホの写真フォルダにある「佳奈のパン」の数が、実質的に私が朝起きられなかった回数を現しているみたいで、自分のだめさ加減を思い知らされもする。
いつもはウインナーとレタスを挟んで、ホットドッグもどきみたいにしてくることが多いのに、今日はなんか具がみちみちに詰め込まれていた。
栄養をつけさせようとしたのかな。
そう思うと、笑みがこぼれてしまう。
にやにやしながら、食べている姿は、誰にも見せられない。
ポテトサラダとスクランブルエッグを挟んで、その上に唐揚げが載っているパンをいただく。
「食べにくい」
ぽろぽろと机に具をこぼしながら、思わず不満が口をついてでた。
「栄養偏ってそう」
文句を言いつつ、ひとつ食べ終えたら、それだけでお腹いっぱいだった。
もうひとつはあとで食べることにして、私はまた眠りについた。
◇
お昼ご飯を食べてから、山へ向かう予定だった。
朝食べすぎたせいで、お腹が空かない。
もうひとつ「佳奈のパン」が残っているから、これも食べてしまわないといけない。
学園アプリで島の天気を確認する。
曇っているけれど、雨は降らない予報みたい。
山へ向かうにはちょうどいい天気だ。
ちょうどいいついでに、「佳奈のパン」をお昼ご飯として持っていって、山頂のベンチに座って食べようと決めた。
食堂が開く時間になると、人であふれかえるから、私はその前にジャージに着替えて女子寮を出発した。
山道へ入るゲートの前で、警備員さんに入山許可証を見せ、学籍番号と名前を伝える。
「今日はひとり? いつもの元気のいい子はいっしょじゃないんだ」
「あいつ、怪我してるんで」
「日が暮れる前には帰るんだよ」
ゴールデンウィーク、二週間くらい毎日山を探検していたから、すっかり顔を覚えられてしまったみたいだ。
◇
佳奈とふたりで作った地図を見ながら、山をひとり歩く。
山の地図はまだ半分も完成してない。
学園側はほぼ探索を終えたと思うけれど、その反対側は急斜面になっているから、建物もなければ、人も住んでいないし、人類未踏の地みたいだねってそんな話もしたっけか。
昔の人が使っていた、古い山道を通ればそれほど危険はない。
道が草木で埋もれていることと、たまにでっかい虫がでること以外は、だけども。
でっかいゲジゲジみたいなやつが出て、腰を抜かして悲鳴をあげたら、あいつに笑われたっけ。
この山には、私たちふたりだけの世界がある。
すでに、ふたりだけの思い出が、たくさん詰まっている。
これからも、思い出が増えていくたび、白紙の地図に書き込みが増えてゆくはず。
そんな希望を抱いていた。
背の高い木々で覆われているのは、山の中腹よりちょっと上くらいまで。
そこからは、少しずつ緑が減っていく。
やがて、岩場のようになったら山頂は近いということだ。
この斜面を登れば、視界が開けて、背後に学園が見える。
気持ちが前のめりになりすぎて、私は足を取られてしまった。
身体を立て直せずに、斜面に倒れ込むと、さみしさがこみあげてくる。
ひとりだから、私を気にかけてくれる佳奈はいないし、手を取ってくれる佳奈もいない。
立ちあがり、ジャージについた土を払う。
怪我はなかったけれど、ジャージの肘の部分に擦った跡が残った。
佳奈の言うとおり、三年間使えば、いずれはこうなるか。
気にしないことにして、斜面をあがっていくと、山頂の広場に着いた。
寄り道せずにまっすぐ山頂を目指せば、あっという間だ。
ベンチの上に腰かけると、現実が押し寄せてくるようだった。
ここに来れば、もやもやした気持ちが晴れるかもしれない。
そう期待していた。
ある意味で、それは期待どおりだったのかもしれないけれど、この曇り空が晴れるように、とはいかなかった。
なんにもなくなった。
もやもやだけでなく、この山にあったはずの希望さえもなくなって、心の器がからっぽになった。
佳奈と遥香は、日に日に親密さを増している。
足の具合がよくなってきたのは、遥香のおかげだって、佳奈は感謝している。
そこに私はいない。
遥香が山岳調査部に入ることになったら、この山はもうふたりだけの秘密の場所ではなくなってしまう。
私たちのユートピア。
佳奈の足は全治1か月だというから、松葉杖がとれたとは言っても、完治するまでまだその半分くらいはある。
それだけあれば、ふたりの距離はどのくらい縮んでしまうのだろう。
私よりも、遥香のほうを好きになるのは時間の問題のように思えた。
もうすでに、そうなっているのかもしれない。
私との関係よりも、先へ進もうとしている。
私の知らない佳奈が、遥香の前にだけいるんだ。
佳奈は美しいものを愛する。
美しい自然。
美しい風景。
そして、美しい人。
「私が遥香より、美しくないのはわかるよ」
声にしたら、涙が出そうになったけれど、なんとかこらえた。
誰も見ていなくても、泣いたら負けを認めたみたいで、悔しいからだ。
私は鞄から、「佳奈のパン」を取りだす。
包みを開けた瞬間、お腹の底から声をだして、私は笑った。
「茶色にもほどがあるでしょ」
スマホで写真を撮りながら、私は笑って言う。
なんか、やたら重たいから、なに入ってるんだろうなとは思っていた。
それゆえ、このふたつ目を、朝食べられる気がしなかったのだ。
ウインナーとか、唐揚げとか、ハンバーグとか、ミートボールとか、とにかくあいつの好きそうな肉料理がぎっしり挟み込まれていた。
「栄養のあるもの、ねえ」
見ただけでお腹いっぱいになりながら、私はまた笑った。
やっぱり、好きだ。
誰にも取られたくない。
佳奈も、この山も。
海の上に浮かぶ連絡船の姿を遠くに見つめながら、私はこのとき、そう思った。
◇
あまりのボリューム感に、いっぺんに食べることができなくて、だらだらと30分以上かけて食べる。
食べ終わると、お腹ぱんぱんで苦しくなって、ベンチに横たわったまま、いつの間にか寝てしまった。
空が厚い雲で覆われているおかげで、涼しくて気候はいいけれども、ぼろぼろのベンチは寝心地がいいわけでもないから、1時間もしないで自然と目が覚めた。
急斜面に足をすべらせないよう、気をつけながら山を下りる。
発電所の脇を通り抜けて、学園の近くまで戻ってきた。
警備員さんに帰ってきたと伝えると、いつものように「おかえり」って言葉が返ってくる。
なにかあったら、山中を捜索しないといけなくなるから、なんだかんだで心配なのだと思う。
私たちが帰ってくると、いつもここの警備員さんたちは、ほっとした表情を見せてくれるのだ。
私もほっとした気持ちで、学園に続く下り坂を歩いているときだった。
木陰に人影が見えた気がして、振り向くと、抱き合う男女の姿があった。
どちらも学生なのは、制服を着ていなくても見た目でわかる。
恋人同士のこういった姿を見かけることは、この島ではそれほど珍しくはない。
この島には、とにかく娯楽がないのだ。
スマホはネットにつながらないし、遊戯施設もなければ、学生のたまり場になるような施設もない。
極端に言えば、自然と遊ぶか、人と遊ぶか、そのどちらかしかないのだ。
ひとりになってしまったら、ひとりだと感じてしまったら、この島にいて楽しいことはなにもなくなる。
先輩がいなかった一期生の中には、きっとそういう思いをした人が少なくなかったのだろう。
気の合う相手を見つけられない人も、少なくなかったに違いない。
絆の時間という行事をはじめるに至った経緯は、そんなところなんじゃないかって、私は勝手に想像している。
その時間の過ごし方こそ、生徒一人ひとりの善性に委ねられているとはいえ、決してあぶれる人がでないようにはなっているから。
知らない男女のいちゃいちゃを見せつけられる気分というのは、必ずしもいいものではないけれども、気の合う人が見つかってよかったですねって、そのくらいの気持ちで通り過ぎようとした。
ふと、「こんな場所で?」っていう疑問がわいて、私はとっさに振り返った。
人なんてそんなにいないんだから、もっと町のほうでいくらでもやればいいのにって、そう思ったのだ。
なんで、こんな山林の中なんだと。
女の子が、少し背伸びをして、男の子にキスしていた。
生まれてはじめて、男女のキスを目の当たりにした私は、その光景に釘づけになってしまった。
じろじろ見てはいけないはずなのに、目を離すことができなかった。
目を閉じた男の子が、所在なげにぶらんと垂らした両手を握りしめているのがわかる。
それよりも、背伸びをしたまま、こっちに背を向けている女の子が、どんな表情をしているのか、見てみたいと思ってしまった。
私は坂を下りながら、ふたりの姿を横目に見る。
ふたりの触れ合う唇に、目も、意識も、すべて持っていかれたとき、目の端にかすかに視線を感じて、びくっとしてしまった。
唇を重ねたままの女の子が、目だけで私をじっと見ていた。
ほんの少し、彼女が笑ったような気がして、おそろしくなった。
私は、すべてを見なかったことにして、坂道を早足で駆けていく。
そういえば、今夜は絆の時間があるなと、そこで私は思い出した。




