第26話 5月 通院 akari
あかり akari
「佳奈ちゃん、良くなってるといいね」
病院の待合室で、診察が終わるのを待つ間、居場所なく壁に背中を預けて立っていると、遥香が声をかけてきた。
あいつが足を怪我してから、二週間ほど。
佳奈の隣には、いつも遥香がいる。
怪我をした日、病院に連れて行ってあげたのも、部屋まで送ってあげたのも遥香だというから、その流れで付き添うようになったというのは、話としてはわかる。
ただ、こんなに長い間、それが続くとは思いもしなかった。
そのうち、自分の生活を優先して、来なくなるだろうとばかり思っていたし、そこからは私の役目になるんだと、そう考えていた。
たぶん、遥香は佳奈の足が治るまで、そばで見届けるつもりだ。
「レントゲン撮ったりで、時間かかるみたいだから、座って待ってたら?」
世間話をするのも煩わしくて、私は遥香に促してみる。
「ん。ここでいい」
遥香という女は、とにかく人懐っこいやつだ。
モデルみたいにスタイルがよくて、並みの男子よりも背が高い、威圧感のある風貌をしているから、私とは住む世界が違うし、私みたいなやつには興味もないだろうって、勝手に決めつけていた。
その第一印象は、いい意味で裏切られた。
私ともしっかり、目を見て話してくるし、なんなら、三人でいても佳奈より私のほうを見ている時間のほうが長い気がする。
「ふたりだけでお話できる時間、貴重だから」
こういう、ちょっときもいことを、恥ずかしげもなく言ってくるところも、人懐っこいっていうか、人間が好きなのかなって思わされる部分だ。
私は思わず、ため息を吐いてしまう。
遥香という女が、もっと憎たらしくあってくれたらよかったのに。
「なにか悩んでることとか、あるの?」
そうとも知らずに、遥香は心配そうな顔で私を見下ろしてくる。
なんなんだろうな。
もちろん、悪い気はしない。
ただ、それこそ、私は佳奈とふたりでいたいから、オブラートに包まず言えば、遥香は邪魔者でしかなかった。
「なんでもないよ。立ち話も疲れるから、座って話そうか」
あるいは、自分にとって、なにが大切なのかを見定めて、冷たくあしらうことも、できたのかもしれないし、そのほうが人として正しい振る舞いだったのかもしれない。
私はそんなに器用でもなければ、世渡り上手でもないし、あなたから確かに感じていた好意を無下にしてしまえるほど、意思の強い人間でもなかったということなんだよ、遥香。
◇
「見てみて、松葉杖とれたよ」
診察室から出てきた佳奈が、うれしそうに両手を振り回している。
ここ数日は、教室の中や、食堂の中を動き回るときみたいな、短い距離を歩くときは自分の足で歩いたりもしていたから、そうなるだろうなとは思っていた。
受付で手続きを済ませ、帰り道を三人で歩く。
いつものように、私はふたりの姿を後ろから見守る。
ギプスを巻き直してもらった右足に体重をかけすぎないように、慎重に歩く様子が後ろからでもよくわかる。
まだ走ったりはできないし、山を歩くこともできないんだなって、私はさみしい気持ちになる。
ふたりで走り回ったり、山を探検したり、この島で佳奈と過ごしてきた時間が、とても大切に思えた。
また、あの日々が戻ってきてくれたら。
そう考えているとき、佳奈の話し声が聞こえた。
「あれから、部活行ってないみたいだけど、いいの?」
「バスケ部のみんなのことは好きなんだけど、やりたいことと違うし、また誰かを怪我させたり、自分が怪我したりする前にやめようかなって」
「マネージャーにしてくださいって、交渉してみたら?」
「それもひとつの方法ではあるんだけどねえ。先輩たちに強くは言えないし、頼まれたら断れなくて、結局また元に戻ってしまいそうで」
ふたりが部活の話をするものだから、私も山岳調査部が懐かしくなってしまった。
活動を休止してから二週間しか経っていないのに、遠い昔の話みたい。
「だいじょぶ?」
「ありがと」
下を向いて歩いていたら、足を止めた佳奈とぶつかりそうになってしまった。
慣れない佳奈がバランスを崩しそうになったみたいで、遥香が支えてあげていた。
どうして、その役目は、私じゃないんだろう。
「思い切って右足に体重かけてみたら、まだ痛かったわ」
佳奈がそう言って、遥香に笑いかけている。
どうして、その相手は、私じゃないんだろう。
歩きはじめたふたりの背中を追いかけながら考えていると、佳奈の発言にめまいがしそうになった。
「遥香さ、よかったら山岳調査部入らない?」
ぐらぐらと、地面が揺れているように感じる。
熱中症にでもかかったのかと思うくらい、からだが熱いし、汗が止まらない。
「佳奈ちゃんといっしょの部活かあ」
「あかりもいっしょだよ」
「それは知ってるし、うれしいんだけど、佳奈ちゃんといっしょなのが」
「なんでそこ引っかかるかなあ」
ふたりは楽しそうに笑っている。
私はふたりの会話を、楽しい気持ちでは聞いていられない。
「だって、佳奈ちゃんってさあ」
「なに?」
「ん。まあ、いいけど。考えとく」
遥香が回答を保留したことに、私は少しだけほっとした。
「山岳調査部、楽しいよね、あかり?」
振り返ったふたりが、私の顔を見て固まった。
「あかりちゃん、すごい汗。体調悪いんじゃない?」
心配した遥香が駆け寄ってくる。
熱があるんじゃないかと、おでこに手を当てようとしてきたので、私は無意識にその手を振り払った。
遥香の表情を見て、ほんの少し、胸が傷んだ。
「暑いだけだから、だいじょぶ。それより、早く涼しいところに行きたい」
私が言い訳すると、佳奈も心配そうな顔をして声をかけてくる。
「先に帰ってていいよ。私、こんなんだし、時間かかるから」
自分の感情をうまく消化できなくて、涙が出そうになるのをなんとかこらえる。
「佳奈ちゃん、おんぶしてあげる」
そう言って、遥香が佳奈の前でしゃがんでみせた。
「え、いいの? 悪いね」
佳奈がうれしそうに、にやにやと遥香に覆い被さる。
私のことが心配なんじゃなかったのかよと、急に怒りがわいてくる。
おかげで、泣きそうな気持ちはどこかへ消えてくれた。
「女子寮まで走るから、しっかりつかまっててね」
「あかりも急いで」
佳奈を背中に乗せた遥香の足は、思いのほか速くて、私の足では追いつけなかった。
私の足が遅いせいじゃない。
そもそもの足の長さが違うんだから、一歩で進む距離が違いすぎるんだと、私は心の中で言い訳しながら、その背中を追って走った。
◇
「佳奈ちゃんさあ、どさくさに紛れてまたやったでしょう?」
「そんなことないよう」
女子寮に到着すると、玄関でふたりがおしゃべりしている声が聞こえた。
「それどころか、走ってる最中に、おっぱい触ってなかった?」
「振り落とされないように必死だっただけだってば。そこまではやってない」
「じゃあ、どこまでならやったの?」
なにか疑いをかけられて、佳奈が首を傾げてごまかしている。
「あかり、おかえり!」
「あ、ごまかしたなあ。おかえり!」
息が切れて、急に声をだせないので、手をあげて応じる。
恵まれた体格をしているだけあって、遥香の体力は凄まじい。
私は途中から足が止まってしまって、最後は歩いて到着した。
「すごいね、遥香って。佳奈を背負ったまま、女子寮まで駆け抜けるんだから」
素直に感動した気持ちが声にでた。
「え、ほんと? ありがと。あかりちゃんも、元気そうでよかったよう」
佳奈が言うように、遥香はきれいだ。
本気で憎むことなんて、できない姿をしている。
だからこそ、この女は私にとって、私たちの関係にとって、危険な存在でしかない。
三人で中央棟のエレベーターに乗り、3Fと6Fのボタンを押す。
扉が閉まると、佳奈と遥香がおしゃべりの続きをはじめた。
「遥香のおかげで、松葉杖とれてうれしかった」
「だからって、油断しちゃだめだよ」
「部活のこと、考えといてね」
「佳奈ちゃんの存在が、私をためらわせるんだよなあ」
遥香は笑いながら、3Fで降りていった。
扉が閉まると、狭い箱の中で、佳奈とふたりきりになる。
「山岳調査部、入ってくれるといいね」
佳奈の言葉に、私はなにも返せなかった。
ふたりの短いやり取りに、心がもやもやして仕方がなかった。
その夜、私は久しぶりに入山申請をした。
あの山へ行けば、この気持ちが晴れるのではないかと、漠然とそう考えたからだ。




