第23話 5月 交錯1 kana
佳奈 kana
私は遥香と交錯した。
ゴールデンウィークが明け、学校が再開した日。
お昼休み明けの、体育の授業でのことだ。
私たちは、2チームに分かれ、体育館でバスケットボールの試合をしていた。
正直に告白すれば、私は遥香に夢中だった。
この島に上陸した日から、彼女のことが、ずっと気になっていた。
遥香という女の子が、あまりにきれいで、同じ高校一年生とは思えないほど、洗練された魅力を放っていたからだ。
どんな子なのか、知りたくて仕方がなかった。
その感情を言葉で表現するなら、好奇心というよりも、憧れなのだと思っている。
はじめて、人に対してそういう感情を抱いた出来事だった。
それほど、遥香という人は、美しかった。
遥香のことを知りたい。
遥香にもっと近づきたい。
その気持ちが、プレーに現れていたのだ。
対戦相手の遥香に、身体を密着させすぎてしまっていた。
遥香の匂いを感じとれるほどの距離だった。
案の定、私は遥香と交錯し、体育館の床に倒れ込んだ。
ゴールを阻止しようとジャンプをして、着地をした際に、遥香に足を踏まれ、右足首が曲がっちゃいけない方向に曲がった。
ただの捻挫にしては痛すぎるし、立ちあがることさえできなかった。
「私が保健室に連れて行きます」
どうしたんだと体育館がざわざわする中、痛くて声もだせない私の耳に、遥香の大きな声が響いた。
次の瞬間には、彼女に抱きかかえられ、私は荷物みたいに保健室に搬送されていった。
◇
保健室のベッドに座らされて、右足首に冷たいものを押しつけられている。
痛みは和らいだけれど、めちゃくちゃ冷たい。
冷たいなのか、痛いなのか、どっちなのかわからないくらい冷たい。
処置をしてくれている先生の姿を見下ろしながら、おもしろくなってきて、ひとりで笑っていると、その後ろに立っている遥香と目が合った。
「佳奈ちゃん、ごめんね」
遥香は見たこともない、死にそうな顔をしていた。
「え、だいじょぶだよ」
ん?
ていうか、私の名前知ってるんだ。
佳奈ちゃんって呼んだぞ。
なんだか、恥ずかしくなってきて、私はうつむいた。
「これ、病院行かないとだめねえ」
先生がぼそっと言うのが聞こえた。
「折れてるんですか?」
遥香が訊ねている。
「かもしれないから、病院行かないとって話」
痛みも和らいだし、たぶん、だいじょぶでしょって、私は立ちあがって、無事をアピールしようとした。
右足に体重がかかった瞬間、激痛が走って、身体をまっすぐ支えることもできずに、私は膝を折って崩れ落ちた。
「危ないじゃない。急に立ちあがったらだめよ」
支えてくれた先生に怒られる。
保健室の匂いが身体につくのが嫌なのか、先生の身体からは科学的な香水の匂いがすごくて、私はちょっと不快に感じた。
顔を歪めていると、遥香の声がした。
「私、病院まで連れて行きます」
「場所はわかる?」
「先月、部活で足を捻ったときに行ったので、わかります」
「お願いしていいかしら?」
「はい。急いでスマホだけ持ってきます」
そう言って、遥香が保健室を出ていった。
待っている間に、先生が右足に冷たいのを巻いてくれる。
痛いのを我慢しながらぼーっとしていると、戻ってきた遥香が、ベッドに座る私にスマホを差し出してきた。
「これがないと病院にもかかれないからね」
「ありがとう」
遥香がにこっと笑い返してくれた。
受け取ったスマホを、ジャージのポケットにしまう。
「佳奈ちゃんのサイズだと、肩を貸して歩くには、身長差がありすぎるなあ」
私を見下ろしながら、遥香がそんなことを言った。
「遥香って何センチあるの?」
私は遥香と会話できるのがうれしくて訊ねた。
ほとんどの男子より背が高いし、確実に170以上はあるはず。
私が答えを予想しながら待っていると、遥香は恥ずかしそうに応じる。
「ん。ひみつ」
彼女が笑うと、目尻に笑いじわが出現して、それがなんともいえないくらい、かわいかった。
きれいなのに、かわいいって、そんなの反則じゃんって思った。
私が見惚れていると、遥香が私に背中を向けてしゃがみ込んだ。
「おんぶしてあげるよ」
「え、悪いよ。そんなの」
私はうれしい気持ちを隠すように、そう応じてみせる。
「佳奈ちゃん、ちっちゃいし、さっき持ち上げたら軽かったから、病院くらいまでならだいじょぶ」
「ちっちゃい呼ばわりされるほど、ちっちゃくはないから。ぎりぎり150、あるし」
ははって笑う遥香の背中に、私は喜んで覆い被さる。
そのまま、遥香に後ろから抱きついて、おんぶされると、立ちあがった遥香の目線の高さにまず驚いた。
「めっちゃ景色いいね、遥香の見てる世界って」
私が感動しながら言うと、遥香がまた笑った。
「佳奈ちゃんって、おもしろいね」
ふたりで先生に「行ってきます」と挨拶したら、先生も顔が笑っていた。
私たちの絵面がおかしかったみたいだった。
◇
島で唯一の病院は、学園といっしょで高台エリアにある。
私は、遥香という女をタクシー代わりにして、その病院へと向かう。
遥香の背中はあったかい。
明るく染めたサラサラの長い髪から、いい匂いがする。
私は興奮を抑えきれない気持ちで、遥香に声をかける。
「遥香、私の名前、よく知ってたね」
「え、私、全員の顔と名前一致するよ」
「全校生徒の?」
いやいやって言って、遥香が笑ったのがわかった。
「同級生の女の子だけね」
「72人もいるのに、すごいね」
さすが、特進コースに入れるだけあって、記憶力すごいなって感心した。
「アプリでいつでも見れちゃうから。そういう佳奈ちゃんだって、私の名前知ってたじゃない」
「遥香は私と違って、目立つからさ。気になるじゃん」
ああって納得した声をだしながら、遥香が言う。
「私、佳奈ちゃんみたいな、かわいらしい女の子に憧れるんだよねえ。こういうこと言うと自慢みたいに思われるから、誰にも言わないんだけど、早く身長止まってほしいんだよ。4月の身体測定でまた伸びてたし、ほんとやめてほしい」
迷惑行為みたいに言うので、私は笑ってしまった。
「できることなら、佳奈ちゃんと、身体交換したいくらい」
「え、私、遥香の身体手に入れたら、めちゃくちゃするよ」
想像が膨らんで、私は思わず、口をすべらせた。
「佳奈ちゃんってさあ。まあ、いいけど」
遥香から、含みのある反応が返ってきた。
「とうとう人に怪我までさせちゃったし、もうバスケ部やめようかなあ」
ふと、遥香がそんなことを言う。
素人の私に怪我をさせてしまったから、反省して競技引退を考えたのかな。
私のせいで引退ってなったら、それは申し訳ない。
「もったいないよ。せっかく、恵まれた体格してるんだし」
フォローしようとする私に、遥香はうーんとうなってから言う。
「私さあ、腕力とか、体力は自信あるんだけど、不器用だし、球技苦手なんだよねえ」
「え、じゃあ、なんでバスケ部?」
「ん。先輩がマネージャーやらせてくれるって言うからさ。なんか、あれよあれよという間にプレイヤーやらされてるけれども」
「騙されたんだね」
あかりに嘘つきって怒鳴ってもらわなきゃ。
私は思い出して、ふふっと笑う。
「いまはまだ、先輩たちから将来のエースとか言われているけどさ。私、不器用だし、この先、みんなをがっかりさせる未来が待っているかと思うと、憂鬱なんだよねえ」
遥香はそう言って、深いため息をついた。
「そう考えたら、やめるにはいい機会なのかも」
がっかりした様子の遥香を、私は元気づけたいと思った。
そんな世界は捨てて、新しい世界に目を向けてほしいって考えた。
「陸上部とかは?」
男子にも負けない長身だし、腕力あるなら、投げものとか得意そう。
「個人競技はやっててさみしくなっちゃうからなあ。やっぱり人間が好きだし、人を応援したり、お世話するほうが、ほんとは好きなんだよねえ」
だから、マネージャー志望なんだ。
いまも、嫌な顔ひとつせずに、なんなら、うれしそうに、私のお世話をしてくれてる。
遥香って、いい子だなあ。
「プレイヤーにされるのが問題なら、男子部のマネージャーになったら?」
男子が遥香の奪い合いをはじめて、部活動が成立しないくらい、どろどろになる可能性が懸念されるけど。
そんなことを想像して、ひとりでにやけていると、遥香がまじめなトーンで語りはじめた。
「女の子が好きなんだ、私」
「ん? それって、恋愛的な意味で?」
遥香は私の顔をちらっと見てから、うんっと小さく頷くと、照れくさそうな声になって続ける。
「小さい頃から、ずっと好きな人は女の子」
「そうなんだ」
そう言われてみたら、男子にまったく興味がなさそうだし、そんな雰囲気を感じないでもない。
私には、遥香の気持ち、わかる気がする。
「生まれてはじめてこの話したわ。誰にも言わないでね。女の子が好きって言っても、誰でも好きになるわけじゃないし、友だちになれたらいいなって思ってるだけなのに、変に距離を置かれたりしても、さみしいからさ」
遥香にとって、私ってどっちなのかな。
恋愛的に好きになれる相手なのか、友だちになれたらそれでいい相手なのか。
その話をするってことは、期待していいのかな。
「なんで、私には教えてくれたの?」
「ん。なんとなく、佳奈ちゃんなら話してもいいかなって」
私のこと、好きなのかと期待してしまった。
ここから、愛の告白につながるのではないかと。
遥香は私の妄想など構わず、続ける。
「佳奈ちゃんって、人をからかったり、言いふらしたり、しなさそうだし。素直に受け入れてくれそうな感じがしたからね」
「初対面っていうか、はじめてしゃべったのに?」
人間が好きだと言うし、警戒心が薄いのかなって思っていると、遥香がふふって笑ってから言う。
「いやいや、入学してから今日まで体育いっしょだったでしょ」
「クラス違うし。チーム分けも違うし」
「同じ空間で授業受けてるし。A組の女の子のことも、私はちゃんと見てるから」
「女の子が好きだから?」
「そうだよ。悪い?」
遥香がこっちを振り返って、笑顔で私を睨みつけてきた。
「ん。うれしい」
私が言うと、遥香はふふっと笑って、また前を向いた。
遥香のこと、もっと知りたい。
私だけに教えてくれること、もっともっと知りたい。
ひみつを共有したい。
「遥香は、女の子と付き合ったりしたことあるの?」
「ん。ないよ。彼女欲しいとは、ずっと思ってるけどね」
遥香、いい匂いする。
なんとなく、からだを密着させるの、だめかなって思ってたけど、ぎゅうって抱きついちゃおうかな。
「仲良くなってもさ、関係、壊したくないから、なかなかねえ」
遥香の話よりも、私は遥香のからだに意識が向いていた。
「そのうち相手に好きな人ができたりしてさあ、ひとりで振られた気持ちになってる」
私は意を決して、遥香にぎゅうっと抱きついてみる。
遥香がちらっとこっちを見た。
私は気づかないふりをする。
「ちょっと気持ち悪いでしょ。我ながらそう思う」
「ん。素敵だなって、私は思ってるよ」
失恋って、なんか、美しい響き、あるし。
「ありがと。佳奈ちゃんって、やっぱり思ったとおりの人だった」
遥香のからだ、あったかくて、やわらかくて、気持ちいいんだ。
いい匂いがして、溶かされてしまいそう。
この匂いの発生源を、私は野生動物になったつもりで探してみる。
遥香の髪をかき分け、後頭部に顔を埋めて、すーっと息を吸い込んでみる。
その香りは、ほんのり香ばしくて、子どもは立ち入れない、おとなの世界に足を踏み入れてしまったような、そんな気持ちが芽生えるのを感じた。
「佳奈ちゃん!」
遥香がおっきな声をだして、足を止めて振り返った。
「もう! 汗かいてて恥ずかしいから、人の頭皮の匂い嗅がないでよう」
ぜんぶ、バレてた。
弁解の余地もないなって、私はお叱りを受けるのを覚悟した。
「佳奈ちゃんってさあ、変態でしょ?」
「ごめんなさい」
まず、謝罪。
それしかない。
「さっきから、佳奈ちゃん、からだも息もあっついよ。もうちょっとで病院着くから、興奮しないでえ」
呆れたように私を叱りつけると、遥香はまた歩きだす。
遥香、どうか私を嫌いにならないでほしい。
貴女があまりにも、美しすぎるせいないんだ。
なにも言えずに、心の中で言い訳していると、遥香はさらに畳み掛けてきた。
「私、気づいてるんだからね」
この上、なにを知られているのか、私にはわからなかった。
「体育のとき、いっつも私の着替え、じろじろ見てること」
だから、あるときから隠すようになったのかあ。
「いっぱい食わされたなあ」
私が言うと、遥香はんふっと笑いながら、
「佳奈ちゃんは、頭がおかしい」
と言って、私の悪行を赦してくれた。




