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絆の時間  作者: 送りバントがうますぎる猫
第二章 邪魔者たち
22/27

第22話 5月 絆の時間(佳奈) kana

  佳奈 kana


「フェロモンってどうやったら出ますかね」


 絆の時間。


 みよちゃん先輩の部屋を訪れた私は、ギプスを巻かれた右足を引きずり、松葉杖をつきながら、そう訊ねた。


「佳奈ちゃんって、すぐなにかを分泌しようとするんだあ」


 それは誤解ですって言おうとしたら、みよちゃん先輩が寄ってきて、身体を支えてくれた。


「どうしたの、その足」

「後悔はないんで」

「それは聞いてないんだあ」


 そんなことよりって言おうとしたら、みよちゃん先輩がベッドに座るよう促してくれた。


「その足で床に座るのは大変そうだもんね」


 みよちゃん先輩はいつだってやさしい。


 私がベッドに腰かけると、みよちゃん先輩は松葉杖を壁に立てかけながら、「お茶いれるね」って言って、いつものようにお茶を用意しはじめた。


「虫とか、野生の生き物は、フェロモンを出して誘惑するってなにかで読みました」

「虫になりたい話ではないんだよねえ」

「人間だって動物ですよ?」

「ちょっとごめん、頭、整理させてくれるかなあ。佳奈ちゃんとのコミュニケーションって、私にはまだ早いっていうか、スピード感、みたいなものに慣れるのが難しいんだあ。おっとりしてるほうだから、私って」

「知ってます」


 むっとした顔でじろっと私を一瞥してから、みよちゃん先輩は笑顔でお茶を差し出してくれた。


 ここのところ、毎日よく晴れていて、まだ5月だというのに、真夏みたいに暑い日が続いている。

 お茶を飲まずに、冷たいグラスをほっぺたに当てて気持ちよくなっている私に、みよちゃん先輩が言う。


「フェロモンなんて、考えたこともなかったなあ」

「あ、女性フェロモンです」

「それ、ホルモンとごっちゃになってると思うんだあ」


 ベッドに腰かけた私はお茶を置いて、床に座っているみよちゃん先輩の姿を見下ろす。

 ほっぺたに指を当てて、首を傾げていた。

 いつもの考えるポーズだ。


 みよちゃん先輩は、いつだって私と真摯に向き合ってくれる。


「みよちゃん先輩はどうやって出してるんですか?」


 悩んでいるから、こちらから訊いてみた。


「え、知らないうちにでちゃってた?」

「すっごいでてますよ、ホルモン」

「内臓はみ出してるみたいに言うの、やめてほしいんだあ」


 みよちゃん先輩は、制服のブラウスのボタンを大胆に開けているから、わがまますぎる肌色のおっきな谷間が私を誘惑してくるのだ。


「谷間とか見せたら、いいんですかねえ」


 私が言うと、みよちゃん先輩は胸に手を当てて、谷間を隠してきた。

 真っ赤な顔をして、上目遣いで私を睨んでくる。


「はしたない女だと思わないでほしいんだあ。部屋の外に出るときはしっかり上までボタン留めてるからね。暑いから部屋ではこうしてるだけなんだあ」

「私も部屋では服着てないからわかります」

「えっと、私って服は着てるんだあ。裸で過ごす習慣とか、ないからね。おしとやかなんだあ、私って」


 この時期、女子寮の6Fはとにかく暑い。

 建物全体で空調の温度設定をされているせいで、そうなってしまうらしい。

 温度を下げると、下の階の子から寒いって苦情が入るから我慢してほしいと、寮母さんにこの前言われた。


「胸に汗かいてくるから開けてるだけで、佳奈ちゃんに見せたいと思っているわけではないんだあ」


 よくよく見ると、確かに胸の谷間に汗が光っている。

 じーっと見つめていると、みよちゃん先輩はしょうがないなあって言いながら、ボタンを留めはじめた。


「え、もったいない。減るもんじゃないのに」

「なにかが減るような気はするんだあ」

「じゃあ、私もだします」


 私はいちばん上まで留めていたブラウスのボタンを大胆に外して、みよちゃん先輩みたいに谷間をアピールしてみせた。

 先輩ほどおっきくはないから、ぎゅうっと両腕で寄せてみる。


 みよちゃん先輩は、ボタンを留めるのをやめて、私の作った谷間をじーっと見つめてきた。


「なんか、恥ずかしいです。あんまり見ないでください」

「それだと、私がいけないことしてるみたいなんだあ。自分でやっといてそれはないと思う」

「これがフェロモン、なんですかねえ?」

「そうなの、かなあ?」


 なんだか照れくさくて、ふたりで顔を見合わせて笑いあう。

 恥ずかしくて、私まで胸に汗かいてきちゃった。

 ブラウスを指で摘んで、ぱたぱたと風を送ると、冷たくて気持ちがいい。


「かわいい谷間だったなあ」


 みよちゃん先輩がふふっと笑いながら言う。


「みよちゃん先輩みたいな、爆乳じゃないので、これが限界です」

「下品な言い方よくないんだあ」


 またふたりで笑っていると、みよちゃん先輩がなにかを思いついた様子で手を叩く。


「フェロモンって、匂いなんじゃないかなあ。なんかそんなこと聞いた覚えある。なんらかの動物の生態を描いたドキュメンタリーとかで」


 匂いかあ。


 意図して誘惑する香りを放つのは、ちょっと難しいかも。

 虫や植物じゃあるまいし、人間の体のどの組織からそんなの出るんだって話だし。

 でも、みよちゃん先輩は、いつもいい匂いするよなあ。

 誘惑というよりは、ほっと安心してしまうような、そんな香り。


「嗅がせていただくことってできますか?」

「駆けつけ三杯みたいに言うのやめてほしいんだあ。佳奈ちゃん、まだ未成年だし」

「そっか。成人向けでしたね」

「うん」


 うん、なのかな、それって。


「違ってたらごめんなんだけど、佳奈ちゃんには誘惑したい相手がいるって話なんだよね?」


 恥ずかしい話だけど、みよちゃん先輩になら相談できると信じて、私は首を縦に振ってみる。


「はじめて好きな人ができたんです」


 わあって顔をして、みよちゃん先輩は両手を口に当てた。

 美代子のリアクションが思いのほかおっきくて、こっ恥ずかしくなってくる。


「誘惑したいだなんて、佳奈ちゃんって積極的なんだあ。美代子も見習いたいくらい」


 たまに自分のこと美代子って呼ぶのがおもしろくて、私はふふっと笑ってしまう。


「みよちゃん先輩は、好きな人、いるんですか?」


 私が訊ねると、みよちゃん先輩はさみしそうな顔で首を横に振った。


「好きだったけど、あきらめるしかなかったんだあ」


 瞳をうるませながら、みよちゃん先輩が力なく笑った。

 こんなからだじゃなければ、いますぐ抱きしめてあげるのに。


「七海先輩は高潔な人で、学園のみんなのことを第一に考えているのね。それは私だけに向けられたやさしさではないから、独り占めは許されないの」


 なんだか、一生懸命、自分を納得させているような言い方だった。

 やっぱり、みよちゃん先輩は、七海先輩が好きだったんだ。

 絶対にそうだと思ってた。

 美代子って、隠しごと苦手なタイプなんだ。


「あんなに立派な人、私じゃ釣り合わないって自分でもわかるから」


 美代子、こっぴどく失恋しちゃったんだ。


「みよちゃん先輩のその感情、すごく美しいです」

「佳奈ちゃんは、私みたいになっちゃだめだよ」


 うんうんってふたりで頷きあう。


「でも、私、いままで人を好きになった経験とかなくて」

「地元では、そういうのなかったの?」

「小さい頃から代わり映えのしない顔ぶれですし、田舎のみんなは私に対して、呆れ、とか、あきらめ、みたいなスタンスだったので」

「わかる」


 深く頷いているけど、そこはわかっちゃいけなくないか、美代子。


「自分からアプローチするのって、どうやったらいいかわからないから、相手のほうからきてくれないものかなって」

「そういうことだったんだあ。やっとわかった。そんなこと言ったら、私だって経験はないから、アドバイス難しいなあ」


 みよちゃん先輩は、一生懸命、考えてくれている。


「必要なのはやっぱり『求愛行動』ですかねえ」

「佳奈ちゃんが虫や動物でたとえるの、すっごく思考にノイズなんだあ」


 そんなこと言われても、人間だって自然界に生きる、動物に過ぎないじゃない。

 私は不満たっぷりの顔で、美代子の顔を見下ろしてみせる。

 えへへって笑いながら、美代子は立ちあがった。


「こうやって、おもむろに腰とか動かしてみるのはどう? 求愛行動って感じするう」


 みよちゃん先輩は、腰を前後に動かしてみせる。


「もっとサンバのリズムじゃないです?」

「え、こうかなあ?」


 みよちゃん先輩が、激しく腰を震わせる。

 それが思いのほか上手で、私は本場の空気ってもんを感じてくる。

 たわわに揺れる豊満な肉体が、より、本場の味を感じさせる。


「円を描くようにしたら、もっとセクシーじゃないです?」

「すごい運動量」

「むしろ、すぐに表現できる、みよちゃん先輩がすごいですよ」


 ダンスとか得意なのかな、こんなおっとりしているように見えて。


「なんか、変な気持ちになってきました」

「美代子も変な気持ちになってるから、だいじょぶ」


 だいじょぶ、なのかな、この場合。


「でも、冷静に考えたら、右足を骨折していてそんなに激しく動けないし、この動きに誘惑されてしまうような相手、ちょっと嫌かも。百年の恋も冷めるっていうか」


 みよちゃん先輩が急に冷静にすんってなった。


「美代子になにやらせるのよう」


 みよちゃん先輩は照れくさそうに、どんって両手で私の肩を押してきた。

 私はベッドの上にひっくり返りながら、きゃっきゃと笑った。

 ぼふって倒れ込むと、布団から、美代子の匂いがした。


「『求愛行動』ってワードに、引っ張られすぎましたねえ」


 どさくさに紛れて、美代子の枕をすーっとひと吸いしてから、身体を起こして言うと、みよちゃん先輩は座ってお茶をいただいていた。


 そこで、絆の時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。


「今日もありがとうございます。なんか相談に乗ってもらって、気持ちが軽くなりました」

「私も、誰にも言えなかった七海先輩への秘めたる思いを聞いてもらえて、心が軽くなった気分」


 壁に立てかけてあった松葉杖を受け取って、心配そうに見守られながら、私は部屋をあとにした。

 ドアが閉まってひとりになると、急に冷静になってくる。


 これじゃ、みよちゃん先輩が、素早く腰を動かす技術を身につける話にしかなっていない。


 それでも、美代子の勇姿を拝むことができたから、私は満足だった。

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