第22話 5月 絆の時間(佳奈) kana
佳奈 kana
「フェロモンってどうやったら出ますかね」
絆の時間。
みよちゃん先輩の部屋を訪れた私は、ギプスを巻かれた右足を引きずり、松葉杖をつきながら、そう訊ねた。
「佳奈ちゃんって、すぐなにかを分泌しようとするんだあ」
それは誤解ですって言おうとしたら、みよちゃん先輩が寄ってきて、身体を支えてくれた。
「どうしたの、その足」
「後悔はないんで」
「それは聞いてないんだあ」
そんなことよりって言おうとしたら、みよちゃん先輩がベッドに座るよう促してくれた。
「その足で床に座るのは大変そうだもんね」
みよちゃん先輩はいつだってやさしい。
私がベッドに腰かけると、みよちゃん先輩は松葉杖を壁に立てかけながら、「お茶いれるね」って言って、いつものようにお茶を用意しはじめた。
「虫とか、野生の生き物は、フェロモンを出して誘惑するってなにかで読みました」
「虫になりたい話ではないんだよねえ」
「人間だって動物ですよ?」
「ちょっとごめん、頭、整理させてくれるかなあ。佳奈ちゃんとのコミュニケーションって、私にはまだ早いっていうか、スピード感、みたいなものに慣れるのが難しいんだあ。おっとりしてるほうだから、私って」
「知ってます」
むっとした顔でじろっと私を一瞥してから、みよちゃん先輩は笑顔でお茶を差し出してくれた。
ここのところ、毎日よく晴れていて、まだ5月だというのに、真夏みたいに暑い日が続いている。
お茶を飲まずに、冷たいグラスをほっぺたに当てて気持ちよくなっている私に、みよちゃん先輩が言う。
「フェロモンなんて、考えたこともなかったなあ」
「あ、女性フェロモンです」
「それ、ホルモンとごっちゃになってると思うんだあ」
ベッドに腰かけた私はお茶を置いて、床に座っているみよちゃん先輩の姿を見下ろす。
ほっぺたに指を当てて、首を傾げていた。
いつもの考えるポーズだ。
みよちゃん先輩は、いつだって私と真摯に向き合ってくれる。
「みよちゃん先輩はどうやって出してるんですか?」
悩んでいるから、こちらから訊いてみた。
「え、知らないうちにでちゃってた?」
「すっごいでてますよ、ホルモン」
「内臓はみ出してるみたいに言うの、やめてほしいんだあ」
みよちゃん先輩は、制服のブラウスのボタンを大胆に開けているから、わがまますぎる肌色のおっきな谷間が私を誘惑してくるのだ。
「谷間とか見せたら、いいんですかねえ」
私が言うと、みよちゃん先輩は胸に手を当てて、谷間を隠してきた。
真っ赤な顔をして、上目遣いで私を睨んでくる。
「はしたない女だと思わないでほしいんだあ。部屋の外に出るときはしっかり上までボタン留めてるからね。暑いから部屋ではこうしてるだけなんだあ」
「私も部屋では服着てないからわかります」
「えっと、私って服は着てるんだあ。裸で過ごす習慣とか、ないからね。おしとやかなんだあ、私って」
この時期、女子寮の6Fはとにかく暑い。
建物全体で空調の温度設定をされているせいで、そうなってしまうらしい。
温度を下げると、下の階の子から寒いって苦情が入るから我慢してほしいと、寮母さんにこの前言われた。
「胸に汗かいてくるから開けてるだけで、佳奈ちゃんに見せたいと思っているわけではないんだあ」
よくよく見ると、確かに胸の谷間に汗が光っている。
じーっと見つめていると、みよちゃん先輩はしょうがないなあって言いながら、ボタンを留めはじめた。
「え、もったいない。減るもんじゃないのに」
「なにかが減るような気はするんだあ」
「じゃあ、私もだします」
私はいちばん上まで留めていたブラウスのボタンを大胆に外して、みよちゃん先輩みたいに谷間をアピールしてみせた。
先輩ほどおっきくはないから、ぎゅうっと両腕で寄せてみる。
みよちゃん先輩は、ボタンを留めるのをやめて、私の作った谷間をじーっと見つめてきた。
「なんか、恥ずかしいです。あんまり見ないでください」
「それだと、私がいけないことしてるみたいなんだあ。自分でやっといてそれはないと思う」
「これがフェロモン、なんですかねえ?」
「そうなの、かなあ?」
なんだか照れくさくて、ふたりで顔を見合わせて笑いあう。
恥ずかしくて、私まで胸に汗かいてきちゃった。
ブラウスを指で摘んで、ぱたぱたと風を送ると、冷たくて気持ちがいい。
「かわいい谷間だったなあ」
みよちゃん先輩がふふっと笑いながら言う。
「みよちゃん先輩みたいな、爆乳じゃないので、これが限界です」
「下品な言い方よくないんだあ」
またふたりで笑っていると、みよちゃん先輩がなにかを思いついた様子で手を叩く。
「フェロモンって、匂いなんじゃないかなあ。なんかそんなこと聞いた覚えある。なんらかの動物の生態を描いたドキュメンタリーとかで」
匂いかあ。
意図して誘惑する香りを放つのは、ちょっと難しいかも。
虫や植物じゃあるまいし、人間の体のどの組織からそんなの出るんだって話だし。
でも、みよちゃん先輩は、いつもいい匂いするよなあ。
誘惑というよりは、ほっと安心してしまうような、そんな香り。
「嗅がせていただくことってできますか?」
「駆けつけ三杯みたいに言うのやめてほしいんだあ。佳奈ちゃん、まだ未成年だし」
「そっか。成人向けでしたね」
「うん」
うん、なのかな、それって。
「違ってたらごめんなんだけど、佳奈ちゃんには誘惑したい相手がいるって話なんだよね?」
恥ずかしい話だけど、みよちゃん先輩になら相談できると信じて、私は首を縦に振ってみる。
「はじめて好きな人ができたんです」
わあって顔をして、みよちゃん先輩は両手を口に当てた。
美代子のリアクションが思いのほかおっきくて、こっ恥ずかしくなってくる。
「誘惑したいだなんて、佳奈ちゃんって積極的なんだあ。美代子も見習いたいくらい」
たまに自分のこと美代子って呼ぶのがおもしろくて、私はふふっと笑ってしまう。
「みよちゃん先輩は、好きな人、いるんですか?」
私が訊ねると、みよちゃん先輩はさみしそうな顔で首を横に振った。
「好きだったけど、あきらめるしかなかったんだあ」
瞳をうるませながら、みよちゃん先輩が力なく笑った。
こんなからだじゃなければ、いますぐ抱きしめてあげるのに。
「七海先輩は高潔な人で、学園のみんなのことを第一に考えているのね。それは私だけに向けられたやさしさではないから、独り占めは許されないの」
なんだか、一生懸命、自分を納得させているような言い方だった。
やっぱり、みよちゃん先輩は、七海先輩が好きだったんだ。
絶対にそうだと思ってた。
美代子って、隠しごと苦手なタイプなんだ。
「あんなに立派な人、私じゃ釣り合わないって自分でもわかるから」
美代子、こっぴどく失恋しちゃったんだ。
「みよちゃん先輩のその感情、すごく美しいです」
「佳奈ちゃんは、私みたいになっちゃだめだよ」
うんうんってふたりで頷きあう。
「でも、私、いままで人を好きになった経験とかなくて」
「地元では、そういうのなかったの?」
「小さい頃から代わり映えのしない顔ぶれですし、田舎のみんなは私に対して、呆れ、とか、あきらめ、みたいなスタンスだったので」
「わかる」
深く頷いているけど、そこはわかっちゃいけなくないか、美代子。
「自分からアプローチするのって、どうやったらいいかわからないから、相手のほうからきてくれないものかなって」
「そういうことだったんだあ。やっとわかった。そんなこと言ったら、私だって経験はないから、アドバイス難しいなあ」
みよちゃん先輩は、一生懸命、考えてくれている。
「必要なのはやっぱり『求愛行動』ですかねえ」
「佳奈ちゃんが虫や動物でたとえるの、すっごく思考にノイズなんだあ」
そんなこと言われても、人間だって自然界に生きる、動物に過ぎないじゃない。
私は不満たっぷりの顔で、美代子の顔を見下ろしてみせる。
えへへって笑いながら、美代子は立ちあがった。
「こうやって、おもむろに腰とか動かしてみるのはどう? 求愛行動って感じするう」
みよちゃん先輩は、腰を前後に動かしてみせる。
「もっとサンバのリズムじゃないです?」
「え、こうかなあ?」
みよちゃん先輩が、激しく腰を震わせる。
それが思いのほか上手で、私は本場の空気ってもんを感じてくる。
たわわに揺れる豊満な肉体が、より、本場の味を感じさせる。
「円を描くようにしたら、もっとセクシーじゃないです?」
「すごい運動量」
「むしろ、すぐに表現できる、みよちゃん先輩がすごいですよ」
ダンスとか得意なのかな、こんなおっとりしているように見えて。
「なんか、変な気持ちになってきました」
「美代子も変な気持ちになってるから、だいじょぶ」
だいじょぶ、なのかな、この場合。
「でも、冷静に考えたら、右足を骨折していてそんなに激しく動けないし、この動きに誘惑されてしまうような相手、ちょっと嫌かも。百年の恋も冷めるっていうか」
みよちゃん先輩が急に冷静にすんってなった。
「美代子になにやらせるのよう」
みよちゃん先輩は照れくさそうに、どんって両手で私の肩を押してきた。
私はベッドの上にひっくり返りながら、きゃっきゃと笑った。
ぼふって倒れ込むと、布団から、美代子の匂いがした。
「『求愛行動』ってワードに、引っ張られすぎましたねえ」
どさくさに紛れて、美代子の枕をすーっとひと吸いしてから、身体を起こして言うと、みよちゃん先輩は座ってお茶をいただいていた。
そこで、絆の時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「今日もありがとうございます。なんか相談に乗ってもらって、気持ちが軽くなりました」
「私も、誰にも言えなかった七海先輩への秘めたる思いを聞いてもらえて、心が軽くなった気分」
壁に立てかけてあった松葉杖を受け取って、心配そうに見守られながら、私は部屋をあとにした。
ドアが閉まってひとりになると、急に冷静になってくる。
これじゃ、みよちゃん先輩が、素早く腰を動かす技術を身につける話にしかなっていない。
それでも、美代子の勇姿を拝むことができたから、私は満足だった。




