第21話 5月 山中にふたり akari
あかり akari
ゴールデンウィークに入ると、女子寮から人が消えた。
この学園のカレンダーは、職員や生徒たちが本土に帰省しやすくするためか、4月下旬から5月のゴールデンウィーク明けまで、間にある平日も、ぜんぶ休みになるみたいだった。
その恩恵もあってか、驚くほど人が少なくなったのだ。
佳奈とふたり、食堂でご飯を食べながら、あの遥香ってやつも、志乃って子も、美代子先輩も、佳奈が気にしたり、ちょっかい出したりしている女は、誰も見かけないなって、私は思っていた。
ゴールデンウィークは、佳奈とふたりでずっと山岳調査をしている。
佳奈は、山に夢中だ。
その執着と言ったら、なにかに取り憑かれたようだと言っても差し支えないほど。
まるで、この島で、なにかを探しているみたいだった。
毎日、興奮した様子で、山中で見つけたどこそこを探検してみようって話をしている。
山の中で、佳奈はいつも私のことを気にかけてくれる。
私が鈍くさくて、怪我しそうで、心配だって思っているみたいだ。
学校の中での私と、学校の外での私。
それはきっと、集団の中での私と、そうでないときの私だ。
そういう違いは、間違いなくある。
誰にだって、あると思っている。
佳奈にもそれがある。
学校の外では、私だけを見てくれる。
学校の中では移り気で、よそ見ばかりしていて、とにかく落ち着きがない。
私の嫌いな人間の姿をしてる。
私と話しているのに、すぐよそ見をする人間の姿をしてる。
私はそれが許せない気持ちになる。
学校の外でそうするように、いつも私だけをじっと見つめたまま、おしゃべりしていてほしい。
私から目を逸らさずに、ずっと向き合っていてほしい。
私のそばを、ずっと離れないでいてほしい。
このゴールデンウィークは、まさにそんな思いが実現したような時間で、私と佳奈は、静かな山中で、ふたりきりの、濃密な時間を過ごしていた。
◇
ゴールデンウィーク最終日。
天気は雲ひとつない快晴。
真夏かと思うくらい、厳しい日差しが照りつける、暑い日だった。
この日、私たちは、山頂に到達することを目標に掲げていた。
門限までに余裕で帰れる距離だというから、最初から山頂を目指したってよかったのだけれど、佳奈が楽しみは最後までとっておきたいとか言いだしたのだ。
「この天気でそれは、さすがに暑くない?」
体育のジャージ姿の私に佳奈が言う。
「暑いけど、虫に刺されるの嫌だし。上のほうは涼しいかなって」
「そんな標高、高くないでしょ」
笑っている佳奈は、半袖にハーフパンツ姿の、夏仕様だった。
彼女が足をだしているのをはじめて見た。
制服のスカートはいつもふくらはぎまでの丈ではいているし、体育の授業だって、上着は半袖の日もあるけれど、下は必ずジャージをはいているくらい、そこは徹底している。
その理由を、私は知っている。
細かい傷跡だらけの足を見られるのが、コンプレックスだからだ。
私とふたりきりで、誰もいないとわかっているこの山の中でなら、足をだしてもいいものと、佳奈は考えているみたいだ。
それがなんだか、私はうれしかった。
◇
昔は、島の子どもたちが遊び場にしていたというだけあって、山頂を目指す道中は、それほど険しいものではなかった。
誰もこの山を登らなくなって久しいのか、かつて人が踏み固めたらしい道に草木が茂り、山頂へ続く道を覆い隠している。
いつかこの道を通る人が、迷ってしまわないように、シンボルになりそうなものをカメラに収め、白紙の地図に印をつけながら、私たちは山頂を目指してゆく。
木々の隙間から、遠くに海が見える。
しばらく歩くと、周囲の植物の背が低くなってきた。
代わりに日差しがきつく感じて、ふうっと息を吐きながら足を止める。
佳奈が駆け寄ってきて、鞄からお水の入ったペットボトルを差し出してきた。
「ちょっと休む?」
「ん。だいじょぶ」
そう応じてから、お水をいただく。
ペットボトルを返すと、佳奈もひと口飲んで鞄にしまった。
この道が永遠に続いて、ずっとふたりで終わらない旅を続けられたら、私はそれでもよかった。
佳奈の隣だけが、いまの私にとっての居場所だったから。
現実はそうではなくて、緑が徐々に減っていくのを感じながら歩いているうちに、やがて、岩場のようなエリアにたどり着いたかと思うと、突然、視界が大きく開けた。
「学園が見えるよ」
佳奈に言われて振り返ると、遠くに学園の校舎を見下ろすことができた。
その先に、海沿いの町並みが見える。
どうやら、広場のようになっているここら一帯が、ほぼ頂上といって差し支えないようだ。
私たちが立っている場所は、古い火山の火口のように見えた。
「いまこの瞬間に噴火したら、うちらおしまいだね」
佳奈が笑いながら言う。
「え、活動している火山なの?」
「ん。知らん」
無責任な発言に、私は声をだして笑った。
「昔はここで、子どもたちが遊んでいたんだね」
佳奈の声を聞きながら、周囲を見回すと、背もたれのない小さなベンチを見つけた。
「あそこに座って、ふたりで写真撮ろうよ」
佳奈のほうを振り返ると、なんか上着を脱いでた。
「え、写真? やば」
「汗、引いてから撮ろうか?」
慌てて上着を着はじめたから、提案してみた。
やっぱ、私よりだいぶ胸でかいな、こいつ。
元気がいい分、発育もいいってことなのか。
なんか、負けた気がしてくるなあ。
「うう、その前にさあ」
佳奈がぶるぶると、身体を震わせている。
「ちょっと、トイレいい?」
「え、ここで? 帰るまで我慢できない?」
私は驚いて、訊き返した。
「上着脱いで風を浴びたら、急にしたくなっちゃった」
「まあ、いいけど」
周囲を見回しながら応じる。
当たり前だけど、誰かに見られる心配などなさそうだ。
「あ、おっきいのじゃないよ」
「聞いてないし、言わなくていいから」
「これ持ってて」
佳奈は、私に上着を預けると、走って斜面を下りていった。
私に見られないように隠れてしたいのだろう。
「見ないから大丈夫だよ!」
佳奈は、なにか返事をしていたけれど、なに言ってるのか聞きとれなかった。
景色を眺めながら待っていると、ビキニの水着みたいな格好で、肌色の上半身をあらわにした佳奈が、すっきりした表情で戻ってきて、笑ってしまった。
「野生動物もね、排泄によって縄張りをアピールすることがあるんだよ。山で動物の糞を見つけたら、近くに本人がいるかもしれなくて危ないんだから」
照れ隠しなのか、謎の知識を披露してくる。
正しい情報なのかはわからない。
「あ、私はおっきいのしてないけどね」
「疑ってないから。あんまり言うと見に行くぞ」
私が言うと、佳奈は恥ずかしそうな顔で「見ちゃだめ」って言うので、逆に見たくなってしまった。
「あかりはトイレとかへいき?」
改まって訊ねられると、急にしたくなってくる。
もじもじしていると、意地悪な顔をした佳奈が言う。
「訊かれるとしたくなるでしょ。私もそうだからわかる」
「共犯者に仕立て上げるために、わざと言ったなあ」
抗議してみせたものの、帰るまで我慢できるか怪しい気がしてくる。
こんな大自然の中で、野生動物みたいにするのはちょっと。
いや、でも、するならこのあたりのほうが虫もでなそうだし、まだいいかなあ。
「恥ずかしがってないで、行ってきな、漏らすよ?」
そう脅されると我慢できなくて、私は佳奈に上着を返して走りだした。
斜面を背に、隠れるようにして、パンツごとジャージを下ろしてしゃがみ込む。
遠くの海を見つめながら、溜まっていたものを解き放つ。
この水の音、海から鳴っているみたいって思ったら、なんか笑えた。
「あかり、紙持ってる?」
背後から佳奈の声がして、恥ずかしいのと、こいつ絶対許さんの気持ちが同時に襲ってくる。
「あっち行ってて!」
私は大声で怒鳴り返した。
「ひえ」
という声とともに、足音は離れていった。
用を足して、広場に戻ると、佳奈が私の顔を見て笑う。
握りこぶしが、佳奈の頭上に降り注いでゆく。
佳奈は涙目になりながら、両手で頭を押さえ、
「わざとじゃない」
と、言い訳してみせた。
「親切心だし、今回だけはこれで許してあげる」
不服ながら私が言うと、
「あかりのお尻、かわいかったよ」
と、いらねえことを言うので、また私の拳が、佳奈のみぞおち深くにめり込んでいった。
「ふぐ」
と、断末魔をあげて、佳奈は前のめりに倒れた。
◇
行き過ぎたじゃれ合いに疲れた私たちは、ぼろぼろのベンチに並んで腰かけて、なんでかふたりで上着を脱いで、上半身だけ下着姿のまま、気持ちのいい風を浴びていた。
「日に焼けちゃうね」
「健康的でいいじゃん。あかり、なんか不健康そうな白さだし」
私が言うと、佳奈が笑ってそう返してきた。
「健康的なほうが好き?」
私が訊ねると、佳奈は首を傾げて考えてみせる。
「人による」
「なんだそれ」
身も蓋もない結論に、ふたりで笑いあった。
遠くの海に、連絡船の姿が見える。
あの船に乗って、ふたりでこの島に上陸してきたのだ。
「沈んでしまえばいいのに」
海に浮かぶ船を見つめながら、気づけばそう口にしていた。
「いっそ、なにもかも、この島以外、すべて沈んでしまえばいいのに」
そうすれば、なにもかも忘れて、忘れるしかなくて、きっと楽になれるのに。
このとき、私は本心から、この世界を憎んでいたと思う。
それが表に出ただけの、単純な言葉だったんだと思う。
囚われていた私を救い出してくれたのは、毎晩歌っている、あの歌だった。
「その歌、知ってるの?」
決して上手とは言えないけれど、なんだか耳に心地いい、そんな歌声だった。
「まあね」
佳奈が歌うのをやめてそう言った。
「ずいぶん昔の歌、知ってるんだね」
「いっしょに歌おうよ」
島中に聴こえているんじゃないかってくらい、大きな声で、私たちは歌った。
それから、ふたりで上着を着て、記念撮影をしてから山を下りた。
あのとき、私が急に物騒なことを言いだしたから、佳奈はあの歌を歌ってくれたのかな。
いままで出会った誰よりも、私にやさしくしてくれた、ちょっと変わっているけれど、素直で元気な、私のはじめての友だち。
大好きな人。
思えば私たちの関係は、このときがいちばんマシだったのかもしれないね、佳奈。




