第15話 4月 絆の時間(あかり) akari
あかり akari
「門限早くない?」
文句を言いながら、女子寮に続く坂道を走る。
お昼ご飯のあと、佳奈が学校を探検してみたいと言いだしたから、ふたりで歩き回って、もう走る体力が残っていなかった。
私が遅れているのを見て、体力ないなこいつって呆れた顔で、佳奈が振り返る。
「ほら、急ぐよ」
佳奈に手を引かれながら、ふたりで女子寮に駆け込んだ。
「17時58分。ぎりぎりセーフ」
平日は18時が門限。
寮母さんに間に合いましたよって、佳奈がわざとらしくアピールしている。
「もうすぐ絆の時間、はじまるわよ」
寮母さんに声をかけられながら、靴をロッカーにしまう。
「あなたも急ぎなさい」
私たちより、ぎりぎりのやつがいるぞと思って振り返ると、葵先輩だった。
彼女は、別に間に合ってますよねっていう涼しい顔で入ってくる。
寮母さんの言うことなんて気にしていないし、慣れた感じだ。
門限を過ぎたとしても、たいした実害はないってわかってるのかな。
ロッカーに靴をしまった葵先輩と目が合う。
私なんて、知り合いでもなんでもないって顔で通り過ぎていった。
このあと、ふたりで一時間過ごさなきゃいけないっていうのに。
そういう態度、私は嫌いじゃない。
中央棟のエレベーターが1Fにいなかったので、佳奈はあきらめて住居棟のほうに歩きはじめた。
階段で6Fまであがるつもりだ。
あれだけ歩いたり走ったりしたのに、平然とそれは感心せざるを得ない。
まったく、化物みたいな体力の女だ。
しょうがないので私も付き合う。
「私、門限が早まった理由、わかったわ」
「え、どんな理由?」
「佳奈みたいな体力お化けの化物を、ここに閉じ込めておくため」
うはって佳奈が笑った。
「直人先生が初年度いろいろあったって言ってたでしょ?」
「ああ、なるほどね」
佳奈も察したみたいだ。
今年は休日だけ20時が門限という運用になると聞いた。
平日は去年の19時から、1時間早まって、今年からは18時になるという話だ。
初年度は毎日20時だったというから、島民から夜に出歩いている学生についての苦情が多かったのだろう。
「私たちは、静かなこの島の住民にとって、侵略者ってわけなんだ」
私が言うと、前を歩く佳奈が、にやにやと振り返って、
「侵略的外来種」
と、つぶやいた。
佳奈は変な言葉とか、聞き慣れない言葉を好んで使う。
この島をユートピアにするとか言ってるし。
そんなことを言っているうちに、6Fにたどり着いた。
「これから美代子の時間かあ」
廊下を歩きながら、佳奈は楽しそうにうふっと笑う。
美代子となにしてるのか、今度詳しく聞かせてもらうとするか。
自分の部屋に着いて手荷物を置くと、すぐにチャイムが鳴って、絆の時間がはじまった。
◇
葵先輩とのはじめての絆の時間は、当たり障りのない自己紹介だけをして、お互い相手に対して興味を持っていないことを態度で確認し合ったら、
「いっしょに過ごせばいいだけだから、無理してしゃべらなくていいよ」
葵先輩がそう言って、私たちは、ぼーっと寝転んだりして過ごしただけだった。
お互い黙っていると、開け放した窓からたまに聴こえる風の音と、カーテンが揺れる音だけが響く、静かな空間だった。
今日もそんな感じだろうと思って、私はドアをノックした。
部屋に入ると、音楽が鳴っていた。
葵先輩はベッドに腰かけて、私は床の上に置いてあるクッションの上に座る。
そうと決まっているわけではないけれど、前回そうしたから自然とそうなった。
葵先輩の部屋には、あんまり物がない。
学校とこの寮を行き来するのに、最低限、必要なものだけって感じだ。
それなのに、この音楽はいったいどこから鳴っているんだろうと、あたりを見回すと、葵先輩がベッドの上から拾い上げたスマホからだとわかった。
「校則違反ですね、それ」
葵先輩が、ははっと笑う。
この人って笑うんだって思った。
前回はまったく笑わなかったから。
「実家とこの寮を頻繁に行き来してるからさ。ついうっかり実家から持ってきちゃうことあるんだよねえ」
葵先輩は、悪びれた様子もなく言う。
彼女が持っているのは、学園から配られている端末ではない、私物のスマホだった。
「実家って近いんですか?」
葵先輩は、生まれも育ちもこの島だって、前回教えてくれた。
「うちも高台にあるから、歩いて10分かからないくらい」
「それなのに、寮生活しないといけないんですね」
「全寮制って言ってるしね」
「なんか、茶番ですね」
私が笑いながら言うと、葵先輩も笑った。
「島の人間が通うことを、あんまり想定していないんだよ」
「島にあるのに?」
「子どもが少ないからね。私と同い年の子なんて、ひとりもいないし」
「そうなんですね。確かに直人先生も、過疎化だなんだって言ってました」
直人先生という名前が出た瞬間、葵先輩がぴくっと反応した。
お互い島の人だから、昔からの知り合いなのかな。
あまり詮索するようなことじゃないかと思って、私は話題を変えてみる。
「音楽好きなんですか?」
「どうして?」
「え、音楽かかってるから」
葵先輩は、納得したように、ああっと声をあげてから、
「あなたが好きだって言うから、かけてみた」
そんなことを言いだす。
意外だなって、私は目を丸くした。
その顔を見て、葵先輩がふっと笑う。
「好きかって訊かれるとどうかなって思うけど、私も別に嫌いじゃないよ」
嫌いじゃないっていうときは、まあまあ好きってことだ。
もしかして、わざわざ実家まで取りに行ってくれたのかな。
いや、そこまで私のためにする人じゃないか、校則違反だし。
「どうせだから、なんか選曲してみる?」
私は興味を惹かれて、立ちあがった。
葵先輩を見下ろすと、彼女がベッドをぽんぽんと叩く。
「座りなよ」
「なんか、他人のベッドに座るの、ちょっと気が引けます」
私が言うと、葵先輩は涼しい顔で応じる。
「私のベッドは実家にあるから。これは私にとっても他人のベッドみたいなものだし、なんなら寝転がってくれたっていいよ」
「じゃあ、遠慮なく」
隣に座ると、私物のスマホを手渡された。
「サブスク入ってるから、好きなの聴いていいよ」
それだけ言い残すと、葵先輩は立ちあがり、椅子に座って机に向かった。
なにやら、勉強でもはじめる様子だった。
特進コースだし、勉学が本業ってわけだ。
気を遣わなくていいから、そういう態度、私は嫌いじゃない。
そっちがその気ならと、私は遠慮なくベッドに寝転がって、目についた曲を選んでは再生し、飽きたり気に入らなければ、すぐ別の曲に切り替えるって感じで、会話もせずに音楽に夢中になった。
◇
葵先輩の私物のスマホを、まるで自分のものみたいに操る。
プライバシーの塊だし、音楽アプリ以外は触っていないけれど、夢中になっていた私は、他人のスマホという意識が徐々に薄れてきていた。
葵先輩は、私が流す音楽を聴きながら、静かに勉強している。
音楽を聴きながら、気になったアーティストの情報なんかを調べているときだった。
音楽に紛れて、かすかに通知音が鳴った。
『なおくん』
そんな名前で、通知が入った。
一瞬だけ目に入った短い内容は、明日の予定について、なにやら話している雰囲気だった。
明日は土曜日で学校が休みだ。
遊ぶ約束でもしているのかな。
ということは、彼氏だなって、急に気まずくなったけれど、当の葵先輩は気づいてなさそうだった。
なんかきてますってスマホを返すのも、余計に気まずいから、私は口を開いた。
「絆の時間って、週に何回かって聞いたんですけど、連日やることもあるんですね」
めちゃくちゃどうでもいい、世間話にもならない話題だなって、言ってから思った。
「どこかで生徒同士のトラブルが起きてそうな日には、必ずあるんだよ。たとえば、学校行事があった日なんかは」
「昨日が入寮式で、今日は入学式ですもんね」
「トラブルといえば」
机に向かっていた葵先輩が、こっちを振り向いた。
寝転がっていた私も身体を起こす。
「膝、怪我してるんだね」
「あ」
スカートを長くはいて隠していたのに、寝転がってごろごろしていたから、膝が見えていた。
「鼻にテープ貼ってるだけかと思ってた」
「そういうファッションとかじゃないんで」
私が笑いながら言うと、葵先輩も笑った。
たぶん、そういうファッションだと思われてた感じだ。
「昨日、フェリー乗り場の入口で、知らないおじさんに突き飛ばされて」
「ああ」
多分あの人かなって、思い当たってそうな顔してた。
「知り合ったばかりの友だちが、治療してくれました」
「へー。いい子だね、その子」
思わず口をついて出そうになった言葉を呑み込んで、代わりの言葉を探す。
「あとは自分でケアしろって、昨日シャワールームへ行く前に、道具を一式押しつけられましたけどね」
葵先輩は、ははっと笑って、
「私、好きだわ、その子」
そんな軽口を叩いた。
そこでチャイムが鳴って、この日の絆の時間は終わった。
◇
翌日、私は朝から佳奈に誘われて、ふたりで島を散策していた。
学園の校舎の近く、高台のエリアを歩いているとき、生け垣で囲まれた、古い大きなお屋敷の前を通りかかった。
島の有力者でも住んでいるのかなって話しながら、あのぶつかりおじさんだったら最悪だねって、私たちは冗談を言い合っていた。
生け垣の隙間から、縁側に座って仲睦まじく話す、ふたりの男女の姿が確かに見えた。
思わず足を止めると、前を歩いていた佳奈が振り返る。
「なんかあった?」
「いや」
私はそう言って、この場は見なかったことにした。
「なんか企んでる顔してるけど」
「この私が?」
「どの私よ」
ふたりで笑いながら、私はその家の前を通り過ぎた。
◇
週が明けて、最初の絆の時間。
また葵先輩の私物のスマホから、音楽が鳴っていた。
私は当然のようにベッドに腰かけ、勉強でもしていようと椅子に座っている先輩から、差し出されたスマホを受け取る。
音楽はすぐに止めた。
「私、見ちゃいました」
私の声に、葵先輩の時間が止まる。
きっと、なにを見られたのか、考えているんだ。
「先輩が直人先生と、ふたりでいるところ」
びっくりさせるつもりだったのに、先輩は静かに笑ってた。
見たこともないような、悪い顔してた。
「付き合ってるんですか?」
彼女は表情を変えないまま、なにも答えない。
「好きなんですか?」
だから、私は質問を変えてみる。
黙っているので、じっと答えを待つ。
葵先輩が表情を変えた。
「好きだよ」
このとき、私はいったい、どんな顔をしていたのだろう。
葵先輩は、まるで仲間を見つけたみたいな顔で笑い返してきた。
「あなたは?」
私は立ちあがって、スカートの裾を持ち上げてみせる。
「自分でケアしろって言われたけど、私、あの日のままにしているんです」
絆の時間。
茶番に過ぎない、馬鹿みたいな行事だなって思っていたけど、なんて素晴らしい時間なんだろう。
「大好きな女がしてくれたものだから」
私の嫌いじゃない先輩は、私から目を逸らすことなく、
「あなたのものになるといいね」
そう、悪魔のように微笑んだ。
これが、私たちの、絆の時間のはじまりだった。




