第7試合 オルトの今と昔
翌日、凌は再びオルトに訪れた。道場で自主練習が始まる中、ロヴィーナに招かれた凌は、休憩所のちゃぶ台に着く。
「昨日も話したけど、凌ちゃんにはウチのブッカーをしてもらうわ」
ノートを広げ、ペンを握る凌を見て、ロヴィーナは話を始める。
「ブッカーっていうのは、団体の対戦カード、試合の流れや勝敗、ストーリーラインを決める、マッチメイク全般の責任者みたいなものよ。興行の設計役とも言えるわね」
「責任者って……そんな重い役、素人の俺には無理ですよ」
「いきなり凌ちゃん一人にはさせないわよ。今までもムネさんとアタシの二人体制でやってきたし、そこはフォローするわ」
凌が苦い表情を浮かべる。ロヴィーナは構わず話を続ける。
「今、オルトの興行は月に二回。会場はキャパ二百程度の体育館とか、地域の貸しホール。客入りは大体四割から五割ってとこかしら」
「その程度なんですか……?俺が観ていた頃は人もいたし、もっと試合やってたような気がするんですけど」
「昔はねぇ。旗揚げした頃から数年は上り調子だったし、凌ちゃんが見てた頃なんてピークじゃないかしら。あの頃は週三でやってたし、お客さんもほぼ満員だったのよ」
思い浮かぶのは、大きな会場と、大勢のファンの姿。時代が変わったとはいえ、そこまで落ちぶれているのかと、凌は目を落とす。
「興行ひとつ打つのも、今はやっとなの。ムネさんのツテで会場を安く借りたり、知り合いの手を借りて人件費を抑えたりしてるけど、正直ほとんど赤字よ」
聞けば聞くほど、なぜ潰れていないのか謎だ。そして、そんな状況で采配を振るうのかと頭が重くなる。
「凌ちゃんにはまず、次の試合のカードをひとつ担当してもらうわ。勝敗と、序盤、中盤、終盤の大きな流れだけ考えてくれるかしら。後は基本、選手が組み立てるから」
「それって、俺がやる意味なくないですか?」
「それだけならね。でもさっきも言ったけど、ブッカーはストーリーラインを描いて、『次が気になる興行』を作るのも仕事なのよ。……なんだけど、アタシもムネさんも、そういう筋書きを考えるのは得意じゃないのよね」
それもそうかと、凌は思う。
二人はレスラーで、物書きじゃない。それになにより、政宗の大ざっぱさはよく知っている。向いているはずがない。
「オルトって、『試合としては悪くない』で終わる事が多いの。昔はムネさん目当てのファンが多かったからよかったけど、引退してからは減る一方でね。選手もどんどん辞めちゃったし、そこからはずーっと下火って感じ」
「そんな状況で、よくここまでやってこれましたね」
「そこはノマちゃん効果でなんとかね。見ればわかるでしょ?あの子、プロレスやるために生まれてきたんじゃないかってくらい才能ある子だから」
練習の時の技——メテオライトを思い出す。
空を飛んだ一瞬が、今もハッキリと浮かぶ。あの身体能力は、もはや人間じゃないとすら思える。
「見た目の華やかさもだけど、何より楽しそうにプロレスするのよね。だからかしら。ノマちゃんって、お客さんの心をすぐ掴むのよね」
「……なんとなく、想像はつきます」
あの時、掴まれたような気がしたから。そう言えないまま、凌は同意する。
「でしょ?だから今は名実ともに、彼がオルトの顔なの。海外に行ったり、他団体にスポットで出てた時期もあるから、知名度もダントツなのよね。SNSなんか、ノマちゃんの名前入れたらファンの女の子だらけよぉ」
そうだろうなと、思わず頷く。
芸能人並みの顔に、彫刻のような身体。飛び抜けた華と技術に、懐っこい笑顔。あれでファンが出来ないほうがおかしい。
「ノマちゃん目当ての子は、グッズを結構買ってくれるのよ。それがウチの頼みの綱なんだけど、グッズ数は少ないし、かといって新しいのもなかなか出せてないから、そこが難しいところね」
ため息をついたロヴィーナが、ハッと顔を上げる。
「話が逸れちゃったわね。そういうワケでウチは崖っぷちだから、新しい風が欲しいのよ。オルトの魅力っていうのかしら。売りになるものを見つけて、前面に押し出して欲しいの」
「それを俺に、ですか?」
「そ。凌ちゃんに」
ロヴィーナがテレビの電源をつける。テレビ横のラックからDVDを手に取り、プレーヤーに差し込むと、リモコンの再生ボタンを押す。
「知識は一旦置いといて、なんとなくでもいいから試合を観てくれるかしら。そのうちレスラーとしての技量もだけど、みんなの個性まで見えてくるから、そういうところに注目してみてね」
小さな貸しホールが映る。客は半数もいない。長年のファンらしき年配男性がちらほらと席を埋める中、前列は若い女性で埋まっている。その手にはハート型の団扇やボードがあり、「貴翔」と書かれている。
「……入野間さん、アイドルみたいな扱いですね」
「ウチはサイン会もチェキ会もやってるから、ほとんどアイドルよ。ノマちゃん女子は熱いわよぉ」
試合が始まる。
第一試合はエル・エランテ対瀬名匠。新人の匠に合わせた基本の組み合いや技が中心で、派手さはない。まだ覚束ない匠に、エランテが胸を貸しているような試合だった。
「タクはまず、基本だけで試合を作れるようになるのが課題ね。技術はまだまだだけど、ようやく気迫を出せるようになってきたってとこかしら」
エランテが技を受けつつも、最後は逆エビ固めで勝利。匠のがむしゃらさと、エランテの余裕が目立つ試合だった。
第二試合はトム・バーソン対ロヴィーナ。190センチ超え同士のぶつかり合いは、それだけで迫力があった。
ヒールであるロヴィーナがトムを煽り、反則を交えながら技を繰り出す。ブーイングと共にトムへの声援が上がり、客の熱が上がる。やがてトムの決め技が決まり、勝負はトムの勝利で終わる。
「なんだかヒーローショーみたいですね」
「ふふっ、そうね。アタシは大人も子どもも楽しめるヒーローショーを目指してるから」
失言かと思ったが、ロヴィーナは誇らしげに胸を張る。画面に映る憎らしげな悪辣ぶりと隣のロヴィーナは、まるで別人のようだった。
そして、メインの第三試合。入野間貴翔対高橋修司。ここで、会場の空気は明らかに変わる。
期待感の膨れたざわめきの中、アナウンスがカードを読み上げる。その瞬間、一番の拍手が起こり、同時に入場曲のイントロが大音量で流れる。
一音目から疾走するギターリフ。アップテンポな入りひとつで、前列の女子たちが加熱する。
駆け上がるようなロックのメロディと、ダンサンブルなリズムに、凌の期待と高揚感が膨らむ。
入野間さんだ。
初めて聴いたはずなのに、曲を聴いただけでわかった。
黒カーテンを引いただけの入場口から現れたシルエットは、スポットライトなんてないのに、どこか輝いて見える。
貴翔が、花道ともいえないような狭い通路を駆ける。客から伸ばされた手にハイタッチをして笑顔を交わすと、客の笑顔は弾け、貴翔に釘付けになる。
ロヴィさんが言った「大人も子どもも楽しめるヒーローショー」の、ヒーローだ。
映った貴翔の逞しい背中に、凌はそう思う。
リングの手前で立ち止まる。ゆっくりと顔を上げ、ワンステップでひらりとリングに登ったかと思うと、掴んだロープをバネにもう一度高く飛ぶ。
軽々とトップロープを超える、派手なリングイン。瞬間、きゃあ!と黄色い声が上がる。
「181センチ88キロ。入野間〜!貴翔〜〜!!」
歓声の中、貴翔はマイペースに足や首のストレッチをしている。高らかなコールを受けても、大げさなアピールはしない。コール終わりに高く右腕を上げ、人差し指を掲げただけだった。
けれど、その存在感は圧倒的だった。後から入ってきた修司が大人しい入場だったせいか、自然と大きな差を感じてしまう。
試合も、まさに貴翔の独壇場だった。
互いに技を出し合い、受けあっているのに、貴翔にばかり意識がいく。攻めも受けも、キレのある動きひとつひとつが目を引く。特に攻め手の時は生き生きとしていて、闘う顔は楽しさを噛み締めていた。
削りあい、ぶつかり合ったその先で、貴翔が高く跳ぶ。メテオライトが決まり、マットに沈んだ修司を抑えると、カウントが入る。
『ワン、ツー、スリー!』
レフェリーと客のカウントが重なり、勝利のゴングが鳴る。その日一番の歓声が上がり、貴翔がレフェリーに腕を挙げられる。
締めのマイクは、ファンへの感謝だ。その多幸感で試合は幕を閉じ、映像は途切れた。
「どう?ウチのプロレス」
余韻を引きずっていた凌が、ハッと我に返る。
「思ってたより、ちゃんとしてました」
「ノマちゃん、目立ってたでしょ」
「……そうですね。ロヴィさんがエースって言ってた意味がわかりました」
どこか一線を引いた、固い評価。それでもロヴィーナは、嬉しそうに微笑む。
「じゃあ、オルトの良いところをもっと知ってもらおうかしら」
ロヴィーナが何枚ものDVDを用意する。時間を遡るように、過去の試合は続く。
気づけば三時間。凌はロヴィーナの説明を受けながら、時折ノートに感想やメモを書き、オルトのプロレスに見入っていた。
その途中で、ロヴィーナがふと席を立つ。
「アタシ、お昼の用意してくるわね」
一人になっても、凌は視聴を続けた。またひとつ観終わり、次のロムを再生すると、それはオルト初期の古い記録だった。
オルトスピリットチャンピオンシップ・神谷政宗対ロヴィーナ。
向かい合う二人に、凌の古い傷が開く。
——脳裏に浮かんだのは、遠い昔、最後に父の試合を見た時の記憶だった。




