第25試合 オルト旗揚げ記念日・継承 第一試合〜メイン前
照明が一段と明るさを増した。淡いブルーのマットとリングが輝き、音量を上げたオルトのテーマ曲が徐々に絞られていく。
——音と光の波が引く。
ピンスポットが落ちたリング中央で、レフェリー兼リングアナが、マイクを口元に寄せる。
「これより、プロレスリング・オルト旗揚げ記念興行、『継承』を行います!」
盛大な拍手が鳴る。ライブハウス特有の低い天井と近い距離に、行き場のない熱気が膨れ上がる。
ダン、ダダン!
瞬間、匠の入場曲の一音が鳴る。
ドラムの重低音が腹に響き、刻むビートに乗って、ギターとポップな電子音が跳ねる。
客席から歓声が上がる。入場ゲートにライトが差し、匠が飛び出す。
「168センチ75キロ。瀬名ーー!匠ーー!!」
リングの中央で匠が吠え、威勢良く両拳を掲げる。けれど視線は満員の客席を泳ぎ、ぎこちなく下げた手は微かに震えていた。
対して修司は、いつもと変わらぬ様子で入場する。動じていないのか、表情に出ないのか。ゆったりとロープをくぐると、コールを受けながらバンテージを確かめる。
第一試合、瀬名匠対高橋修司のゴングが鳴る。
試合は、今回も基本的な技の応酬だ。けれどエランテとの試合より、明らかに匠の技の威力が増して見える。
——受けの差だ。凌の視線が、ショルダータックルを受けた修司に向く。
倒れる勢い、マットを叩く音、身体の跳ね方。修司の受け身は、オルトの誰より派手で反応がいい。匠の一撃が、実際以上に重く見える。
試合は、修司がハーフ・ボストンクラブでタップアウト勝ち。負けた匠はマットを叩き、悔しさを露わにした。
勝利はまだ遠いが、それでも興行毎に進歩が見える。客もそれを知ってか、拍手と共に匠へ声援を送る。そのあたたかさに匠は立ち上がり、深い礼を残して退場していった。
第二試合、エル・エランテ対トム・バーソン。この二人の試合は、ひたすら空気を明るくした。
陽気なラテンのクラブミュージックで現れたエランテと、三味線とエレキの和洋折衷ロックで現れたトム。そのノリの良いサウンドに、客の体が自然に揺れる。
満員の客入りのせいか、エランテのテンションは高い。普段はロープをくぐるだけのリングインが、この日は両手でトップロープを掴み、高く跳ねた。
百八十度開脚をしながらのトップロープ越え。ふわりとマットへ降り立つ軽い身のこなしに、会場が沸き立つ。
対角線に立つトムもまた、声援の多さに終始ご機嫌だった。登場とともにガウンを捲り上げ、太い腕を見せつける。胸をドンドンと叩き、いつも以上の笑顔でファンと触れ合う。
そんな二人の明るさに、観客の期待と笑顔は深まっていく。
ゴングが鳴る。直後に、エランテが素早く動いた。
メキシコプロレス特有のジャベ——複合関節技で、トムの複数の関節を同時に絡め取る。かと思えば、ブレイク後はトムの広い胸板を蹴り上げ、サマーソルトキックを決める。
エランテの戦いは、ひたすら奔放だった。関節を極めたかと思えば蹴り飛ばし、蹴り飛ばしたかと思えば宙を舞う。
トムはそんなエランテのトリッキーな動きに、翻弄され続けていた。けれど要所要所で重たい一撃を返し、均衡を取り戻す。
エランテの打撃のコンボに対し、たったひとつのラリアットで打ち倒す。倒れたところにすかさずトムが飛び、巨岩のような身体をドスン!と浴びせる。
足音も立てない軽やかなエランテと、一歩でマットを揺るがすトム。猫と熊がじゃれ合っているかのような試合に、観客は笑いをこぼす。
メキシコとアメリカ。剛と柔。
二人の試合から伝わる楽しさの奥にあるのは、オルトのプロレスの多様性だ。それがオルトのひとつの魅力なのだと、凌は密かに誇り微笑む。
試合はトムのフィニッシュ技、GO-E-MONが決まり、トムの勝利で幕を閉じた。
そして、第三試合がすぐに始まる。
ロヴィーナ対千田敦士。
スポット参戦としてマッチングした千田は、オルトに昔在籍していたレスラーだ。政宗復帰のニュースを聞きつけ、協力したいと申し出てくれたことで実現した。
凌はこの二人のカードを、「裏切り者への制裁マッチ」という体裁で組んだ。
——オルトを捨てた千田に、今もオルトに立ち続けるロヴィーナが、怒りをぶつける。
過去の歴史を因縁とした試合は、昔からのオルトファンに深く刺さる。それこそが旗揚げ記念に必要だと語ると、ロヴィーナと千田は快諾してくれた。
「そのストーリーは、アタシの気持ちが乗りそうだわ」
そう笑ったロヴィーナは、登場からすでに殺気立っていた。
入場曲のピアノロックが、激しく荒れ狂う。優雅で、けれどダークなメロディが響く中、ゲートから現れたロヴィーナに空気が冷える。
長い前髪の隙間から、ロヴィーナの鋭い眼光がちらつく。かつての仲間を見る目には、一片の情もない。リングに居るのは裏切り者だと、張り詰めた肩が叫んでいる。
余裕めいた振る舞いはない。リングの外の優しさも、リングの上の女王めいた仕草もない。
——まるで、殺したいほど憎んでいるようだ。
凌の背筋がゾクリと震える。客席もまた、第二試合までの笑顔が凍りついている。
ひりつく空気の中、コールは響く。
「190センチ110キロ。ロヴィーナァ〜!」
ロープをくぐり、先にリングに上がっていた千田の前に立つ。そして試合開始のゴングを待たずに、振りかぶった手のひらで千田の頬を張る。
バチィッ!!
その容赦のない平手に、観客がびくつく。まともに食らった千田はよろめきながらも、火がついた表情でロヴィーナの胸を突き飛ばす。
そこからはもう、ただのケンカだった。
激しいエルボーと逆水平の応酬。みるみる腫れ上がっていく二人の胸。千田のブランクを感じさせないよう、ロヴィーナは真っ向から殴り合う。
手四つから腕を捻り合うような、プロレスらしい攻防はない。掴み合い、張り合い、投げつける。ただそれだけなのに、感情を乗せた表情と攻撃に、客は息を飲む。
怒りと怒りのぶつかり合いは、ロヴィーナが制した。断罪のフィアンマ・ダモーレに沈んだ千田は、マットに倒れたまま、勝者であるロヴィーナを見上げる。
「十三分四十五秒。フィアンマ・ダモーレにより、勝者!ロヴィーナァ〜〜!!」
勝ち名乗りを受けたロヴィーナが、千田のそばに膝をつく。一言、二言。歓声に掻き消された会話は、内容までは聞こえない。けれど千田の顔が僅かに歪み、ロヴィーナの表情から殺気が解けていく。
千田がよろめきながらも立ち上がり、深く頭を下げる。そして去っていく後ろ姿を、ロヴィーナは見送る。
普段はおとなしい古参ファンが、一際大きな拍手を送った。巻き起こるロヴィーナコールの中、当の本人は無言でリングを後にする。
ロヴィーナは振り返らない。ただ静かに花道を歩き、そのままゲートに姿を消した。
訪れた間に、騒めいた客席が息をつく。けれど凌はひとり、震える手でぐっと胸を掴んだ。
——ついに、メインが来る。入野間さんと父さんが、リングで闘う。
鼓動が膨れ上がる。破裂しそうな胸の痛みを抑え、カラカラに乾いた喉に水を流し込む。
開かれたノートには、貴翔と政宗の試合が綴られている。オルトの未来を思い描き、何度も練り直した渾身のストーリーを、汗ばむ指でなぞる。
次の一戦で、オルトの今後が決まる。
大歓声で幕を引くのか、それとも、冷めた空気で終わるのか。
考えれば考えるほど、不安は尽きない。それでも凌はノートを閉じ、覚悟を決める。
——ここから先は、レスラーの領域。入野間さんと父さんを、信じて見守るだけだ。
オルトの未来を描いた物語は、もう凌の手を離れた。この結末を決めるのは、ノートに書かれたシナリオじゃない。
リングの上の、レスラーの闘い。
それが、オルトのプロレスの全てだ。
深く息を吐く。
次の瞬間、会場の照明が落ちた。
客席がどよめく。
——メインイベントが、今、始まる。




