第24試合 オルト旗揚げ記念日・継承 試合前
ついにその日はやってきた。
プロレスリング・オルトの旗揚げ記念日。『継承』と掲げられた特別興行は、開場前から大盛況だった。
ギリギリまで前売りは動き、チケットは二百三十枚まで伸びた。残りは二十枚となったが、開場前にすでに、当日券を求める客の姿もある。
ライブハウスの前には、開場を待つ客が集まっている。凌は搬入口を出入りしながら、見たことのない長い列を横目にする。
一際目につくのは、やはり貴翔のファンだ。貴翔の呼び掛けが効いたのか、グッズを身につけた女性はいつも以上に数が多く、気合が入っている。
次いで多いのは、往年のオルトファンだ。いつも見る顔はもちろん、今日は見慣れない中年男性も多い。中には政宗の昔のグッズを身につけた客の姿もあり、かつての政宗ファンが、復帰を聞きつけてやってきたことが一目で分かる。
自分が発案した限定カードセットを手に、凌は会場内へ戻る。売店にはすでに新グッズがずらりと並んでいて、ファンがやってくるのを今かと待っている。
「外の様子、どうだった?」
陳列していたロヴィーナに聞かれ、凌はカードセットを台に置く。
「すごい人でした。当日券の列も出来てたので、もしかしたら残りのチケットも捌けるかもしれません」
「あら。なら立ち見席も考えた方がいいわね。アタシ、ちょっと会場係と相談してくるわ」
早めの判断をして、ロヴィーナはバタバタと走っていく。入れ替わりでやってきたトムはパイプ椅子とネームプレートを手に、不思議そうにロヴィーナを見送る。
「ロヴィは急いでどうしたんでい?」
「席が完売するかもしれないんで、立ち見席の準備をするそうです」
「おお!めでてぇ話だねぇ!そいつぁサイン会も盛り上がるってもんでい!」
トムがパイプ椅子を組み立て、サイン会用の長机に配置する。そして貴翔と政宗のネームプレートを並べると、凌はそこに書かれた「神谷政宗」の文字に眉をひそめた。
「今日のお客さん、父さんを見に来た人もいるんでしょうけど……引退した父さんのサインなんて、ほしい人いるんでしょうか」
ぽつりとこぼせば、トムは凌を振り返り、にこーっと満面の笑みを返す。
「ファンなら欲しがるってもんでい!けどな、きっとサインが欲しいだけじゃねぇんだ。ファンはオイラたちに直接、『応援してます』って伝えてぇんだ」
「……伝えたい、ですか」
古いグッズを身につけたファンが思い浮かぶ。あの人たちは父さんの何を見に来たのだろうと、凌は考える。
勝つ姿か。もう一度リングに立つ姿か。それともただ一言、伝えたい何かがあるのか。
「トムさんは、ファンから力をもらってるんですね」
「おうよ!オイラだけじゃねぇ。レスラーはみんな、ファンの声をもらってリングに立ってるんでぃ!」
トムの屈託ない明るさにつられ、凌の心が晴れだす。瞬間、スマートフォンのアラームがピピッと鳴り、凌は入口を振り返る。
「時間です。開場しましょうか」
「おう!張り切ってお迎えでい!リョウ、スマイルスマイル!」
「はい。頑張りましょう!」
会場の扉を開けると、たくさんの賑やかな声が飛び込んでくる。凌はすぐに売店に移動し、やってくる人波を待つ。
チケットを提示したファンの多くが、売店に流れてくる。今日は一段と、物販目当てが多いようだ。
「本日限定グッズありまーす!」
「列の最後尾はこちらになります!」
「サイン会はこの後、三十分からスタートでーす!」
スタッフが列を整理する中、凌はあくせくと慣れない接客をしていた。
限定グッズ効果なのか、はたまたサイン会特典が付くせいか、瞬く間にグッズが売れていく。特に比較的安価な限定カードパックは思った以上に動き、次々と捌けていく。
「ありがとうございます。三百円のお返しです」
——たくさんの人がいる。
俺たちが作ったものを、手に取ってくれている。
釣り銭と品を手渡すたびに、実感を受け取る。じわじわと胸が熱くなり、硬かった表情は笑顔に変わっていく。
列はなかなか途切れない。そうこうしているうちに、ホールにワッと歓声が響いた。見れば貴翔と政宗が、サイン会用の長机に着席するところだった。
「みんな、いらっしゃい!今日は俺たち、すげぇ試合するから!楽しんでって!」
大声で手を振り、貴翔がホールの客を歓迎する。政宗もその横で、照れくさそうに手を挙げる。それを合図に、サイン会はスタートした。
貴翔の前には、いつも通り女性ファンが並ぶ。そして政宗の前には、年季の入った男性ファンが並んだ。
「おっ、懐かしいTシャツ着てんな。何年前のだよ、物持ちいいなぁ」
「ファン歴二十年?すげぇな。そりゃあお互い歳も取るよな」
サインを書きながら、政宗はファンの顔を見て、ひとりひとりと言葉を交わす。中年男性たちはみんな、少年のような笑顔でサインをもらい、握手をする。
その光景を、凌は不思議な気持ちで見つめていた。
——思えば、自分にとって父さんは、ずっと父でしかなかったのかもしれない。
自分だけのヒーローで、誰かのヒーローだなんて、思っていなかったのかもしれない。
凌の目に、知らない父が映る。
かつて異端のカリスマと呼ばれたレスラーが、今ここで、ファンとあたたかく触れ合っている。
「政宗さんが勝つとこ、また見たいです!」
「試合楽しみにしてます!」
「若い奴に政宗さんの怖いところ、見せてやってください!」
この人たちは、父さんの闘う姿に勇気づけられてきたのだろうか。
——自分が、貴翔のプロレスに心を打たれたように。
「あの、お会計してほしいんですけど」
会計を待つ客の声に、ハッと意識を戻す。「すみません」と頭を下げ、凌はまた慌ただしく接客を始める。
売店もサイン会も、試合開始直前まで大盛況だった。用意していた新作グッズは一部売り切れも出て、釣り銭箱には見たことのない金額が納められていた。
あまりの景気の良さに、思わず頬が緩む。けれどこれだけで興行は終わらない。むしろ、本番はこの後の試合だ。
凌は売店を任せ、客席後方の音響卓に場所を移す。音響スタッフが準備をする横に席を取り、定点カメラの赤ランプを確認する。
結局チケットは完売し、立ち見も二十ほど入った。総観客数、二百七十人。大帝国に比べればわずかだが、それでも大きな進歩だと凌は思う。
満員の観客越しに見えるリングは、いつもと同じはずなのに、なぜか大きく見える。人の密度に熱気はあふれ、酸素さえも薄く感じる。
——こんな光景が、ずっと続いたら。
もっと大きな場所で、いっぱいのお客さんの前で、オルトの試合ができたら。
描いた夢に胸が鳴る。けれど同時に、容易な道ではないだろうと思い直す。
今回の満員は、旗揚げ記念という特別な日と、政宗の限定復帰の効果が大きい。恒常的な集客に結びつくかは、この後の試合でどれだけ心を掴めるかにかかっている。
——次に繋がるためのコンセプトはちゃんと書いた。あとは、リングの上のみんなを信じるだけだ。
机に置いたノートをそっと開く。小刻みに震える指で、ぎゅっとペンを握りしめる。
——大丈夫。俺の想いも、みんなの想いも、きっと伝わる。
楽しもうと言った、貴翔の笑顔が浮かぶ。この試合が終わった時、とびきりの笑顔でリングに立ち、オルトの頂点を継ぐと宣言する勇姿を想像する。
新しいオルトはここから始まる。
俺が描いた物語を、未来に繋げてみせる。
祈りに似た決意が、心で叫ぶ。
——オルトは終わらない。
カウントスリーは、決めさせないと。




