第23試合 幕が上がる前に
それからのオルトは、今までにないほど慌しかった。
まずはポスターやフライヤーの発注。コンセプトやキャッチコピーを全面に出し、政宗と貴翔を中心に赤でまとめたデザインは、過去のものよりもダントツで目立つ見栄えだった。
納入されてからは全員で営業回りをし、掲示をお願いしに行った。昔から協力してくれている商店街や飲食店に顔を出せば、「政宗さんの息子さんかい」と声をかけられ、そのたびに凌はぎこちなく頭を下げた。
「今度の興行、よろしくお願いします」
不慣れな笑顔に、匠とエランテは笑いを堪えていた。そんな無言の茶々はあったものの、相手には真面目な孝行息子と受け取られ、凌はほっと胸を撫で下ろした。
そんな中、政宗は再び道場に通うようになった。一日限りの復帰を目指し、再び一緒に練習を始めると、自然と全員の熱量が上がっていく。
密かに身体作りを続けていたらしく、上半身はかなりキープされている。けれど、怪我を抱えた下半身は別だ。細くなった右脚は思うように動かず、痛み止めをもってしても、万全に動くことはない。
どれだけ隠そうとしても、苦痛の表情は目に入る。それでも気丈に笑い飛ばす政宗に、誰も心配を口にすることはなかった。
今日も道場では、大きな声とマットの音が響いている。凌は事務机からその光景を眺め、自分もまた、出来る限りのことをしようと考えた。
会場は、いつものキャパ二百の貸しホールではなく、二百五十のライブハウスにした。
いつものホールより、五十席も多い。外からはたった五十と思われるだろうが、今のオルトにとっては、その五十ですら大きな賭けだった。
カードに魅力はあるはず。
なら、もっとみんなに知ってもらわなきゃいけない。
そう考えた凌は、開催決定と共に、公式SNSアカウントでの告知を済ませた。
選手全員に拡散を頼むと、人伝に告知は広がっていく。中でも貴翔の「俺の特別な試合、みんなに観に来てほしい」という引用投稿は、いつもより反応が大きかった。
そして、その拡散がスポーツメディアの目に入り、取材の申し込みもあった。
大帝国プロレスのかつてのカリスマであり、オルトのエースだった神谷政宗が、一夜限りの復帰をする。
そのニュースは決して大きな取り扱いではなかったが、それでも掲載後、オルトへの問い合わせやチケットの売れ行きはぐんと伸びた。
おかげで、前売りの初動はいつになく順調だ。チケット販売から三日で百五十枚が動いていて、早くも通常興行の動員を超えている。
だが、二百五十の客席を埋めるにはまだ足りない。順調だと喜ぶにはまだ早い。
それでも凌は、届けば人は動くのだと初めて実感し、同時にやり甲斐も感じた。
そして宣伝活動の傍で、グッズの制作も忘れてはいなかった。
神谷政宗の一日限りの復活。旗揚げ記念かつ継承戦という特別な興行に向け、貴翔と政宗の限定グッズを中心に新作を発注した。
タオル、ポスター、ステッカー、ポートレート。
そこに加えて、凌は新ラインナップとして、チケット風の記念カードと選手ブロマイドをセットにした、限定カードパックも用意した。
記念、限定というワードに弱い客はいる。少なくとも自分なら、そうしたグッズを何かひとつは欲しくなる。
そう考え、凌は低コストで手に取りやすいグッズ案を練った。
届いた品は、シンプルながらも特別感がある。凌は売店に並ぶ光景を想像し、不安と同時に膨らむ期待を信じた。
やりはじめてみれば、興行を成功させるためにやれることはたくさんある。凌はオルトのやり方を踏襲しつつも、まだ何かできるはずと毎日考えた。
けれど時間は有限で、日々はあっという間に過ぎていく。
気づけば、旗揚げ記念興行『継承』まであと二日。最終確認に追われる段階は、一層忙しさを増していた。
前売りは、ここにきて二百枚を超えている。ここ数年のオルトを考えると快挙だが、まだ満員には届いていない。
残り一日と、当日券でどこまで伸びるか。興行が近づくにつれ、凌は公式アカウントの再告知をしながら、気を揉み続けている。
一方で、政宗のコンディションもまだ、不安は残っている。
走る動作や踏み込みは痛みが強いのか、動きがぎこちない。それでも政宗は、レスラーとしての自分を日々、着実に思い出しているようだった。
鋭さを増す目と、キレと張りを取り戻していく身体。決して折れることのなかったオルトの王者が、徐々に蘇っていく。その目覚ましい経過は、周囲に無言の信頼を生んだ。
継承戦は成功する。貴翔やロヴィーナをはじめ、レスラーはみんなそう信じて疑わなかった。
けれど凌だけは、政宗の隠しきれない苦痛の顔を、どうしても見逃せなかった。
もうすぐ、新しいオルトへの一歩が始まる。
売れ行きへの不安は落ち着いた。けれど凌は、今度は期待に応えられるのかが心配になる。
怖さは、ずっと無くならない。
政宗の脚はもつのか。
貴翔へ託すという試合の意味は、観客に伝わるのか。
——ファンの中に、何かを残せるのか。
考えれば考えるほど、胃が痛くなる。これが興行の責任なのかと思うと、ずっと団体を背負っていた政宗とロヴィーナの苦心が少しだけわかった気がした。
責任の大きさに、逃げてしまいたいと思うこともあった。けれどそんな時、凌のそばには必ず貴翔がいた。
「また数字とにらめっこしてんの?」
「眉間、めっちゃシワ寄ってるよ」
日に日に曇る凌にいつも寄り添い、不安を吹き飛ばすような笑顔で、貴翔は言う。
「絶対いい試合にするから。凌も楽しもうな」
——その一言で、凌はもう、ノートを閉じることはなかった。




