第14試合 Re:search
「え?道場に残りたい?」
試合後、道場に戻った午後四時。解散を告げ、みんなが帰宅した直後に、凌は自らそう申し出た。
「はい。今日のうちにちゃんと振り返って、もう一度勉強しておきたいんです。そのためにも、今日の試合や過去の試合を見直したくて」
「それはいいけど……凌ちゃんって本当に真面目ね」
吐息に感心と呆れが混ざる。ロヴィーナはカバンのポケットを探り、鍵を手渡す。
「勉強熱心なのはいいけど、遅くなる前にちゃんと帰りなさいよ」
「そうします」
手のひらに落ちた、シンプルな銀の鍵を握りしめる。託された鍵は軽いはずなのに、やけに重く感じる。
「じゃあアタシは先に帰るわね。また明日」
「はい。お疲れ様でした」
バタンと扉が閉まり、道場が静まりかえる。凌はそれを見届けると、早々に休憩所へと足を運び、ビデオカメラをテレビに繋ぐ。
ノートを広げ、新しいページを開く。
空白を前に、静かに目を閉じる。
「……ファンの熱を生み出すもの。それを、ちゃんと見つける」
ペンを額に当て、宣誓する。
覚悟を決めて再生ボタンを押せば、今日の試合がまた始まる。
——————
第一試合、エランテVS匠。新人である匠の育成が目的の試合。
基礎的な技で構成された試合に、目立つ要素はない。けれど拍手はあたたかく、中盤から終盤にかけて声援が起き始める。
「……タクのジャーマン、前の試合より綺麗に入ってる」
匠の攻勢に場が沸く。チョップを受ける瞬間。エルボーを返す瞬間。声は、匠の一挙一動に反応する。
凌は観ていた時の感情を思い出し、ペンを走らせる。
・タクに感情移入?
・過去との比較、上達の発見
・見守る、見届ける感覚→応援したくなる
勝ちたい。トップに立ちたい。
大きな野心を抱き、立ちはだかる壁に立ち向かう若者の姿は、人の心を動かす。そこに成長の兆しが見えたなら、なおさらだ。
——きっとこの歓声は、成長するタクへの『期待』や『感慨』なんだ。
自分の心の声と、テレビから聞こえる誰かの声。そこに満ちる感情を拾い上げ、紐解く。
もたらされる感情は、試合によって違う。
それを予感していると、次の試合は始まる。
第二試合、ロヴィーナVSトム。
この試合はわかりやすい。反則や煽りを繰り返すロヴィーナに、客の嫌悪が向いていく。ざわめきに火がつき、トムへの声援に変わる。その流れを、凌は書き留める。
・ズルいことや悪いこと→善と悪の立ち位置が出来る
・苛立ち、不満、怒りの爆発がブーイングになり、対戦相手への応援になる
・ヒールは、泣いた赤鬼の『青鬼』?
例えてみると、凌の中にしっくりとしたピースが埋まる。
——熱くなるには、ハマるための要素がいる。
共鳴、共感。心を奪う何か。
感情を預けるだけの理由がなければ、人の心は動かない。
そう考えると、ヒールはその存在自体が、感情を引き出すトリガーなのかもしれない。
悪役がいることで、「悪と闘うヒーロー」という構図が生まれるからだ。
「……これ、ロヴィさんが上手いんだな。ヘイトコントロールが凄い」
レフェリーの目を盗んで引っ掻く。倒れた相手を踏みつける。
けれど嫌らしい攻撃がただの小物に見えないのは、ちゃんと正面からぶつかり合う時間もあるからだ。本来の強さに卑怯さも含めて、「ヒールとしての強さ」になっている。
腑に落ちた瞬間、ぶるりと身体が震える。
天啓のような閃きを、乱雑に書き殴る。
・試合には、熱くなるための『ベース』がある
成長物語、ヒーローと悪。盛り上がる試合の中には、観客の熱源になる下地が必ずある。
気がついた瞬間、凌は、初めて自分の役割を知った気がした。
——感情の導線を設計する。
それが試合の土台にあれば、選手や客に「伝わる熱」を作れるのかもしれない。そしてそれこそが、ブッカーにとって、一番の要なのかもしれない。
興奮に息が浅くなる。身体の内側が、知らない熱に焼かれる。
見えていなかったものが突然、目に見えたような気がした。透明に張り巡らされた世界の仕組みに、わずかに触れられた気がした。
——落ち着け。わかった気になるな。今はただ、目の前のことだけを見て考えろ。
昂る気持ちにブレーキをかける。先走って失敗した経験を忘れるな。そう強く言い聞かせ、凌は深呼吸をする。
第三試合が始まる。
まだ苦い記憶の残る、貴翔VS修司。凌は大きく息を吐き、青ざめた記憶と向かい合う。
——今度は、ちゃんと見る。
見開いた目に、二人の攻防が映る。
修司の関節技に捕まる貴翔を前に、凌もまた、絡みつく思考に捕らわれていく。
それでも——必ず、解いてみせる。
自分の失敗は、自分で取り返す。
固めた決意に、凌はまた、強くペンを握るのだった。




