第7話 カミ―アの意地
深い森の闇の中。
木々の影に溶け込むように身を潜めながら、エリーゼ・アーポットは静かに戦況を見極めていた。
その瞳は、獲物を見据える鷹のように鋭い。
そして――。
疾風のごとく駆け抜けるカミーアが、シャルクスから放り投げられた箱を見事に受け取った。
その瞬間。
エリーゼの口元が、わずかに歪んだ。
「……そこね」
小さく呟き、彼女は背負った矢籠へと静かに手を伸ばす。
無数に並ぶ矢の中から、一本を選び取る。
しなやかな指先が矢羽に触れ、弦へとかかる。
弓が、ゆっくりと引き絞られた。
狙いは――人ではない。
もっと上。
満天の星が瞬く、夜空そのものだった。
ピン――。
夜の静寂を震わせるように、弓弦が鳴る。
放たれた矢は闇を裂き、一直線に夜空へと駆け上がった。
まるで意思を持つかのように、黒々とした森の上へ吸い込まれていく。
そして、次の瞬間。
ヒュッ!!
森の奥から、鋭い風切り音が響いた。
ズドンッ!!
一本の矢が、カミーアたちの眼前の地面へ深々と突き刺さる。
その場にいた全員の足が、まるで地面へ縫い止められたかのように止まった。
一瞬で、空気が張り詰める。
カミーアたちは弾かれたように顔を上げ、矢の飛んできた森の奥へ視線を向けた。
カミーア:「くっ……仲間がいたか」
忌々しげに歯を噛みしめ、カミーアが低く唸る。
シャルクス:「そんな……」
シャルクスは、余裕の笑みを浮かべたままのクリストファーを睨みつけた。
怒りで、握りしめた拳が震える。
クリストファー:「警告はしたよ」
軽く肩をすくめ、クリストファーは涼しい顔で言った。
そして――。
ひらりと片手を上げる。
それは、森の闇に潜む仲間への合図だった。
その先。
木々の影の中で、エリーゼは静かに弓を構え直していた。
次の瞬間。
ヒュン――。
ヒュン、ヒュンッ!
立て続けに弓弦が鳴り、矢が夜空へと放たれる。
一本、二本ではない。
次から次へと放たれた矢が、風を切り裂きながら漆黒の空へ吸い込まれていく。
まるで、夜空そのものに溶けていくかのように。
そして――。
カミーア:「!」
ふと、カミーアが違和感に気づき、振り返った。
その瞬間だった。
夜空に消えたはずの無数の矢が、星の光を受けてきらめきながら、一斉に降り注いできた。
矢の雨。
シャルクス:「お前たち、逃げろぉおおおっ!!」
シャルクスは叫び、仲間たちのもとへ駆け寄ろうとする。
だが――。
その行く手に、一つの影が立ちはだかった。
クリストファー:「わりぃな」
月明かりの下、クリストファーがゆっくりと歩み出る。
その口元には、変わらぬ余裕の笑み。
クリストファー:「俺は敵には容赦しねぇたちでね」
シャルクス:「ぐっ……!」
圧倒的な威圧感が、周囲の空気ごと押し潰す。
見えない鎖に縛られたかのように、シャルクスの足は動かなかった。
一歩も。
その間にも、空からは矢が迫ってくる。
カミーア:「ジャン!」
カミーアは叫びながら、手にした箱をジャンへ向かって放り投げた。
ジャン:「うおおおおっ!」
ジャンは雄叫びを上げ、飛びつくように箱を受け取る。
すぐさまブルトスと顔を見合わせる。
次の瞬間、二人は迷わなかった。
ブルトスとジャンは、森の奥へ向かって一目散に駆け出す。
振り返ることもなく。
足を止めることもなく。
その背を見送る余裕すらなく、カミーアは腰の長剣を一気に引き抜いた。
迫り来る矢の雨。
それに真正面から向き合う。
カミーア:「そりゃああああっ!!」
鋭い剣閃が夜気を裂いた。
キィン!
ガキンッ!
振るわれた長剣が空を走り、降り注ぐ矢を次々と弾き落としていく。
火花が散る。
折れた矢が舞う。
それでもカミーアは、一歩も退かなかった。
まるで鋼の壁のように。
彼女は、その場に立ち続けていた。
夜空から降り注いだ矢の嵐――。
そのすべてを、カミーアは剣一本で凌ぎきった。
だが。
その代償は、あまりにも大きかった。
カミーア:「はぁ……はぁ……っ」
荒い息が、夜気にこぼれる。
肩で呼吸をしながら、カミーアの膝がぐらりと揺れた。
今にもその場に崩れ落ちそうなほど、全身から力が抜けている。
カミーア:(……シャル……)
霞む視界の向こうで、彼女は必死に顔を上げた。
そこにいたのは――シャルクスだった。
心配そうに、こちらを見つめている。
カミーア:(どうして……逃げないんだい……?)
だが、次の瞬間。
カミーアは気づいた。
違う。
シャルクスは逃げないのではない。
逃げられないのだ。
見えない何かが、彼の足を地面に縫い止めている。
空気そのものが重く沈み込み、動こうとする意思を押し潰しているようだった。
カミーア:「……こいつのせいか」
カミーアは歯を食いしばり、前方を睨みつける。
そこには――。
ゆっくりと歩み寄ってくる男がいた。
クリストファー。
その身から滲み出る圧倒的な圧力が、森の闇をさらに濃くしている。
クリストファー:「おめぇは逃げねぇんだ」
口元に浮かんでいるのは、冷たい笑み。
その言葉に、カミーアはもう一度だけシャルクスへ視線を向けた。
何もできず、歯を食いしばっているシャルクスの姿が見える。
その悔しげな顔を見た瞬間――。
カミーア:「……逃げないよ……ッ!」
短く、強く言い放った。
次の瞬間。
カミーアは残された力を脚に叩き込み、地面を蹴る。
一気に間合いを詰める。
そして――。
カミーア:「――はああっ!!」
渾身の力を込め、長剣を振り下ろした。
だが。
その刃が届く寸前――。
クリストファー:《風の刃よ、鋼を砕け》
冷たい詠唱が、夜の森に響いた。
ビュオッ!!
突如として巻き起こった暴風が、カミーアの剣に絡みつく。
次の瞬間。
パキンッ!!
鋼の刃が、まるで薄い硝子のように砕け散った。
カミーア:「っ……!?」
信じられない光景に、カミーアの目が見開かれる。
砕けた刃の破片が、月明かりを受けて夜空へ散った。
クリストファー:「残念だったな」
淡々と告げる声。
だが、それで終わりではなかった。
クリストファー:《風よ、吹き飛ばせ》
続けざまに紡がれる呪文。
次の瞬間――。
ゴォォォォッ!!
激しい突風が、カミーアの身体を真正面から叩きつけた。
カミーア:「うわああああっ……!」
身体が宙へ弾き飛ばされる。
踏ん張ることも、受け身を取ることもできない。
そのまま――。
ドンッ!!
背後の大木へ、背中から激突した。
鈍い衝撃が、全身を貫く。
カミーア:「……がっ……!」
血を吐きながら、カミーアはそのまま地面へ崩れ落ちた。
それでも。
クリストファーの瞳には、ほんの欠片の感情も浮かんでいなかった。
ただ冷たく、倒れたカミーアを見下ろしている。
クリストファー:「元カレのために剣を振るうなんて、健気だねぇ?」
侮蔑を含んだ声が、闇の中に落ちる。
その言葉に――。
カミーアの指が、地面を掴んだ。
震える腕で土を押し、ゆっくりと身体を起こす。
カミーア:「……そんなんじゃ……ないって……」
息は乱れている。
視界も揺れている。
立っていることすら、もう限界に近い。
それでも。
カミーア:「……言った……だろ……ッ」
その瞳には、まだ光が残っていた。
折れていない。
屈していない。
まだ、戦う意志が消えていない。
闇に沈む森の中で。
カミーアの瞳だけが、鋭く燃えていた。




