第7話 ガスパー屋敷の二人
ガスパーの屋敷へ忍び込んだシャルクスとクリスは、身を低くしたまま、薄暗い廊下を進んでいた。
壁に掛けられた燭台の火は少なく、長い通路の奥は闇に沈んでいる。
靴音ひとつ立てれば、屋敷中に響き渡りそうな静けさだった。
クリス:「……大丈夫ですか?」
隣を進むシャルクスの顔色を確かめるように、クリスが小声で囁く。
シャルクス:「ああ。これくらいで、なんともねぇよ」
そう答えながら、シャルクスは右腕を軽く押さえた。
先ほど受けた傷が、じくりと疼く。
それでも視線は前へ向けたまま、少しも緩まない。
シャルクス:「あいつらだって、自分たちの因縁と戦ってるんだ」
ぽつりと、声が落ちる。
シャルクス:「……俺だって、負けられねぇ」
クリスは、その横顔を一瞬だけ見つめた。
クリス:「そうですね……」
静かに頷いた、その時だった。
コツ、コツ、コツ。
通路の奥から、規則正しい足音が近づいてきた。
二人は言葉を交わさなかった。
同時に動く。
壁際へ身を寄せ、柱の影へ滑り込む。
闇に溶けるように、息を殺した。
ガチャ、ガチャ……。
鎧の擦れる音が近づいてくる。
衛兵だ。
足音は迷いなく、こちらへ向かっていた。
距離が詰まる。
あと数歩。
腕を伸ばせば、触れられるほどの距離。
シャルクスもクリスも、微動だにしない。
衛兵の影が、目の前を横切った。
ガチャ……。
一歩。
また一歩。
やがて衛兵は、二人のすぐ脇を通り過ぎ、そのまま通路の角を曲がっていった。
コツ、コツ、コツ……。
足音が遠ざかる。
完全に消えたあとも、二人はしばらく動かなかった。
沈黙。
それからようやく、シャルクスとクリスは柱の影から姿を現す。
互いに目を合わせる。
言葉はない。
小さく頷き合うだけで十分だった。
二人は再び身を低くし、屋敷の奥へと進んでいく。
やがて――
シャルクス:「……ここだな」
廊下の突き当たり。
重厚な大扉の前で、シャルクスは足を止めた。
隣に立つクリスも、静かに頷く。
クリス:「ここですね」
二人は一瞬だけ視線を交わした。
次の瞬間。
バタンッ!!
シャルクスが扉を押し開く。
重い扉が壁に当たり、広い室内へ音が反響した。
そこは、驚くほど何もない部屋だった。
家具もない。
飾りもない。
ただ、がらんとした広間だけが広がっている。
そして――
その一番奥。
大きな窓の前に、一人の女が立っていた。
リリィナ。
差し込む陽光が逆光となり、その姿を黒い影のように浮かび上がらせている。
細い輪郭が、床の上へ長く伸びていた。
シャルクスは、一歩踏み出した。
シャルクス:「……お前が元凶か」
押し殺した声が、広間に落ちる。
リリィナの目が、すっと細められた。
リリィナ:「恩知らずの……ラスパルの息子か」
冷えた声だった。
そこには、隠す気のない侮蔑があった。
シャルクス:「恩知らず?」
眉がわずかに動く。
リリィナは鼻で笑った。
リリィナ:「目をかけてやったというのに……我ら一族を裏切りおって」
言葉が終わるより早く、シャルクスの左手に黒い魔力が渦巻いた。
シャルクス:《闇の剣よ》
闇が集まり、刃を成す。
次の瞬間、シャルクスの手には、漆黒の剣が握られていた。
切っ先が、まっすぐリリィナへ向けられる。
シャルクス:「だからガスパーになり代わって、ウチを潰したのか」
静かな声だった。
だが、その奥には燃えるものがある。
シャルクス:「……だったら覚悟しな。お前も仇だ」
リリィナは動じなかった。
むしろ、冷たい笑みを浮かべる。
リリィナ:「無駄なことを」
その瞬間。
彼女の足元の影が、ぐにゃりと歪んだ。
床に落ちていた影が、生き物のように蠢き、広がり、伸びていく。
黒い泥が盛り上がるように形を変え――やがて、一つの人影となった。
メディルだった。
メディル:「あはは……また痛い目に遭いたいのかなあ?」
にたりと笑い、メディルが爪を振り上げる。
鋭い黒爪が、シャルクスへ振り下ろされた。
ギィン!!
甲高い音が弾ける。
メディルの爪は、シャルクスへ届く寸前で止められていた。
クリスの杖によって。
クリス:「同じ手は通じないよ」
静かな声。
次の瞬間、クリスは杖を大きく振り抜いた。
バッ!!
弾かれたメディルの身体が、数歩後ろへ下がる。
メディル:「……小賢しい坊やだね」
憎々しげな視線が、クリスへ向けられた。
クリスは一歩、前へ出る。
シャルクスを庇うように。
そして、メディルをまっすぐ見据えた。
クリス:「あなたのお相手は――僕ですよ」
わずかに口元を引き締める。
クリス:「魔女さん」




