第4話 届かなかった刃
漆黒の刃が、一直線にガスパーへ振り下ろされる。
その瞬間――。
空気が、裂けた。
目に見えない何かに引きちぎられたように、ガスパーの上半身がぐにゃりと歪む。
骨が軋み、肉が盛り上がり、皮膚の下で何かが蠢いた。
シャルクス:「っ……!」
刃が届く、その寸前。
そこに立っていたのは、もはやガスパーではなかった。
身体の半分だけが異形へと変貌した存在。
片側だけが、メディルへと変じた怪物だった。
メディル:「サプラ~イズ」
にたり、と口元が歪む。
落下する漆黒の刃を紙一重でかわしながら、メディルはすっと右手を伸ばした。
白かった指先が、見る間に黒く染まっていく。
硬質な光沢を帯びた爪が、音もなく伸びる。
まるで、闇そのものを削り出した刃だった。
シャルクス:「ぐっ……!」
閃光のような一撃。
鋭い痛みが、右腕を裂いた。
赤い飛沫が宙に散る。
シャルクスは踏ん張りきれず、地面へ片膝をついた。
握りしめた腕が、ぶるりと震える。
カミーア:「シャル!」
叫びが響く。
カミーアが駆け出す。
その隣で、セドウィックもすぐさま杖を構えた。
セドウィック:《癒しの精霊よ……頼む!》
詠唱と同時に、彼の掌から淡い光が溢れ出す。
優しい燐光がシャルクスの傷口へ吸い込まれ、裂けた皮膚を包み込んだ。
ワッツ:「届かなかったな。おめぇの刃」
冷やかすような足取りで、ワッツが歩み寄ってくる。
カミーアはぎり、と奥歯を噛みしめた。
その視線が、鋭くワッツを射抜く。
――そのとき。
ぐにゃり。
耳障りな音が響いた。
骨が逆方向へ折れ曲がるような、不快な軋み。
カミーアは咄嗟に振り返る。
メディルの半身が、再び歪んでいた。
肉が波打つ。
皮膚が溶けるように色を失う。
黒かった髪が、ゆっくりと銀へ染まっていく。
形が、整っていく。
そして――。
そこに立っていたのは、穏やかな微笑を浮かべる銀髪の老婦人だった。
セドウィック:「リリィナ……」
名を呼んだだけで、セドウィックの声は掠れていた。
その瞬間。
空気が、凍りつく。
セドウィックは信じたくないものを前にしたように、唇を震わせた。
セドウィック:「裏で糸を引いていたのは……お前だったのか」
銀髪の老婦人――リリィナは、答えない。
怒りもない。
動揺もない。
愉悦さえない。
ただ、鋭利な刃のような眼差しだけを、静かに返していた。
その沈黙が、かえって背筋を冷やす。
レックス:「むっ」
レックスが小さく唸った。
次の瞬間。
ガシャ、ガシャリ――。
重厚な金属音が、屋敷の奥から響き渡る。
赤い甲冑に身を包んだ衛兵たちが、次々と姿を現した。
規律正しく、隙なく、こちらとの間合いを詰めてくる。
逃げ道を削るように。
円を描くように。
じわじわと、包囲が狭まっていく。
レックス:「囲まれたな」
だが、その声に乱れはなかった。
ただ目の前の状況を、静かに見ている。
リリィナ:「私の望みは――」
凛と澄んだ声が、冷えきった空間に落ちた。
リリィナ:「アルジェリカの末裔を、未来永劫、滅ぼすこと」
ゆっくりと、視線が向けられる。
その先にいるのは、ただ一人。
カミーアだった。
カミーア:「……っ」
背筋を氷の指でなぞられたような感覚が走る。
カミーアは無意識に、一歩後ずさった。
リリィナ:「黄金なんぞ、石ころでも構わぬ」
淡々と、リリィナは言い放つ。
セドウィック:「違うだろう!」
叫びが広間に響いた。
セドウィック:「あんたはただ……独占したいだけなんだ。バルデンのすべてを」
沈黙。
リリィナは、ゆっくりと瞳を閉じた。
長い睫毛が影を落とす。
ほんのわずか。
その指先が、震えた。
ガザッ――。
乾いた音が響く。
誰かが、砂を踏み潰した音だった。
リリィナの瞳が、ゆっくりと開く。
その視線の先。
レックスたちはすでに武器を構え、傷を負ったシャルクスを中心に円陣を組んでいた。
誰一人、背を向けてはいない。
リリィナ:「あなた方に止められますか。この悪しき因縁を」
氷の刃のような声音。
まっすぐに放たれた視線が、レックスを射抜く。
レックス:「俺は宿屋の親父だ」
肩の力を抜いたまま、レックスは剣を握り直した。
レックス:「人を止めるのが、仕事だよ」
口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
包囲は完成していた。
赤い甲冑がずらりと並ぶ。
槍先が、剣先が、こちらへ向けられる。
それでも。
誰も、退かない。
リリィナ:「……始末しなさい、ワッツ」
淡々とした命令だった。
それだけ告げると、リリィナは踵を返す。
裾が静かに揺れ、屋敷の玄関扉へ向かって歩き出した。
振り返らない。
迷いも、未練もない背中だった。
ワッツはその背中を一瞥し、ゆっくりと口の端を吊り上げる。
ワッツ:「やれ、野郎ども」
その声が落ちた瞬間――。
ガシャァァン!!
赤い甲冑の衛兵たちが、一斉に踏み込んだ。
金属がぶつかり合う轟音が、波のように押し寄せる。
床を蹴る音。
槍が閃く。
剣が唸る。
殺到する鉄の奔流。
その先頭へ、レックスが一歩踏み出した。
レックス:「――宿代は、高くつくぞ」
不敵に笑い、剣を振り上げる。
次の瞬間。
広間は、戦場へと変わった。




