第1話 仇敵の道のりは、まだ遠く
幌馬車が屋敷へ辿り着いた頃には、太陽はすでに高く昇っていた。
朝の柔らかな光はとうに消え、石造りの壮麗な建物は、白く眩しいほどに輝いている。
近くで見上げると、それはもはや屋敷というより――小さな城だった。
ワッツ:「止まれ」
短い一言だった。
シャルクスは黙って手綱を引く。
馬は鼻を鳴らしながら速度を落とし、やがて重厚な玄関扉の前で静かに止まった。
二人が御者台から飛び降りた、その瞬間――。
ガシャッ。
金属音が鳴った。
赤い甲冑に身を包んだ衛兵たちが、左右から素早く歩み寄る。
シャルクス:「なっ――」
言い終えるより早く、両手を取られた。
冷たい鉄が手首に嵌められる。
カチリ。
重い感触が、骨まで伝わった。
手錠だった。
シャルクス:「……おい」
睨みつける。
だが衛兵は無言のまま、まるで石像のように表情ひとつ動かさなかった。
ワッツは振り返りもせずに言う。
ワッツ:「そこで待ってろ」
それだけ告げると、衛兵へ小さく目配せし、そのまま堂々と玄関の中へ入っていった。
重厚な扉が閉まる音が、やけに大きく響く。
シャルクス:「…………」
取り残されたシャルクスは、両脇を衛兵に挟まれたまま立ち尽くした。
シャルクス:(ふざけやがって……)
胸の内で毒づく。
だが、顔には出さない。
小さく息を吸い、手の中へ意識を集中させる。
シャルクス:《闇の剣よ》
ごく小さな声で、呪文を紡いだ。
次の瞬間。
手のひらの内側に、わずかな闇が生まれる。
だが――。
パチン。
小さな音を立てて、闇は一瞬で霧散した。
シャルクス:「ちっ」
舌打ちが漏れる。
視線を落とすと、手首に嵌められた鉄輪が、陽光を受けて鈍く光っていた。
シャルクス:(魔法封じの手錠か……)
ただの拘束具ではない。
魔力の流れそのものを断ち切る代物だ。
シャルクス:(さて、どうしたものか)
考えを巡らせた、その時だった。
ギィ……。
重厚な玄関扉が、再び開いた。
衛兵たちが、わずかに姿勢を正す。
扉の向こうからゆっくりと姿を現したのは――ロイドスだった。
整えられた銀髪。
皺一つない服装。
そして、どこまでも作り物めいた優雅な微笑み。
ロイドス:「ごきげんよう、シャルクスさん」
軽やかに一礼し、そのまま真っ直ぐシャルクスの前へ歩み寄る。
シャルクス:「……馴れ馴れしいぞ、ロイドス」
露骨に顔をしかめるシャルクス。
ロイドスは、わざとらしく肩をすくめた。
ロイドス:「おやおや。わざわざガスパー様のために黄金を持参してくださったのですよ? それなりの歓迎は必要でしょう」
にこやかな口調。
だが、その目は少しも笑っていない。
シャルクス:「これのどこが“それなりの歓迎”だ」
シャルクスは両手を持ち上げ、手錠をわざとらしく鳴らした。
ガチャリ。
ロイドス:「まあ……ざまあありませんね」
楽しげに、くすくすと喉を鳴らす。
シャルクスのこめかみが、ぴくりと動いた。
ロイドス:「さて」
ロイドスは両手を揉み合わせる。
ロイドス:「では、黄金を拝見させていただきましょうか」
その視線が、幌馬車の荷台へ向いた。
シャルクス:「待て!」
鋭い声が飛ぶ。
ロイドス:「……なんです?」
振り返ったロイドスの目から、さきほどまでの軽薄さがわずかに削ぎ落ちていた。
シャルクス:「ガスパーが見に来るんじゃないのか」
低く問う。
ロイドスは小首を傾げた。
ロイドス:「何を焦っているのです?」
探るような声だった。
シャルクス:「……別に焦っちゃいねぇよ」
睨み返す。
強がりだと分かっていても、目だけは逸らさなかった。
ロイドスは小さく息をつき、くすりと笑う。
ロイドス:「確認ですよ。あなたがガスパー様に“偽物”を掴ませようとしている可能性もありますからね」
口元に、うっすらと意地の悪い笑みを浮かべる。
シャルクス:「偽物を用意する時間なんてねぇよ。それに……」
言いかけて、シャルクスは歯を噛みしめた。
シャルクス:「……アーポット亭にあった黄金は本物だ」
声が、はっきりと響く。
シャルクス:「メディルが見て知ってるはずだ。お前のお仲間のな」
その名を聞いた瞬間。
ロイドスの瞳が、すっと細くなった。
ロイドス:「……確かに、メディルさんは黄金を見ていましたね」
不快そうに顔をしかめる。
忌々しげに、毒を吐くような声だった。
ロイドス:「――ですが」
次の瞬間、ロイドスの唇がゆっくりと吊り上がる。
消えかけていた意地の悪い笑みが、再び濃く戻った。
ロイドス:「あなたがガスパー様にお会いする必要はありません。衛兵」
短い号令。
次の瞬間、シャルクスの両脇を固めていた二人の衛兵が、がっちりと彼の腕を掴んだ。
鉄のような握力だった。
シャルクス:「てめぇ……!」
シャルクスが歯を剥く。
だがロイドスは、涼しい顔のまま続けた。
ロイドス:「あなたのように、ガスパー様に恨みを抱く人間をお通しするわけにはいきません。――連れて行きなさい」
衛兵たちが、シャルクスを引きずろうとする。
シャルクス:「くそっ!」
身体をひねり、もがく。
だが両腕を完全に押さえ込まれ、びくともしない。
シャルクス:(離れろ……!)
その間にも――ロイドスは悠然と幌馬車へ歩み寄っていく。
ロイドス:「ガスパー様にお見せする前に……まずは私が確認させていただきますよ」
そう言って、荷台へ手を伸ばしかけた。
その時だった。
――ドォンッ!!
凄まじい衝撃音が弾けた。
巨大な剣闘士の剣が、ロイドスの目の前を横切り、幌馬車の荷台へ突き刺さった。
木板が砕け、破片が宙を舞う。
刃は、ロイドスの鼻先をかすめていた。
ロイドス:「ひっ――!!」
情けない悲鳴を上げ、ロイドスはその場に尻もちをつく。
ワッツ:「余計なことをするなよ。ロイドス」
低く、落ち着いた声。
玄関の扉の向こうから、悠然と歩み出てきたのは――ワッツだった。




