第8話 カミーアのために
月明かりが、白く滲んでいた。
森を縫う林道を、幌馬車が駆けていく。
馬蹄の音は夜気に吸われ、車輪の軋みだけが、やけに近くで鳴っていた。
揺れる御者台の上。
手綱を握るシャルクスは、隣に腰掛けた男へ、何度目かの視線を投げた。
ちらり。
また、ちらり。
ワッツ:「……なんだよ」
とうとう耐えかねたように、ワッツが口を曲げた。
月光を浴びた横顔は、妙に落ち着いている。
いつものように荒く笑うでもなく、怒鳴るでもない。
それが、なおさら癪に障った。
シャルクス:「……まさか、お前がガスパーの犬だったとはな」
鼻で笑い、わざとらしく言い捨てる。
だが、ワッツは眉ひとつ動かさなかった。
ワッツ:「逆だ」
低い声だった。
ワッツ:「ガスパーが“俺の犬”なんだよ」
言って、口の端だけを吊り上げる。
シャルクス:「そうかよ」
シャルクスは舌打ちした。
手綱を引きかけ、馬が小さく嘶く。
揺れるランタンの灯りが、二人の影を幌の内側に歪ませた。
ワッツ:「俺はな――バルデンの孫だ」
ぽつり、と。
ワッツが前を向いたまま言った。
ワッツ:「直系の、な」
シャルクス:「……なんだと」
手綱を握る指に、力が入る。
ワッツ:「ま、生まれてこの方、一度も顔を合わせたことはねぇがな」
自嘲するように鼻を鳴らす。
吐いた息が、夜の冷気に白く溶けた。
シャルクス:「じゃあ、お前は……バルデンの一族なのか」
前を向いたまま、横目で様子をうかがう。
月明かりの下、ワッツの顔に濃い影が差していた。
ワッツ:「勘違いすんじゃねぇぞ」
声が低くなる。
ワッツはゆっくりと夜空を見上げた。
枝の隙間から覗く星々が、幌馬車の揺れに合わせて流れていく。
ワッツ:「オメェらのためなんかじゃねぇ」
一拍。
ワッツ:「俺のためだ」
握った拳を、もう片方の手のひらへ打ちつける。
パシン、と乾いた音が鳴った。
ワッツ:「ぶっ潰してぇんだよ。あの、くそったれの因縁をな」
シャルクスは、しばらく黙っていた。
馬車は走り続ける。
月光が枝葉に遮られ、二人の顔を明滅させていく。
やがて、シャルクスは口を開いた。
シャルクス:「……お前、カミーアのことをどう思ってるんだ」
ワッツ:「……」
不意を突かれたのか、ワッツは答えなかった。
月明かりの下、わずかに目を細める。
沈黙が、車輪の音に紛れて流れていく。
ワッツ:「カミーア、か」
噛みしめるような声だった。
ワッツ:「分かってんだろ。俺はあいつの仇敵でしかねぇよ」
突き放すように言う。
シャルクスは小さく首を振った。
シャルクス:「それなら――ロッドさんはどうなる」
ワッツの眉が、ぴくりと動く。
シャルクス:「ロッドさんは、お前の仇敵じゃなかったのか」
ワッツ:「……けっ。知ってやがったか」
舌打ち混じりの声。
けれど、それも一瞬だけだった。
シャルクス:「ああ。ロッドさんから聞いた」
シャルクスは前を向いたまま、静かに続けた。
シャルクス:「ロッドさんが――お前の親父を殺したってな」
その瞬間。
幌馬車の軋みだけが、やけに大きく響いた。
二人はゆっくりと顔を向け合う。
視線がぶつかった。
シャルクス:「ロッドさんは、最後まで不思議がってたよ」
ワッツ:「……ああ? 何をだ」
低く唸る声。
次の瞬間、ワッツがぐっと顔を寄せてきた。
獣の威嚇のような眼光だった。
シャルクス:「なんでお前が仇討ちに来ねぇのか、ってな」
シャルクスも引かなかった。
手綱を片手で握ったまま、真正面から睨み返す。
シャルクス:「寝首をかこうと思えば、いつでもできる場所にいたってのによ」
二人の間で、見えない火花が散った。
ワッツ:「……俺の親父は“負け犬”だった」
吐き捨てるような声だった。
ワッツ:「負け犬の仇なんざ、討ちたくもねぇんだよ」
さらに顔が近づく。
額が触れそうな距離。
シャルクス:「違ぇな」
静かな声だった。
だが、そこには揺るがないものがあった。
シャルクス:「憎みきれなかったんだよ。ロッドさんを」
ワッツの瞳が、わずかに揺れた。
シャルクス:「お前、ロッドさんのことが好きだったんだろ」
一拍。
シャルクス:「親父よりも、よ」
ワッツ:「……んなわけ――」
否定しかけた言葉が、途中で止まる。
夜風が、御者台の隙間を吹き抜けた。
シャルクス:「カミーアも、同じじゃねぇのか」
ワッツは黙った。
握りしめた拳が、膝の上で震える。
やがて、ほんの少しだけ身を引いた。
月明かりが、二人の間に細い線を落とす。
シャルクス:「似てるんだよ。お前とカミーアは」
そう言うと、今度はシャルクスの方が視線を外した。
シャルクス:「……だから、俺はお前らの間には入っていけなかった」
ワッツは答えない。
ただ、夜空を仰いだ。
しばらくして、低い声が落ちる。
ワッツ:「俺は、逃げてただけだ」
シャルクスは手綱を操りながら、耳だけを傾ける。
ワッツ:「黄金にかけられた因縁からな」
馬車の車輪が、小石を弾いた。
ワッツ:「俺の親父は、カミーアの親父を殺った。だからロッドにやられた」
淡々とした声だった。
ワッツ:「因果応報ってやつだ。黄金の因縁が連れてきた結末さ」
シャルクス:「……」
何も言わない。
今は、それでよかった。
ワッツ:「どこまで逃げてもな――追ってくるぞ。この因縁は」
ワッツは視線を合わせない。
言葉だけが、夜の林道に落ちていく。
ワッツ:「俺たちか、テメェらか」
一拍。
ワッツ:「どっちかが消えねぇ限り、終わらねぇんだよ」
言い切ると、ワッツはそっぽを向いた。
シャルクス:「……そうか」
短く返し、シャルクスは前を見る。
しばらく、二人は何も言わなかった。
馬蹄の音。
車輪の軋み。
森の奥で鳴く夜鳥の声。
それだけが、幌馬車の周りを満たしていた。
やがて。
シャルクス:「残念だな」
ぽつり、と言った。
ワッツ:「あ?」
シャルクス:「またお前と一緒に戦いたかった」
声は静かだった。
飾りも、皮肉もない。
だからこそ、夜気の中にまっすぐ落ちた。
ワッツは一瞬だけ横目でシャルクスを見る。
それから、ふん、と鼻を鳴らした。
ワッツ:「甘ぇんだよ、オメェは」
不貞腐れたような声だった。
シャルクスは何も返さなかった。
ただ、手綱を握り直す。
幌馬車は軋みを響かせながら、月明かりの林道をさらに奥へと進んでいった。




