第12話 生きていた因縁
クリストファー:「確かに、バルデン様の黄金には正式な受取人がおりますが……」
そこで、クリストファーはふいに視線を外した。
天井を仰ぐように小さく息をつき――その口元に、ほんのわずかな笑みが浮かぶ。
クリストファー:「条件次第では――お渡ししても構いませんよ」
ガスパー:「……条件?」
ガスパーの眉が、ぴくりと動いた。
冷え切った視線が、刃のようにクリストファーを射抜く。
ワッツ:「テメェのもんでもねぇだろうがよ……」
すっかり蚊帳の外に置かれていたワッツが、椅子にどかりと腰を落とし、ふて腐れたようにぼやいた。
――が、次の瞬間。
ガスパーとクリストファー。
二人の視線が、同時にワッツへ突き刺さる。
ワッツ:「……」
ワッツは、渋々と口を閉じた。
ガスパー:「――それで? 条件とは何だ」
ガスパーはワイングラスを指先で転がしながら、冷然と問いかける。
クリストファーは、そこで初めてゆっくりと口を開いた。
クリストファー:「あなたが“ファーミスト領”に関するすべての権利を放棄すること」
一拍。
クリストファー:「そして、領内の経済圏を――全商人へ開放することです」
ガスパーの指が、ぴたりと止まった。
揺れていた赤い液体が、グラスの中で静かに波紋を広げる。
ガスパー:「……それが狙いか」
クリストファーは答えない。
ただ、唇の端をわずかに持ち上げるだけだった。
短い沈黙。
ガスパーは一度視線を落とし、グラスの中で揺れるワインを見つめた。
やがて、ふっと顔を上げる。
ガスパー:「……いいだろう。その条件、飲んでやる」
その口元に、妖しい微笑が浮かんだ。
クリストファーの目が細まり、ゆるやかに頷く。
クリストファー:「取引成立――というわけですね」
その声には、すでに勝利を確信した者の余裕が滲んでいた。
ガスパー:「手続きはロイドスに任せる。後日、そちらへ向かわせよう」
クリストファー:「承知しました。では――また後日に」
軽く一礼し、クリストファーは踵を返した。
そのまま扉へ向かいかけ――ふと思い出したように足を止める。
クリストファー:「ああ、そうだ。言い忘れていました」
ガスパー:「……?」
怪訝そうに、ガスパーが眉を寄せる。
クリストファーは振り返った。
その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいる。
だが、その目は笑っていなかった。
クリストファー:「たとえ“黄金”を手に入れたとしても――俺がいなければ、それは使い物になりません」
にこり。
あまりにも静かで、あまりにも不気味な笑みだった。
クリストファー:「そのおつもりで」
ガスパー:「なんだと……?」
ガスパーが声を漏らすより早く、クリストファーは言葉を重ねた。
クリストファー:「欲の張りすぎは身を滅ぼしますよ。マダム」
それを最後に――
クリストファーの姿は、霧がほどけるように掻き消えた。
あとに残ったのは、冷え切った空気。
そして、ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎だけだった。
ガスパーの手の中で、ワイングラスがかすかに震えている。
ワッツ:「……あんたにしちゃ、ずいぶんあっさり引いたな」
爪を歯で軽く弾きながら、ワッツがぽつりと問いかけた。
その声には、わずかな訝しさが滲んでいる。
銀髪の老婦人:「引いたのは、ガスパーです。何か考えがあったのでしょう」
銀髪の老婦人は淡々と答えた。
すました顔のまま、グラスに残っていたワインを一息に飲み干す。
銀髪の老婦人:「黄金は――ラスパルの息子がこちらへ運ぶよう、メディルが仕込んだようですわ」
ワッツ:「……そんなこったろうと思ったぜ」
ワッツは短く応じ、席を立った。
ワッツ:「じゃあ、俺も行くぜ」
背を向け、出入り口の扉へ歩き出す。
その瞬間だった。
銀髪の老婦人:「お待ちなさい」
静かな声が、ワッツの背中に突き刺さった。
銀髪の老婦人:「あなたは道中でラスパルの息子を襲いなさい。始末して、黄金を奪うのです」
視線も向けずに告げられた命令。
ワッツは足を止めた。
そして、苦々しく吐き捨てる。
ワッツ:「黄金は手に入るんだろ。――わざわざ殺る必要ねぇ」
だが、老婦人の瞳に情の色はなかった。
銀髪の老婦人:「アーポットに私の存在を知られたのは、あなたの失態です」
氷のような声だった。
銀髪の老婦人:「……これ以上の失策は、許しません」
ワッツは一瞬、言葉を失った。
喉の奥で唸るように息を吐き、やがて肩をすくめる。
ワッツ:「……わかったよ。だが、仲間内にいた奴が相手だ。ウチの連中は使えねぇぞ」
いかにも不貞腐れた返事だった。
銀髪の老婦人:「ならば、ガスパーの兵隊を使いなさい。領内なら、秘密裏に始末できるはずです」
冷たく言い放ちながら、老婦人はナプキンで口元を拭った。
銀髪の老婦人:「――それと」
そこで、声がわずかに低くなる。
銀髪の老婦人:「アルジェリカの孫のことも、知っているのでしょう?」
沈黙。
ワッツの拳が、ぎゅっと握り締められた。
銀髪の老婦人:「彼女も、始末なさい」
氷の刃のような命令が、部屋の空気を凍らせる。
ワッツ:「……ロッドは始末した。あれで充分だろ」
俯いたまま、ワッツは絞り出すように呟いた。
ワッツ:「――あんた、どこまで満足しねぇつもりだ」
銀髪の老婦人:「私の言葉が聞けませんの?」
淡々とした声音に、容赦はない。
ワッツはしばらく黙っていた。
やがて、口の端を歪める。
ワッツ:「……わかりましたよ、クソババア」
吐き捨てるように言い残し、鋭い視線だけを投げて、ワッツは部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、やけに重く響く。
――静寂。
老婦人はゆっくりと拳を握り、卓上へ押しつけた。
白い指先が、かすかに震えている。
銀髪の老婦人:「アルジェリカ……」
低く漏れた声は、怨嗟のように揺れていた。
銀髪の老婦人:「まだ、私から奪うつもりなのですね」
* * *
王都にある、クリストファー・アーポットの屋敷。
その一室。
床に描かれた魔法陣が、淡い光を放っていた。
その中心で、クリストファーは静かに目を閉じている。
やがて――
ゆっくりと瞳が開かれた。
クリストファー:「……まさか。あいつらの“因縁”の相手が、生きていたとはな」
微かな苦笑を浮かべ、遠い何かを見つめる。
クリストファー:「俺にできるのは、ここまでだ」
魔法陣の光が、音もなく消えていく。
クリストファーは踵を返し、部屋の扉へ向かった。
クリストファー:「後は任せたぞ、レックス」
扉へ手をかける。
そして、最後に小さく呟いた。
クリストファー:「あいつらの因縁――晴らしてやってくれ」
その言葉とともに、扉が閉ざされる。
部屋は再び、暗闇と静寂だけを取り戻した。




