第8話 回想:追いかけた父の背中を
その夜――闘技場は、異様な熱気に包まれていた。
根城に残っていたプラント盗賊団の者たちはもちろん、噂を聞きつけて各地から流れてきた荒くれ者たちまでが、所狭しと集まっている。
酒の匂い。
汗の匂い。
そして、どこからともなく漂う血の匂い。
それらが入り混じり、場内の空気そのものがざわざわと沸き立っていた。
――コツ、コツ、コツ。
喧騒の中に、硬い足音が響く。
重厚なブーツで石畳を踏みしめながら、ロッドは一人、闘技場へ向かって歩いていた。
人々のざわめきに呑まれてもおかしくない足音。
だが、不思議とその音だけは、妙にはっきりと耳に残った。
その時だった。
カミーア:「親父……」
背後から、かすかな声が届いた。
ロッドは足を止める。
ゆっくりと振り返ると、石柱の影から一人の少女が姿を現した。
カミーアだった。
その瞳は、不安げに揺れている。
言いたいことをいくつも抱えたまま、ただ確かめるように、ロッドを見つめていた。
ロッド:「カミーア。どこにいたんだ。探したぞ」
ロッドは向き直り、声をやわらげた。
まるで、少しでも強く触れれば壊れてしまうものを扱うような声だった。
カミーア:「……なんで、決闘なんて受けたんだ?」
唇を噛みしめたまま、カミーアが問いかける。
その声は、わずかに震えていた。
ロッド:「なんでって……お前」
ロッドは一瞬、言葉に詰まった。
ロッド:(てっきり……シャルクスのことを聞きに来たのかと思ったが……)
予想を外され、わずかな戸惑いが胸をよぎる。
カミーア:「もう、決闘なんて勝てる歳じゃないだろ」
必死な顔だった。
止めたい。
どうにかして、この決闘をなかったことにしたい。
そんな思いが、まっすぐに伝わってくる。
ロッドはしばらく娘の顔を見つめ――やがて、ふっと小さく笑った。
ロッド:「これはな、ワッツが他の連中に力を見せつけるための決闘だ」
肩をすくめる。
ロッド:「勝ち負けなんて、最初から関係ないんだよ」
カミーア:「だけど……」
カミーアの声が、頼りなく揺れる。
ロッド:「ワッツだって、そこまで本気は出さないさ。心配するな」
軽い調子でそう言った。
だが、カミーアの表情から不安は消えない。
少しの沈黙のあと、彼女はぽつりと口を開いた。
カミーア:「そもそもさ……なんでワッツを後釜にしたんだよ」
頬をわずかに膨らませ、拗ねたように口をとがらせる。
ロッドは一瞬、目を細めた。
それから、わざと冗談めかして言う。
ロッド:「なんだ? お前、私の後釜になりたかったのか?」
カミーア:「ンなわけないだろ!」
間髪入れずにツッコミが飛んだ。
そのあまりの勢いに、ロッドは思わず吹き出す。
ロッド:「はは……」
久しぶりに見た気がした。
いつもの、気の強い娘の顔。
その表情に、ロッドはほんの少しだけ――胸をなで下ろしていた。
ロッド:「あいつはな……私が憧れていた男に、よく似ているんだ」
ロッドは、静かに語り始めた。
カミーア:「親父が憧れてた男? 誰だよ、それ」
興味を隠しきれない様子で、カミーアがぐいっと身を乗り出す。
ロッド:「私と一緒に、この盗賊団をまとめ上げた男さ」
カミーア:「へぇ……そんな人がいたんだ。初耳だよ」
感心したように目を輝かせる。
だが、すぐに不満げに口を尖らせた。
カミーア:「なんで今まで話してくれなかったのさ」
ロッド:「……いろいろあってな」
ロッドはふっと目を伏せた。
その視線は、カミーアではなく、もっと遠い過去へ向けられているようだった。
カミーア:「でも、その人もワッツみたいに身勝手な奴だったんだろ?」
父の顔をうかがいながら、カミーアがそっと尋ねる。
ロッド:「いや」
ロッドは肩をすくめ、くすりと笑った。
ロッド:「ワッツ以上に身勝手な奴だったよ」
カミーア:「……あ、そうなんだ」
あまりにもあっさりした答えに、カミーアは苦笑するしかなかった。
ロッド:「身勝手な男だった。だがな……人生を楽しんでいた奴だった」
カミーア:「そりゃあ、身勝手なことばっかしてりゃ楽しいでしょ」
呆れたように言い放つ。
だが、ロッドは穏やかに首を横へ振った。
ロッド:「そうじゃない」
静かな声だった。
ロッド:「どんなに辛く、過酷な道でも……あいつは、それを楽しむように立ち向かっていた」
一拍置いて、ロッドは続ける。
ロッド:「ワッツにも、そういうところがあるだろう」
カミーア:「……」
その言葉に、カミーアの脳裏へワッツの顔が浮かんだ。
荒々しく、強引で、勝つことに異様なほど執着する男。
だが確かに――
どんな修羅場でも、あの男はどこか楽しそうだった。
カミーア:(……似てる、のかもな。ワッツに)
カミーア:「会ってみたかったな……その人」
ぽつりと零れた言葉に、ロッドは少しだけ寂しそうに笑った。
ロッド:「私はな……ワッツに、あいつの姿を重ねていたのかもしれない」
その声は、夜の喧騒の中でも、不思議とはっきり届いた。
ロッド:「だから、ワッツを後釜に選んだ」
迷いのない声だった。
けれど、カミーアは納得できなかった。
カミーア:「でもさ……それなら余計、ワッツと戦う必要なんてないじゃないか」
静かだった。
だが、その言葉は鋭くロッドへ突き刺さる。
ロッドは一瞬、視線を外した。
カミーア:「これが運命だって言うんなら……もう十分従ったよ。親父は」
声が震える。
それでも、カミーアは言葉を止めなかった。
カミーア:「だから、もう――」
ロッド:「これはな」
カミーアの言葉を遮るように、ロッドが口を開いた。
ロッド:「私だけの運命じゃないんだ」
カミーア:「ワッツの運命だとでも言うのか?」
カミーアも引かない。
ロッド:「そうだ」
ロッドは迷わず頷いた。
そして――静かに告げる。
ロッド:「そして、お前の運命でもある」
カミーア:「……あたいの運命?」
カミーアはぽかんと目を見開いた。
次の瞬間。
カミーア:「なんじゃ、それ」
思わず、素の声が漏れる。
首をかしげるその姿に、ロッドは小さく笑った。
ロッド:「そのうち分かるさ」
カミーア:「またそれかよ……」
ロッド:「今は――待つんだ」
そう言って、ロッドはカミーアに背を向けた。
再び、闘技場へ向かって歩き出そうとする。
カミーア:「……」
カミーアはうつむき、左手で右腕をぎゅっと抱きしめた。
言いたいことは、まだあった。
止めたい。
行かないでほしい。
そんな言葉が喉元まで上がってくる。
だが――声にならなかった。
そのとき。
ロッド:「シャルクスも……今、己の運命と戦っている」
背を向けたまま、ロッドが静かに言った。
カミーア:「えっ」
突然出たその名前に、カミーアは顔を上げる。
カミーア:(いけない……シャルのこと、話そうとしてたのに)
本来の目的をすっかり忘れていたことに気づき、カミーアは慌てた。
その様子を横目で見て、ロッドは苦笑する。
ロッド:「だがな……いずれ、またお前のもとへ戻ってくる」
カミーア:「……」
ロッド:「戻ってきて……共に戦ってくれる」
その言葉の意味は、正直よく分からなかった。
運命。
戦う。
共に。
どれも大きすぎて、今のカミーアには掴みきれない。
それでも――
ロッドの言葉だけは、不思議と信じられる気がした。
ロッド:「それまで……待っていてくれるな」
カミーア:「……うん!」
カミーアは力強く頷いた。
ロッドはそれを一瞥し、ほんのわずかに目元を緩める。
そして、再び前を向いた。
闘技場の奥から、歓声が轟く。
荒くれ者たちの叫び声が、石壁を震わせていた。
その中へ――
ロッドは一人、ゆっくりと歩いていく。
ワッツとの決戦の場へ。
カミーア:「……」
カミーアは、父の背中が闘技場の入口へ消えていくのを、ただ黙って見つめていた。
そして――
唇をきゅっと結ぶ。
次の瞬間、カミーアは意を決したように地面を蹴った。
ロッドが消えた闘技場へ向かって、駆け出す。
その小さな背中が闇に溶けていったあと――
石柱の影から、ひとりの男がゆっくりと姿を現した。
シャルクスだった。
シャルクス:「……ロッドさん。カミーア」
二人の名を、小さく呟く。
その瞳には、言葉にできない感情が揺れていた。
迷い。
後悔。
そして、まだ捨てきれない何か。
だが、彼は闘技場へは向かわなかった。
静かに目を伏せる。
そして――
シャルクスは闘技場とは反対の方向へ背を向け、ゆっくりと歩き出した。




