第11話 包囲されたアーポット亭
クリスたちと共にアーポット亭の玄関を飛び出したシャルクスは――その光景を目にした瞬間、息を呑んだ。
目の前に広がっていたのは、黒い人の波。
完全武装の傭兵たちが、アーポット亭をぐるりと取り囲んでいた。
鎧の擦れる音。
武器の鳴る音。
あちこちから漏れる、低く下卑た笑い声。
その数は――軽く百を超えている。
シャルクス:(……なんだ、この数は)
思わず眉間に皺が寄る。
その時だった。
屈強な傭兵たちの間から、妙に場違いな声が聞こえてきた。
ロイドス:「あー、すみません、すみません。ちょっと通りますね」
ぺこぺこと頭を下げながら、一人の男が傭兵たちの隙間を縫うようにして前へ出てくる。
ロイドス:「あ、ごめんなさい。足、踏みました? 本当にすみません」
情けないほど腰の低い態度。
傭兵たちの殺気立った空気の中で、その男だけがひどく浮いていた。
だが――。
シャルクスの視線は、鋭く細められていた。
やがてロイドスは、シャルクスの前までたどり着く。
そこで、ぴたりと足を止めた。
そして。
すっと背筋を伸ばす。
ロイドス:「お久しぶりです、シャルクスさん」
先ほどまでの卑屈な態度が、嘘のように消えていた。
涼しげな顔。
静かな声。
隙のない立ち姿。
シャルクス:「……ロイドス」
シャルクスは、鋭い視線で男を睨みつける。
この男は――かつて兄ドナルドと互角以上に渡り合った、ガスパーの代理人。
見た目の間抜けさに騙されてはいけない。
ロイドス:「まさか生きていたとは。正直、驚きましたよ」
淡々と告げる。
シャルクスは鼻で笑った。
シャルクス:「しぶとくて悪かったな」
腕を組み、挑むように言い返す。
シャルクス:「そんなことより……目的は黄金だろ」
その言葉に、ロイドスの口元がゆっくりと歪んだ。
ロイドス:「もちろんです」
軽く肩をすくめる。
ロイドス:「メディルさんは失敗しましたからね。ですが――私は、そうはいきません」
その言葉に、横から鋭い声が飛んだ。
リーア:「あんたなんかに、あげないわよ」
腕を組んだリーアが、真正面からロイドスを睨みつける。
ロイドスの眉が、ぴくりと動いた。
ロイドス:「……貴方のものではないでしょう」
わずかに不機嫌そうな声だった。
すると、今度はクリスが一歩前に出る。
クリス:「黄金はアーポット亭の中にあります」
静かな声だった。
だが、不思議とよく通る。
クリス:「つまり、まだ僕たちのものですよ」
ロイドスは肩をすくめ、薄く笑った。
ロイドス:「まさか……」
そう言って、背後に並ぶ傭兵たちを軽く振り返る。
ロイドス:「この人数を相手に、戦うつもりではありませんよね?」
その言葉を合図にしたかのように――。
傭兵たちの下卑た笑い声が、あちこちから湧き上がった。
だが。
リーアは、心底呆れたようにため息をついた。
リーア:「こいつら、分かってないね」
腕を組んだまま、首を横に振る。
ワードックも、にやりと笑った。
ワードック:「そうじゃな」
ゆっくりと一歩、前へ出る。
ワードック:「ちと、灸を据えてやるかの」
そう言って、背中に担いだ戦斧へ手を伸ばす。
ごつい指が柄を掴んだ瞬間――空気が変わった。
ワードックは戦斧を引き抜き、大きく振り上げる。
シャルクス:「……なにをするつもりだ」
警戒を隠さず問いかける。
すると隣で、クリスが楽しそうに肩をすくめた。
クリス:「まあまあ」
その顔には、場違いなほど余裕のある笑みが浮かんでいる。
クリス:「ここは僕たちに任せてよ」
そして、少しだけ声を落として付け加えた。
クリス:「――面白いものが見られるからさ」
その余裕たっぷりの態度に、シャルクスの不安はますます膨らんだ。
だが、何も言わない。
ただ黙って、視線をワードックへ向ける。
ワードックは、巨大な戦斧を天へ掲げた。
ワードック:「ブンガアアアァッ!!」
獣じみた雄叫びが、アーポット亭の前に響き渡る。
その咆哮と共に――ワードックは戦斧をさらに高く振り上げた。
次の瞬間――。
ズドォンッ!!
ワードックの戦斧が、大地へ叩きつけられた。
凄まじい衝撃音が、アーポット亭の前に轟く。
地面が跳ねた。
石畳が震え、足元から突き上げるような衝撃が、周囲にいた者たちの膝を揺らす。
そして――。
バキッ。
バキバキバキッ!!
アーポット亭の前に敷かれていた石畳が、乾いた音を立てて砕けていく。
戦斧を中心に走った亀裂は、まるで生き物のように地面を這った。
一直線に。
傭兵たちの足元へ向かって。
ゴゴゴゴゴ……。
低い地鳴りが響く。
亀裂は瞬く間に広がり、石畳を呑み込みながら、黒い口を開けていった。
ロイドス:「な、なんですかあ!? これはっ!」
つい先ほどまで涼しい顔をしていたロイドスが、思わず声を裏返らせる。
傭兵たちも一斉にざわめいた。
さっきまで響いていた下卑た笑い声は、もうどこにもない。
代わりに広がったのは――足元から這い上がる恐怖だった。
誰もが青ざめた顔で、崩れゆく地面を見下ろしている。
シャルクス:「……なんなんだよ」
ぽつりと、シャルクスは呟いた。
シャルクス:「ここの従業員は……」
あまりの光景に、呆れることさえ遅れてくる。
隣では、クリスが満足そうに微笑んでいた。
そして、芝居がかった仕草で軽く手を広げる。
クリス:「ようこそ」
少し楽しげな声だった。
クリス:「アーポット亭へ」
その一言が、崩れた石畳の上に静かに落ちた。
だが――。
意外なことに、傭兵たちの中から逃げ出す者はほとんどいなかった。
恐怖はある。
だが、それ以上に彼らを縛っているものがあった。
欲だ。
ガラの悪い傭兵:「ロイドスさん、よう」
人垣の中から、いかにも荒くれ者といった風体の傭兵が歩み出てきた。
傷だらけの鎧。
無精髭の浮いた顎。
口元に張りついた、卑しい笑み。
その男はロイドスの前まで来ると、軽く顎をしゃくった。
ロイドスは小さくため息をつく。
ロイドス:「ええ、ええ。分かっていますとも」
すぐに表情を整え、何事もなかったかのように微笑んだ。
ロイドス:「報酬は――三倍で」
その言葉を聞いた瞬間、傭兵の口元がにやりと歪む。
ガラの悪い傭兵:「分かってりゃ、それでいい」
だがロイドスは、そこで終わらせなかった。
一歩近づき、声を落とす。
ロイドス:「それと……」
薄く笑う。
ロイドス:「黄金を奪ってきてくださった方には、言い値で払いますよ」
その一言に、傭兵の目の色が変わった。
ガラの悪い傭兵:「……マジかよ」
ロイドス:「ええ、もちろん」
軽く肩をすくめる。
ロイドス:「お仲間にも教えてあげてください」
そこで一度、言葉を切る。
そして、蛇のような笑みを浮かべた。
ロイドス:「――まあ、独り占めしたいのであれば。それもご自由に」
傭兵の笑みが、さらに深くなる。
ガラの悪い傭兵:「へへ……そうかい」
そう言って、男は仲間たちのもとへ戻っていった。
その背中を見送りながら、ロイドスは小さく息を吐く。
ロイドス:「まったく……」
鼻で笑った。
ロイドス:「扱いやすいですね。金のことしか頭にないバカは」
その声には、隠しもしない軽蔑と――。
それを利用することへの、歪んだ愉悦が滲んでいた。




