第8話 シャルクスとクリス
薄暗い部屋だった。
ぼんやりと霞む視界の先に、白い天井が浮かんでいる。
シャルクスは、ゆっくりとまぶたを開いた。
重く沈んでいた意識が、少しずつ現実へ引き戻されていく。
しばらく天井を見つめたあと、彼は小さく息を吐き、上半身を起こした。
どうやら、簡易ベッドに寝かされていたらしい。
だが――。
ここがどこなのか。
なぜ自分が、こんな場所で眠っていたのか。
肝心な部分だけが、霧に包まれたように思い出せない。
シャルクス:(……俺は、一体、何をしていた……?)
頭の奥を探るように目を細める。
すると、途切れ途切れの記憶が、ぼんやりと浮かび上がってきた。
メディル。
あの謎めいた女と出会ったこと。
そして、彼女と共にアーポット亭へ潜り込んだこと。
地下へ続く隠し入口を見つけたところまでは、確かに覚えている。
だが――そこから先がない。
まるで誰かに切り取られたように、記憶はそこでぷつりと途絶えていた。
シャルクスは自分の体を見下ろす。
痛みはない。
目立った傷もない。
しかし、服のあちこちには黒く焼け焦げた跡が残っていた。
鼻先をかすめる、わずかな焦げ臭さ。
シャルクス:(……何があったんだ)
眉をひそめた、その時だった。
トン、トン。
隣の部屋から、軽い足音が近づいてくる。
そして――。
クリス:「お、目が覚めたようだね。シャルクス」
静かに扉が開いた。
姿を現したのは、ひとりの青年。
穏やかな笑みを浮かべ、何事もなかったかのように部屋へ入ってくる。
その顔を見た瞬間――シャルクスは思わず目を細めた。
シャルクス:「お前……」
胸の奥が、ざわりと揺れた。
遠い記憶の底に沈んでいた何かが、ゆっくりと浮かび上がってくる。
霞のかかった意識の中で、シャルクスは必死にその面影を手繰り寄せた。
クリス:「まだ、あの魔女の洗脳が解けてないのかい?」
からかうように、青年は目を細める。
その笑み。
その声音。
どこか、懐かしい。
シャルクス:「…………クリス、か」
掠れた声で、ようやくその名を口にした。
クリス:「そうだよ」
クリスは静かにうなずいた。
細められた瞳が、まっすぐシャルクスを見つめている。
その眼差しは、子どもの頃と少しも変わっていなかった。
シャルクス:「驚いたな。王子のお前が、こんなところで何してんだ?」
遠慮のない物言い。
昔と変わらない、気安い調子だった。
クリスは肩をすくめ、くすりと笑う。
クリス:「社会勉強さ。今はここで働いてるんだ」
シャルクス:「そうか。王になるのも、楽じゃねぇな」
二人は顔を見合わせる。
そして、どちらからともなく短く笑った。
だが――。
シャルクスの表情は、すぐに曇った。
シャルクス:「……俺は、何をしてたんだ」
静かな問いだった。
その声を聞いて、クリスは一瞬だけ視線を落とす。
ほんのわずかな間を置いてから、ゆっくりと口を開いた。
クリス:「君は、あの魔女に操られていたんだ」
シャルクス:「……魔女」
ぽつりと、その言葉を繰り返す。
クリス:「その状態で、僕と戦わされた」
シャルクス:「……あの女、魔族だったのか」
脳裏に浮かぶのは、メディルの姿だった。
柔らかな微笑み。
耳に残る、優しげな声。
だが――。
あれも、すべて作り物だったのか。
シャルクスはゆっくりと目を伏せた。
シャルクス:(……最初から、術中だったってわけか)
胸の奥に、重いものが沈んでいく。
そんな空気を断ち切るように、クリスが軽い調子で口を開いた。
クリス:「ところでさ。君、地下室にあった黄金を取りに来たんだよね?」
シャルクス:「……黄金」
その言葉に、シャルクスの瞳がわずかに揺れた。
ぼやけていた記憶の奥から、断片がゆっくりと浮かび上がってくる。
暗い石の階段。
隠された扉。
そして――黄金の光。
シャルクス:「……ああ。そうだった」
小さく息を吐き、シャルクスは顔を上げる。
シャルクス:「でも、なんでお前がそれを知ってる?」
戸惑いの混じった視線が、まっすぐクリスを捉えた。
クリスはあっさりと答える。
クリス:「レックスさんから、出がけに聞いてたんだよ」
シャルクス:「レックスさん?」
聞き慣れない名に、シャルクスは小さく首を傾げる。
クリス:「レックス・アーポット。この宿のオーナーさ」
その名を聞いた瞬間、シャルクスはふっと息を吐いた。
シャルクス:「アーポット……か」
そして、少し納得したように続ける。
シャルクス:「俺はクリストファー・アーポットから、ここに黄金があるって聞いて
来たんだ」
クリスの表情が、ほんの少し柔らかくなった。
クリス:「クリストファーさんに会ったのか」
懐かしむように目を細める。
クリス:「レックスさんは、彼の弟だよ。たぶん、黄金のことも知ってるはずだ」
その言葉に、シャルクスの肩から力が抜けた。
胸の奥につかえていたものが、少しだけ消える。
シャルクス:「……よかった」
思わず、安堵の息が漏れた。
シャルクス:「ここに来てから、変な女にばかり会ってたからな。まともに話が通じる人がいて助かった」
クリス:「なるほどね」
くすりと笑い、クリスは肩をすくめる。
クリス:「だから昼間、リーアさんたちと鬼ごっこしてたわけか。まあ、君らしいけど」
シャルクスも苦笑するしかなかった。
シャルクス:「で、そのレックスさんは?」
クリス:「遠出していてね。今はここにいないよ」
シャルクスは小さく頷き、少しだけ視線を落とす。
だが、クリスはすぐに言葉を続けた。
クリス:「でもね」
意味ありげに微笑む。
クリス:「事情を知っていそうな人を、他に呼んである。一緒に話を聞こうか」
シャルクスは静かに頷いた。
ゆっくりとベッドから降り、床に足をつける。
まだ少し頼りない感覚はある。だが、歩けないほどではない。
先に歩き出したクリスの背中を、シャルクスは黙って追った。
医務室の扉が、静かに開く。
二人の足音が――
薄暗い廊下に、軽く響き始めた。




